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(39) 亜紀 ー 鳥になれ

個展の開催日が近づくと、亜紀は決まって落ち着かなくなるのだった。これといって忙しいわけでもないのだが、何か特別な予感でもするのだろうか、胸が弾んでそわそわし始めるのであった。個展となると、開催中はもちろんのこと、一週間ほど前からギャラリーはいつもと一変した雰囲気になるのは
確かであった。それはどちらかというと、絵画の時よりも造形の時に一層大きな変化があって、彫刻、オブジェ、陶器などの個展となると、壁面はもちろんのことフロアー全体が作品と一体化し、一つの創作空間となる。亜紀は、その個展開催中の、まるで自分までがその作品の一部となったような独特の雰囲気が好きだった。

画廊と言えば、都心というのに相場は決まっているのだが、亜紀が勤める画廊「楪」は、三鷹の井の頭公園に面してあった。これといった理由などないのだが、オーナーである宮木冴子の、武蔵野の面影が残る場所で、と、いうのが願いであったらしい。井の頭公園という小さな杜に呼応するかに造られたのか、画廊は純和風の建物ではあったが、窓が多いのを除けばこれと言った特徴はなかった。ただ、竹で編んだ門扉を開けて数メートルのアプローチを行くと、木彫りの小さな案内板があった。そこには、画廊「楪」とあり、開館・朝十時より日没まで、とあった。初めて訪れる者は一様に驚くだろうが、内に入ってみるとその意図に納得する様であった。広いホールには一切の照明がないのである。並べられた大切な作品を、人工的な光で鑑賞して欲しくない、という冴子の思いである。閉館は日没まで、というのがよく理解出来る。多めに造られた窓は、鑑賞に十分な光を採り入れ、作品を光によって傷つけてしまわない工夫も随所になされていた。窓から差し込む陽は、時刻や季節によって時にやわらかく、時に力強く多彩な光のオブジェを提供してくれるのであった。亜紀は、そんな「楪」の持つ一種微睡むような雰囲気がとても好きだった。

美濃焼の加山作造展は、毎年決まってこの時期に開かれる。昨年から、この個展だけはプロデュース一切が亜紀に任されていた。テーマの決定、案内状の作成、作品の搬入、ディスプレイ等、加山自身も亜紀のセンスを買っているらしく、ひと言も注文することなく任せていた。今年の加山作品展に関しては、亜紀の示した「鳥になれ」というテーマで、加山は一年、作品を造ることを承諾してくれる程であった。そんなこともあって、亜紀はこの一年何度となく加山の工房へ足を運んだ。作品の数と搬入についての打ち合わせのために、加山の工房を訪れた後、亜紀に宛てて加山から一通の手紙が届いた。

画廊「楪」 片山亜紀 様

今頃、楪では僕の個展の為に忙しい毎日をお過ごしのことと思います。ご心配をおかけして申し訳ありません。そんな時なのに、僕はほとんど仕事をせずこの一週間散歩をして過ごしました。今も釣りから帰ったところです。もちろん僕の釣りは、ご承知のように針はついていないわけで、魚が釣れるはずはありません。何という鳥だろう、釣りをしている僕の目の前で、かなりのスピードで飛んで来たかと思うと、水中にダイビングをする。一瞬後には高く舞い上がるという動作をくり返していた。小魚でも採っているんだろうが、これがちょっといい光景なのでいつも見惚れてしまう。そんな思いで鳥を見るようになったのも、昨年の個展を無事終えた時、来年のテーマは、「鳥になれ」と君が言ってくれたことと大いに関係あるだろうと思うのです。作陶の仕事は、土と水と火と空気の世界で、真に自然を相手にするものなのですが、下手をすると、自然界から切り取って来たもので、終わらせてしまうことになりかねないのです。それ、そう終わらせてしまわなくしていくのが僕の仕事なのでしょうが・・・。

つい先日、薪を作ってくれている山路さんと、久しぶりで酒を飲んだのですが、とてもいい時間が過ごせたように思うのです。山路さんは、陶芸のことは分からないといいながらも、かなり造詣が深いご様子でした。ご自分のことはほとんど話されませんが、僕の想像ではご自分で以前窯を持っておられたのではないかと思えるのです。そうだとしか思えないほどのことに出会いました。その山路さんが、酒に酔った勢いで、「先生、私としては先生からの薪の依頼を受けて生活も成り立ちますので有り難いことですが、僭越なことを申し上げますが、薪作りも陶芸の大切な仕事の一つです。どうか、ご自分でなさることをお勧めしたいのですが・・・。」僕は、一番の弱点を指摘された思いで、なにかとても恥ずかしい気がしたのです。常々、僕もそう考えていて、余裕が出たら薪作りから自分でやろうと思って来た。そう思いながらも、つい山路さんに甘えてしまい二十年経ってしまった。僕は今まで、いや、これからも多分そうだろうと思うが、陶芸家は土をこね、作品を造り、窯に火を入れ、焼きあげることが仕事であると思っている所がある。土を自ら手に入れることもまた、薪作りも省略してよいことだと考えている。僕の作品に、何か足りないものがあると感じて来たその答えは、案外そこにあるような気がして来たのです。案外などと、確信できない言い方をしてしまう所などが、僕の能力の限界なのだろうとも思う。この二十年、僕の土をこねる技術、形を創り出す力、火の入れ方、守り方は大きく向上したと思うし、それに伴う心もそれなりに磨かれて来たに違いない。その上、画廊「楪」のバックアップもあって、作品の売り上げは驚異的に伸びた。僕は、そのことに決して胡坐をかいたわけでもないのだが、安心してしまっていたことは事実だった。亜紀さんが、工房に足を運んでくれるにつれ、君に作陶の仕事を説明しようとしたことが、僕自身への僕の仕事の点検作業ともなった。君の示してくれた今年のテーマ「鳥になれ」は、何しろ僕にとっては衝撃的なものだった。君は、僕に何を教えてくれようとしたのだろうか。鳥の視点のように・・・上空から見おろすように・・・僕の仕事を客観的に見直せと教えてくれたんだろうか、と、僕はしばらく考え込んだ。僕にとってのこの一年は、今までにない緊張と感じたことのない安堵が交錯した不思議な時間だった。僕は僕の陶芸の人生を、鳥瞰できたのだろうか。大きな不安は消えないであるのだが、何しろ大きな収穫は、君の言う「鳥になれ」をテーマに一年過ごせたことでした。本当にありがとう。今年も、七月七日からの個展よろしくお願い申し上げます。

追伸
僕は明日、この個展のため最後の窯に火を入れます。こういった気持ちで火を入れられる事に感謝しながら・・・

工房より 加山作造

作造からの手紙を読み終えると亜紀は、コツコツとヒールの音を立てながら、ゆっくりと画廊をひと回りした。
「鳥になれ、そのテーマは私自身へのものなのに・・・誰にとってもそうなのよね。みんな鳥になれたらいいのに・・・ね」

西側の窓から、少し長めに弱まった陽が入り込んで、やや茜色に窓際を染めていた。亜紀は、薄い茜色に染まったレースのカーテンの際で、一瞬その色が鮮やかさを増すのを実感していた。


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