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Doors 第14章 〜 再会2

 メニエール病のめまい発作と騙し騙し付き合いながら僕も社会の歯車になった.約3年振りに音楽活動も再開した.学生時代を取り戻すかのように.辛いことやしんどいことももちろんあったけれど,生きているということが感じられて幸せだった.自分のことを大事にしようと思った.だからだと思う,僕は自然とその扉を開けていた.
 以前と同じように俯いていたので顔は見えなかった.僕の存在に気づいたのか,ゆっくりと顔をあげた.伸びた髪で表情がよく見えなかったけど,笑っているのは分かった.僕は初めて扉の外に連れ出すことができた.

 最初はとても緊張していたようで,いつも僕の後ろに隠れていた.どこか怯えている感じもした.けれど徐々に外の世界に慣れてくるとその目が輝いてきた.暗い部屋の中での記憶を掻き消すかの如く,色々なものを見て吸収していく.その姿が嬉しかった.だから僕も自然体で生きたいと思うようになった.スライムのように偽っていた過去の自分と決別し本当の自分を探す二人の旅が始まった.

 その旅は新鮮で,まだ誰も歩いたことのない雪面を歩いているような感覚だったが,その分戸惑いも多かった.
 身に纏うものはレディースの方が多く,髪も長く体型も細いため,よく女性に間違えられる.特に後ろ姿は判別が難しい.お手洗いでは多くの紳士を驚かせてきた.その度に申し訳なく感じる.
 よく「何故?」という問いかけに出会うが,その返答に困る.その疑問自体は至極真っ当なものなのだが,だからこそ軽はずみな返答をすることもできない.けど正直答えようがない.自分自身でも分からない.何故レディースを着るのか,何故髪を伸ばしているのか,そんなこと僕だって分からない.
 仮に同じ質問を女性に投げかけると,同じように回答に困る人は一定数存在すると思う.求めている回答は「女性だから」なんて理屈的なものではない.もっと本質的な回答だ.そうなると「可愛いと思うから」とか「そうしたいから」のようなどこか感情的な回答になり,おそらく質問者の意図にそぐわないと思う.

 ただ,現在では「感覚のアンテナとして髪を伸ばしている」という回答になるのかもしれない.自分にとってこの長い髪は昆虫でいう触角に近い働きをしていると感じている.季節の匂いや風の色を感じ取るのにこの長い髪はとてもいい仕事をしてくれる.
 風で髪がなびく度に季節に触れている感じがするというか,地球に包まれているかのような優しい感覚になる.その風にも硬さがあって,硬くアグレッシブな風もあれば,お淑やかで上品な風の時もある.そんな風は季節の匂いを運んできてくれることもある.
 それは,季節ごとの草木の匂いとかそういうものとは少し違っている.季節の変わり目に運が良ければ出会える風.ほんの一瞬,一呼吸分だけはっきりと色の違う匂いが鼻から入ってきて,そのまま脳内に広がっていく.するとその匂いに直接刺激された脳は過去の記憶を連れてくる.この短命な匂いと記憶を思い出す感じが強い特徴.理屈は分からないけれども,長い髪の毛はその感度を高めてくれている.

 他の理由を挙げるとするならば,長い間少女を閉じ込めてしまったことに対する贖罪のようなものとでも言えようか.

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