私がみつけた真実とは?愛の数だけあると思うこと
物事は多面的です。人の数だけ見え方は違うし見える角度が違っても別物のように見えてしまいます。
この思いは、私の座右の銘みたいなものです。
今まで私の頭の中にあった思いをいくつか書きだしてみます。
兄が思うことと妹が思うこと
『 あんた!そこに愛はあるんかい? 』
某カード会社のテレビCMで、女将さん役の大地真央さんの決めゼリフです。
大地さんの存在感とキャラが際立って、記憶にのこります。
今野浩喜さんとのかけあいもコミカルで面白いです。
いろんな職業の人間、シチュエーションで「 そこに愛はあるんかい? 」と問いかけるこのCMが気に入っています。
カード会社のCMということで、個人的には複雑な心境ではあるのですが…
妹と長兄は片づけが苦手です。漠然とした指示は考えがまとまらず頭が真っ白になってしまうのかもしれません。
片づけ先ややり方がシンプルに決まっていた方が動きやすいようです。
二人は少し発達障害ぎみのグレーゾーンではないかと思っています。
兄はやりっぱなしを見ているのが不快です。
他人に嫌な思いをさせてはいけないと考えています。
それを妹に理由も聞かずに怒る時があります。( 母の主観的イメージですが… )
正論です。
それが社会の目だったりするので、本人のためといえばそうなのです。
それは誰のために怒っているのか?妹のためか自分のためなのか?
『 そこに愛はあるんかい?』
そして、もっと柔らかく言ってほしいとお願いしてみました。
言い方ひとつで受けとる印象がぜんぜん違うからです。
話してみたら兄も少し考えてくれるようになりました。
母も人間出来上がっているわけではありませんが、子ども達も成長途中です。
それでも話せば自分なりに考えてくれる。
四者四様の我が家の子ども達の良いところです。
母はみんな大好きです。
互いを悪く言っている (またまた母の主観、本人はそう思ってないかも) のを聞くとめちゃめちゃ悲しいです。
気づかされた書籍
四人の子ども達の答えがそれぞれ違うように人それぞれの本当も違う、人生 ⁈十年の現在の私の答えです。
答えをだせずにモヤモヤしてた頃、そうだこれだよと背中を押されたような作品があります。
日渡早紀さんの漫画で 『ボクを包む月の光』という作品のはじめのころのお話です。アニメ化もした『ぼくの地球を守って』の次世代の物語です。
ストーリーを軽く説明すると、
ボクのお父さんはエスパーで空を飛べる。ボクにとっては本当のこと。幼いボクは純粋にはじめてできた友達に自慢します。
だけど世間的にはありえないことで、お父さんがいなくて家庭的に恵まれていない友達はだんだん辛くなってケンカになってしまいます。
少しだけ歳を重ねて再会しますが、なかなか仲直りできません。しかし友人達の仲介でボクは気づくのです。
お父さんはエスパーで空が飛べます。
でもそれは、
「ボクには本当でも」
「みんなではマジックで」
「信幸には嘘だった」
「どれもホントだ」
このセリフに、そう!それ!と真っ暗の中から何かみつけたような気持ちでした。
人の数だけ本当はあり、自分の本当とは違っても相手の本当も、その存在を認めてあげれば幸せな世の中になれるかあと思うのです。
そして、最近ドラマで似た言葉を聞きました。
月9ドラマ『ミステリと言う勿れ』で久能整.役の菅田将暉くんが、犯人を決めつけている刑事に対して
「 真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです。」
と言っていました。
これ、名言です。
原作が田村由美さんの漫画だと知って読んでみたくなりました。
田村由美さんの漫画は「巴がゆく」「BASARA」をリアルタイムで読んでいたので、あの時と違う作風に時の流れみたいなものを感じましたが、
変わらずの活躍と面白そうな作品を知ることができて嬉しいです。
心がけたいこと
私が学生のころ、十分知りもしないで否定ばかりする人達に嫌悪していた時期がありました。
日々を積み重ね大人の経験値が増えた私は、その人の背景や気持ちを少しは考えられるようになりました。
あの頃否定していた人達も何かあったのだろうか。
どうしてそうなってしまったか背景があると思うと、否定からは物事を見ないようにしようと思うのです。
若い私は歳をとることが嫌でしたが、歳を重ねて経験値が増えた自分も悪くない。
これからもそう思えるように日常をおくりたいものです。
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