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『サザンクロス ラプソディー』vol.34

とりあえず一日のスケジュールを立てることにした。
朝は八時に起床する。それから朝食を食べて、そのあと風呂に入る。
午前十時くらいに市内観光へ出かけ、昼食と夕食は外ですませて、家に帰るのは早くてもだいたい八時すぎとした。

寝起きに煙草を一本燻らせながら昨日の記憶をたどる。べつになにも特別なことを思い出すわけではない。なにを食べたとか、なにをしたとか、どこへ行ったとか、誰と話したとか、そんな取り立てていうほどのことでもないものばかりだ。
これはいつの頃からか俺の習慣になっていた。
そのせいなのか、何年経ってもそのときのことを思い出せる。
まあ、さすがに何月何日何時とかまでの詳細すべてを鮮明に思い出せるわけではないが、意識して覚えていたものはかなりはっきりと思い出せる。

それから朝食をつくる。

朝食のメニューは毎日似たようなものにした。朝から食べるものだ。そんなに凝る必要はない。

イングリッシュ・ブレックファストにならって、バターとジャムを塗ったイギリス食パン(甘さ控えめの山型食パン)のトースト、ベーコンかソーセージ、卵料理は目玉焼きかスクランブルエッグ、そしてたまにオムレツ。
それと豆好きの俺にはたまらない、缶詰のベイクドビーンズ。
それにレタス、きゅうり、トマトなどの簡単なサラダとフルーツだ。

全体の量はかなり多めにした。

ミルクティーはティーバッグの紅茶でつくる。
キャロルからは、「ティーバッグで紅茶を淹れるのに、ティーポットも使っていいからね」といわれた。けれども、そのティーポットが見事な装飾が施されたシルバー製のもので、すごく高そうに見えた。それに、洗って乾かすのも大変そうだったので使うのをあきらめた。

せっかく紅茶の本場といわれるイギリスにいるんだし、高級な茶葉くらいは奮発してもよかったのだが、茶葉で淹れるのはある程度の手間はかかるし、あと片付けも大変だ。
それに比べて、ティーバッグのバラエティパックだと、いろんな味が楽しめるので、毎朝紅茶ばかりでも飽きが来ないだろう、と考えた。

朝食をすませたら、食器を洗い、布巾で拭き上げ、元あった場所に戻す。

それから風呂に入る。大きなバスタブにからだを沈める。これはほんとうに気持ちがいいものだった。
日本に住んでいた頃のことを思い出した。
俺は温泉で有名な町で生まれ育ったせいもあってか、子供の頃から風呂が大好きだった。
しかし、シドニーに住んでいた約三年半の間、湯船に浸かることは一度もなかった。
ホームステイ先のミセス・テイラーの家にはバスタブはあったけれど、ほかのホストフレンドの手前、シャワーを短い時間で浴びるだけだった。
転がり込んだイブの部屋にも、ひとりで住んだフラットにもシャワーしかついていなかった。
それに、ポールの家で唯一俺が使えた一階のバスルームにもバスタブがなかった。

「二階のバスルームは絶対に使わないでね」とツグミからその使用を固く禁じられていた。

使ったバスタブ、バスルームをきれいに片付ける。

「おはよう、ヤマ。今日はどこへ行くの?」

十時すこしまえ、出かけようと部屋を出たところで、起きてきたばかりのキャロルに声をかけられた。

「今日は、ハイド・パーク、ナショナルギャラリー、大英博物館に行こうと思っています。そして、そのあと時間があれば、グリニッジ天文台まで行くつもりです。なので、帰ってくるのは八時すぎになると思います」

「そんなに?......かなり時間がかかりそうだけど楽しんできてね」

そういってキャロルは驚きの表情を見せた。

当初は行き先を決めず、ぶらぶら歩いてロンドン観光をしようと思っていた。
けれど、キャロルとジェムから、「それはやめたほうがいいと思うよ。ロンドンは見るところが多すぎて、ちゃんと観光をしたいのならある程度の下調べは必要だよ。それに、地下鉄やバスを使わずに歩きまわるなんて、とてもじゃないけど無駄な時間がかかりすぎるから」といわれた。

というわけで、俺は思い直して、その日の予定は一応前日までに立てることにした。


家を出るまえにトイレに行ったのに、乗り換えの地下鉄駅に降りたとき、突然お腹がキュルルルルと怪しげな音を立てはじめた。

あわてて構内のトイレを探す。
やっとそれらしいものを見つけてなかに入ろうとして、入り口で足が止まった。

腰の高さまでの回転式の出入口で、コインを入れてなかに入るつくりだった。
まさか地下鉄のなかのトイレが有料だとは知らなかった。

あとからわかったことなんだが、ロンドンには無料の公共トイレが日本に比べると圧倒的に少なかった。
もちろん、レストランやデパート、美術館や博物館のなかには無料のトイレはあった。
トイレがどこなのか一度知ってしまえば、探すことにそこまで骨が折れることもないのだろうが、とにかくロンドンの街中にある公衆トイレは、できるだけ目立たないように設置されていた。

トイレから出てくると、モップを持った作業服姿のひとりの黒人の男が怪訝な顔をして立っていた。俺の顔を目ん玉をひん剥いて覗き込んでくる。黒い顔に白い目ん玉は異常なほど威圧感がある。
彼はどうやらこのトイレの管理人らしかった。
なにかいわれたが、よく聞き取れなかったので愛想笑いをつくり、足早にその場を立ち去った。
よくわからないが、たぶん俺が何度もトイレの水を流したものだから、なにか文句をいっていたのかもしれない。

最寄りのフィンチリー・セントラル駅から地下鉄に乗り、ノーザンライン線からセントラル線に乗り換え、マーブル・アーチ駅で降りて、徒歩約五分ほどでハイド・パークに着いた。

ここはロンドンに八か所ある王立公園のひとつだ。ハイド・パークの西側にはすぐとなりにケンジントン・ガーデンズも存在している。

それにしてもロンドンの空はいつも曇っている。ここに来てからスカッと晴れた空を見たことがない。
キャロルは「イギリス人は天気の話題が大好きだ」といっていたが、こんなに曇りの日ばかりが続くのに、いったいなんの話をするのだろう? と不思議に思う。

ふと俺はある芸能人がアメリカで二か月ほど滞在したときの話を思い出した。
彼はあまり英語を話せなかったが、とりあえず行ってみればなんとかなるだろう、という安直な考えだったそうだ。
住むところは日本の知り合いに頼んで用意してもらった。
けれど、現地人の知り合いが誰もいないところだ。買い物やレストランに出かけて、ひとことふたこと話すくらいで、密かに期待したように、日本人に興味がある金髪美女に話しかけられて楽しく会話をすることなど一度もなかったという。

俺は思うのだが、万が一彼がそんな金髪美女に話しかけられていたとしても、英語もろくに話せない彼に辛抱強く付き合ってくれるわけはないだろう。

テレビを観ても英語がわからないからそんなに楽しめない。トークショーで笑っている観客がなにをそんなに笑っているのかまったくわからない。逆に腹が立ってきたそうだ。

そうこうしているうちに、ある日、歯磨きをしているときにふと鏡で舌を見ると白くなっている。歯ブラシで磨いてみても取れなかったという。
それで、日本に帰ってきてから耳鼻咽喉科でそれは舌苔、舌にできた苔だといわれてショックを受けた、と笑いながら話していた。

彼は誰ともほとんど会話らしい会話もしなかったそうだ。おまけに彼はものを食べるときにあまり咀嚼をしないたちで、舌をあまり動かさなかったものだから、舌に苔が生えてしまったのだという。

俺もそうなるかもな、と鏡で白くなった舌を見てため息をついている自分の姿が頭に浮かんだ。

なんか、気が滅入る。舌に苔が生えないようにするには、毎日よく話し、食べ物はよく噛めばいいんだな。

そこで、俺はべつに変な人に思われてもいいからひとりごとを小声でいうことにした。日本語でいえば日本人にしかわからないから、もし視界に黒い髪がちらりとでも入ったら、いわなければいいだけのことだ。

「なんか、すごくでかそうな公園だな」

さっそくひとりごとをいってみる。
近くにいた観光客が俺を振り返ったが、そんなことは気にしない、気にしない。

気がつくと、俺の足元を数羽の鳩がうろついていた。

「はっと、そしてゴー」

なんて冗談をいって、片足を大きく上げて鳩を追い払う。
近くにいた人たちが訝しがるように俺を見ていた。けれど、気にしない、気にしない。

ロンドン市内のど真ん中にこんな広々とした公園があることにしばらく歩いてから驚かされた。
シドニーにも同じ名前の公園があるが、ここのハイド・パークの広さときたら、あんなものじゃない。
木々と芝生に覆われた園内には、人工池のサーペンタイン・レイクや数々の像、それに博物館まであった。
1960年代後半から1970年代には大規模なロックコンサートがここで行われたこともあるという。

「公園には野生のリスがいるから、見ることが出来るかもよ」とキャロルはいっていたが、俺は残念ながら出会えなかった。

たまに立ち止まって、ベンチですこし休憩し、また歩き出して、と約二時間ほどをそこで過ごした。

ハイド・パーク・コーナー駅からピカデリー線でピカデリーサーカス駅まで行き、そこでベーカールー線に乗り換え、チャリング・クロス駅で降りる。

トラファルガー広場を眺めながらナショナルギャラリーへ行く。

「チケット売り場はどこかな?......どこにもないじゃん。どこだよ、いったい」

まず入場料が要らないのに驚いた。
入り口の脇に大きな寄付金用の箱が置かれていて、自分が入れたいだけ寄付する形だ。
こういうのが意外と困る。入場料はいくらです、と明示してあるほうが余計な神経を使わなくていい。
基本ええかっこしいの俺はこういうところが気になるのだ。

「これでだいじょうぶですよね?」

いくら寄付しようか悩んでいたとき、まえの人が入れたのを真似して、こういいながら五ポンド紙幣を入れる。

ひとりごとをいって人から変な目で見られるのはまったく気にならないのに、お金持ちでもないのにケチに見られるのは嫌なんだな、きっと。

ナショナルギャラリーのなかに入ると、これも驚きだった。
絵画の数々がどーん、どどーんと壁一面に飾られている。
そのサイズもかなり大きめだ。

ここで俺の記憶に残っているのは、どういうわけか、パブロ・ピカソが描いた女性の絵だけだ。
ほかにも有名な絵はたくさんあったはずだけれど、ほんとうにこの一点しか記憶にない。

その絵はふくよかな女性の姿が描かれていて、生命の力強さとあたたかさが表現されているように俺には感じられた。
キュビスムのピカソの絵とはまったく違う画風だったけれど、俺はその絵に魅了されて、しばらくその場にたたずんでいた。

ナショナルギャラリーから徒歩で十五分ほど北へ行ったところにある大英博物館に入る。
ここは世界でも一番といわれる総所蔵点数を誇る。
ここも入場料は無料だ。もちろん寄付は強制ではない。

教科書なんかで見たことのある美術品が通り過ぎようとしたらそこかしこにある、という感じだ。

「うん、これ知ってる」「でかいな!」

などと小声でひとりごとをいいながら、俺は目に映るものひとつひとつにリアクションを取った。

圧巻だったのがエジプトのミイラだ。

俺のイメージでは、ミイラは一体か二体くらい展示してあるものと思っていたら、そんなものじゃないほどの数だった。

肉体が滅んだあとも霊魂は生き続ける、と想定してつくられたミイラたちだ。
いまにも棺のふたが開いて、なにやらおどろおどろしいものがなかから飛び出してきそうだったし、布で包まれたミイラたちは、いまにもモゾモゾと動き出しそうで、不気味だった。

「お願いですから、呪わないでくださいね」

こんなことをいったら古のエジプト人たちに怒られそうだけれど、一体のミイラをまえにして、俺は思わず声をかけていた。
もちろん小声ですこし離れたところからだ。

ハイド・パークに始まり、トラファルガー広場、ナショナルギャラリー、そして大英博物館と一日中歩きまわって疲れ果てた俺は、ファストフード店で、「そんなにひとりで食べるのか?」と注文を受けた店員が驚きの表情で見つめるなか、大きめのハンバーガー三個をきれいに平らげると、とっとと家路についた。


〈続く〉


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

物語は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1990年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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