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通勤は痛勤だった・・・と言う気付き

 志村さんが亡くなって、これは大変なコトが起こっていると自分の中のリスクセンサーが反応した。それまではテレワークなんてする気はなく、定年まで痛勤しサラリーマン人生を全うするつもりだった。それがどうだ翌週から出社することをやめてしまった。巷では在宅貴族などと勝ち組みのような揶揄もあったがそんなお気楽な気分ではない。

 ニュースでは毎日のようにコロナ感染者のニュースが流れ更に気持ちは落ち込んで行く。気晴らしに空き時間を見つけて散歩に出かけていたが外出する度にマスクをつけてとなると億劫になり、灼熱の夏もやってきてエアコンのきいた部屋からでることもできなくなった。気がつけば3、4日玄関をでることもなく2ヶ月以上も電車に乗っていなかった。電車って何?通勤ってなに?通勤?痛勤じゃない?

 街では自粛疲れと称する人たちがパチンコに興じたりホームセンターで行列を作っていたがコロナ感染のリスクを考えると全く外に出かけたいとは思えなくなっていたしそれが羨ましいと思うこともなかった。緊急事態宣言下と言うこともあり家で快適に過ごせる環境改善やディスプレイを準備しもう会社に行く理由が見つからない。家族からはもう普通の生活に戻れない人になってしまったのねと言われるがそんなことはどうでもいい。

 通勤と言う悪魔の呪文に数十年捕らえら通勤ラッシュに揉みくちゃにされながら痛勤とも言える行動がいかに無駄そのものでそこから逃れることができたのだから。

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