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(115) 今こそ勇気を!

「自分のことが好きですか?」
と、私はよくたずねることがある。ほとんどの方から「嫌いです」と返ってくる。それ程までに「自分が好きです」と言える人が少ないことが、痛い。特に日本はその傾向が他国と比べて強い。

それには理由がある。
一つ目は「賞罰教育」を受けて育って来たからである。聞きなれない「賞罰教育」であるが、適切な行動をした場合は褒め、悪いことをした場合は罰を与えるという教育のことをいう。教師も親も先回りして子どもの欠点や短所ばかりに注目して育てようとする。子どもはいつも叱られながら育つことになり、否定されて来たから大人になっても自分のことを好きになれないままになる。

二つ目は「自分のことを好きにならないようにしよう」と決めているからだと考えられる。自分のことを好きになり”自信”が持てるようになると、”対人関係”の中に入って行かなければならなくなるから、「私は魅力がなくて誰からも好かれるはずがない」と思っている限り、人と関わる必要がない・・・”対人関係”の中に入って行かないという”無意識の目標”を持っていると思われ、「自分のことを嫌いでいよう」と考えた方が楽だと思うからだと考えられる。

何度もnoteに書いてきたが、私たちのほとんどの悩みの源泉は”対人関係”ということでもあり、人との関係は本当に難しくて苦労だから、そんな気持ちになってしまうのもわからない訳ではないが心配である。

「自分のことが好きになれない」という大きな大きな課題にそう結論付けている責任の所在は、「賞罰教育」と、”無意識”ではあるけれどそう決めた自分なのだ。半分は自分の責任ということになる。

世の中を生きていく上で、色々な場面で決断し力を振り絞って前に進まなければならないことが多々ある。ここどという時に「勇気」がいるのだ。これがなかなか難しい。

”無意識”で決めてしまっていることは、本人としても”意識”で考えて決めたのではないので訳も分からないままであるが強く”支配”されてしまうほど強い力がある。だから「自分のことが嫌い」であるという思いは”確信”なのだ。

理由の一つである「賞罰教育」を受けて来てしまった私たちではあるが、半分の責任は自分にあるのだから・・・そう”決断”したのは自分なのだから・・・自分で何とかすることが大切なこととなる。

人は、出来ないこと、しないことをほとんどの人たちは、過去に経験したことや自分を取り巻く環境のせいにしてしまいがちである。しかし、考えてもみるとそんなライフスタイルを選んだのは自分であるのだ。だから今、またそのスタイルを選び直して欲しいと思う。

「勇気」がいる。
”対人関係”の中に入っていく「勇気」を持つことが大切なのだ。辛いけど大切だ。人が苦手だから関わらず、ひとりで居るのも決して間違っている訳ではない。それで”安心・安全”が確保できるなら、それはそれで素敵なことだ。

ここで考えてみたい。
他者が傍に居て私の”安心・安全”が得られないということの背後に、他者を”敵”とみなしているということが存在している。他者を”敵”ととらえる考え方こそが、人間関係の悩みを作り出してしまうのである。

本当に他者は”敵”なのだろうか?
他者は自分の行く手を遮ると感じとるから”敵”と考えてしまうのである。他者の言うことに、こちらが従順であるなら、何の問題も起きない。いつも従順でいられるとは限らない。他者の思いとは別に、こちらの思いもあるのだから当然である。

”正しく”自身の思いを他者に告げ「私はこうしたい、こうします」と述べ伝えていく。他者の考えと違って当然なのだから、自分の行く手を遮る存在だ、などと大げさに考えてしまわないことである。他者は他者の考えを述べただけであり、私は私の考えを述べられるのだ。怖がることなどない。

もうひとつ、「”他者との関係”に入って行きたくない」という目的があるように思われる。他者と関われば、必ずそこには摩擦が生まれ、憎まれ、嫌われたり、裏切られたりが生じる。そうなって傷つくのが怖いから、「他者と関わりを持たないようにしよう」と考えるのだ。「他者からこの私がどう思われるか?」に怖がっているのだ。確かに、これは怖がるだけの問題だろうと思う。

「人が私をどう思うかに左右されたくないし、そんなことで硬くなりたくないから、人様からの評価を丁寧にご辞退し、自分の評価は自分自身ですると決めた」以前にも書いたが、私はこれで本当に楽になった。

人生とは「人からの評価のために生きているのではない。私が思うように私の人生を私が生きる」ものだと思う。と、「勇気」を出して欲しい。



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