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短編小説『遼之介は..。 年の瀬に』

「父さん、本当にありがとう。父さんのおかげで、理沙、なんとかノルマを達成できたよ」

「いや、いいって。こちらこそ、ありがとう。おせちもなにもない、寂しいお正月を迎えるところだったよ。これがあるだけで、すこしは気持ちが華やぐってもんだ」

「遼ちゃんのお父さん、本当にありがとうございました」

「いいえ、理沙さんも大変ですね。お役に立ててよかったです。じゃあな、遼之介。 理沙さんと仲良くな。また、いつでもふたりで遊びに来てくれ」

「ああ、父さん。機会があったら、そちらにも寄らせてもらうよ」

「遼ちゃん。お父さん元気そうだったね」

理沙は電話を切ると、俺にそういって微笑んだ。

たぶん理沙はおふくろの一件ですこしへこんでいた俺の親父を気づかっているんだろう。

理沙の勤めているホテルでは、毎年、おせちの販売もやっている。そして、従業員にもそのノルマが課せられる。
従業員割引きで、かなり値引きはされるものの、それでも安いとはいいがたい。
もちろん、ホテルが販売するものだから、ちゃんとした味と品質は保証されてはいるけれど。

理沙は知り合いに声をかけて、そのノルマをなんとか今年も達成した。
営業部であれば、そのノルマの数の多さは、宿泊部の理沙の比ではないという。

それにしても、客商売とはいえ、調理部が販売しているおせちやら、夏のビアホールのチケットやらのノルマを、半ば強制的に従業員に課す職場ってどうなんだろう? といつも思う。

もちろん、すべてのホテルがそうというわけではないが、理沙がいうには、そういうところは結構多いらしい。

「遼ちゃんのお父さんには感謝しないとね」

理沙はほっと胸を撫で下ろしているようだ。

普段、理沙にお世話になりっぱなしの俺としては、こうやって理沙のために何かしてあげられることが、何よりもうれしい。

「遼ちゃん。今年はクリスマスのお祝いもちゃんとしようよ。去年は、二十四日、二十五日と、コンビニの深夜のシフトに遼ちゃん入ってたでしょ。夜にお祝いできなかったから」

「いいね。クリスマスにはやっぱりシャンパンとか飲んでもいいのかな?」

「シャンパンは高いから、スパークリングワインね。それと、フライドチキンとオードブル、それにちょっと高級なケーキも食べよっか?」

「いいのか、そんなに奮発して。このまえも、理沙、『給料すこしくらい上がんないかな』なんていってたじゃん」

「まあ、遼ちゃんが人間サイズだったら、私もちょっと考えるけどね。いまの遼ちゃんの大きさだったら、どんなに食べてもたかが知れてるからぜんぜん構わないよ。ほとんど私ひとりで食べてるのと変わらないから」

「そりゃ、そうだけど。けど、ありがとうな理沙。それでも俺はうれしいよ」

「いいって、遼ちゃん。そんなに大袈裟に感謝してもらわなくても。なんならおせちも頼もうか?」

「いや、それはいいって。さすがにそれはお金がかかりすぎるから」

「そうなんだけど。今度の年末年始さ、私、二十九日から四日まで、なんと一週間も休みをもらえたのよ。なんか、入ってきた新人に年末年始の業務を経験させたいんだっていう上司の意向みたいなんだ。これって、入社以来初めてのことなのよ。だから、この一週間は遼ちゃんとふたりっきりでのんびりしたいなあ、と思ってさ」

「そうなんだ。そりゃよかったな、理沙」

最近、理沙は優しすぎるほど、俺に優しい。なにか心境の変化があったのは間違いないのだろうが、あの親父とおふくろの一件以来、急に優しくなった。

「それに、おせちがあれば、正月三が日は、お雑煮だけ作ればいいでしょ。それを考えれば、おせちを買ってもいいかな? と思ってるんだ」

「そういうことだったら、理沙にすべて任せるよ。理沙の好きにしなよ」

理沙がひとりで働いて稼いだ金だ。俺がとやかくいえることじゃない。

「ありがとう。じゃあ頼もうかな。でも、うちのホテルにじゃないけどね。あんなに高いおせち買えるわけがないから。通販の手頃なやつにしとくね」

そういって理沙はスマホを手に取ると、おせちを物色し始めた。

「えっ! 理沙、もう注文したの?」

わずか五分くらいで注文を終えた理沙に、俺は驚いて声を上げる。

「うん、私が食べたいものが入ってればそれでいいから」

理沙は何かにつけて決断が早い。
そんな理沙が、こんな俺を見捨てずにいてくれることには、感謝しかない。

「ところで遼ちゃん。年が明けたら、神社に初詣に行かない?」

「どうした、理沙? 突然そんなこといい出すなんて......」

「神様にお願いすれば、もしかしたら、遼ちゃんが人間の姿に戻れるんじゃないか、と思って......」

「まあ、試してみる価値はあるとは思うけどな」

「私もたまにはちゃんとした格好でお詣りしたいし」

普段着の理沙は、ジーンズにパーカーといった、ラフな格好が多い。
俺が理沙と初めて結ばれたあの夏の日、理沙は大人上品なワンピースをその豊満なからだに纏っていた。
理沙が気合を入れておめかしをすれば、すれ違う女連れの男たちが、みんな思わず振り返るほどだ。

「おっ! いいね。そのままホテルで姫はじめなんて......いいねーっ!」

「ちょっと、遼ちゃんっ! 調子に乗りすぎだから」

「す、すみません太郎......」

「それ、ぜんぜん面白くないからっ! そもそも、ゴキの遼ちゃんとどうやってエッチするのよ! 冗談はそのゴキの顔だけにしてよ」

「すみません次郎......」

「あーっ! なんかだんだん腹が立ってきた。よかったわ、まだ年を越してなくて。今年の怒り納めにしよう。だいたい、遼ちゃんね、そんな不純な動機で『人間になりたいんです。お願いします』って神様にお願いしても、ご利益なんかあるわけないじゃない」

「すみま......センブリ茶っ!」

「.......そこは、三郎でしょ! まったく、これだから純文学が命の男は、素直じゃないんだから」

「おい、理沙こそいい加減にしろよ! なんだよ、俺が黙って大人しく聞いてりゃ、いいたい放題いいやがって。おまえのいまの発言は、純文学を愛しているすべての読者を敵にまわしたからなっ! 俺はどうなっても知らないからなっ!」

「なによ! 私に文句があるっていうの?」

理沙はそういいながら、親指で中指を何度も弾く真似をして見せた。これは、俺の嫌いなデコピンをするぞっていう理沙の脅しだ。

「遼ちゃんって、バカなの? 私たちふたりだけの会話を誰が聞いてるっていうのよ?」

「わかんないぞ、誰が聞いてるかなんて......」

「......そ、そだねーっ。『壁に耳あり障子に目あり』っていうもんね。気をつけようっと」



「あのね、会社会員さまの御予約で、外国人が泊まってね。そのひとって連泊だったんだけど。なにかの手違いで、ベッドメイクのチェックリストでは、チェックアウトしたことになってたのよ。それで、部屋のなかにあった一円玉一枚が、フロントにお忘れ物で回ってきてたの」

「うん、それで?」

「それで、それに気づいた私が、外出からお戻りになったそのお客さまにその一円玉を手渡そうとしたんだけど、そのお客さま、日本語も英語も通じなくて。おまけに、いつも使っているハンディータイプの音声通訳機が故障してたのよ。仕方がないから、タブレットの翻訳・通訳アプリで、『お客さま、お部屋のなかにこの一円をお忘れでしたよ』って音声入力してお渡ししようとしたのよ」

「うん、それから?」

「そしたらさ、そのお客さん通訳されたものを聞いて、私の顔を変な顔でじっと見てるのよ」

「うん、それでどうした?」

「だから、私、顔をすこし傾けて、どうしたのかな? なんて可愛く微笑んだの」

「理沙のその可愛い顔でね......」

「そしたら、その彼、突然大声で笑い出しちゃって......」

「なんで?」

「私が手にしていたタブレットを指さすのよ。それで私の喋った日本語のところをよく見たら」

「うん、よく見たら......」

「私の滑舌が悪かったのか、『お客さま、お部屋のなかにこのちんちんをお忘れでしたよ』って表示されてるのよ」

「ちんちんをお忘れって?......」

「私、自分でも顔が真っ赤になってるのがわかるくらい恥ずかしかったのよ」

「そりゃそりゃ......た、たい......大変だったね、あはは......」

「遼ちゃん、笑いすぎだってば」

「ごめん、理沙。ツボったわ」

「それでね。そのあと、そのお客さまがタブレットになんか喋ってね。その翻訳を見たら、『それは大変だ、確かめなきゃ』って表示されてたの。そして、そのお客さまが自分の股間を見て笑ってるのよ。私、『きちんと翻訳されてるんだ』と感心するやら、恥ずかしいやら......」

「そりゃ......た......大変だったね......あははははっ!」

「遼ちゃん、笑いすぎだってば」



「遼ちゃん、今年はいろんなことがあったね」

「そうだな」

「遼ちゃんが突然人間の姿に戻って、久しぶりにデートしたんだよね」

「そうだったな」

「レストランで食事して、映画観て、遊園地のお化け屋敷に行ったんだっけ?」

「そう......! それで、映画を観たあと、おまえ、俺の二の腕を思いっきりつねったよな?」

「そうだったっけ?......理沙、覚えてな〜い」

理沙は人差し指を下唇の下に軽くあてて、小首を傾げてしらばっくれている。
理沙が自分のことを私ではなく、理沙というときは、本人はその仕草が可愛いと思っているときだ。

「なにが、理沙、覚えてな〜いだ。すんごく痛かったんだからな」

あれは本当に痛かった。ゴキに戻ったあともしばらく腫れていたような記憶がある。

「......そうだ。まさみの家にも行ったんだよね」

理沙......こいつ、話をはぐらかしやがって。

「ああ、あの人間のことばを話す、猫のピーチと会ったのは衝撃だったな」

「うん。あれは本当にびっくりしたよね。まさか、この世のなかにあんな猫がいるなんて」

「それで、帰り道で理沙、おまえ俺を道端に放り投げて、這って帰ってこいって、置き去りにしようとしたろ?」

「あれは、遼ちゃんが悪いんじゃない。私のお気に入りのジャケットのなかでオシッコなんかするから」

「理沙は俺をバッグでたたき落としたんだよな。そして、『俺、このまま......』といった俺に、おまえは、おまえとまさみとピーチの三人で、灰皿のなかで焼いて見送ってあげるとかほざいたんだよな」

「あんなの冗談に決まってるでしょ!」

「いや、あのときのおまえの目は笑っていなかった」

「まあ、いいじゃない過ぎたことは......」

こいつ......理沙は昔のことをあれこれとぐちぐちいい出すことがよくあるのに、自分のことになると、こうだよ。

「そうそう......遼ちゃんのお父さんとお母さんが再婚するっていう話が持ち上がって、私、おふたりに会ったのよね。そして、帰りに鰻重を食べたんだっけ?」

また、理沙のやつは話をすり替えやがった。

「......そうだったな。あのときの鰻は本当に旨かったな。理沙なんてあの夜はすごかったからな、萌えて、燃えて......」

「......な、なにいい出すのよ! このエロガキ、じゃなくて、エロゴキっ!」

「そういや、おふくろ元気にしてるかな? 親父はあのあとおふくろとは一度も連絡が取れないっていってたけどな......」

「お母さん、元気だといいね。遼ちゃん......」

「ああ......」

「まあ、なんにしても、いろんなことがあった一年だったね。遼ちゃんも、何度も人間に戻ったり、ゴキになったり、忙しかったもんね」

BGMとしてつけている年末恒例の歌番組も終わり、全国各地の除夜の鐘の音がテレビから厳かに響いている。

「来年はいったいどんなことが待ってるんだろうな......」

「そんなことはまったくわかんないよ、遼ちゃん。けど、誰かがいってたみたいに、『人生って楽しんだもん勝ち』だと思うから、とりあえず、毎日を楽しもうよ」

「そうだな」

「遼ちゃん。今年一年、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」

理沙はこたつのなかに入れていた両手をテーブルの上に置くと、三つ指をついて、頭を下げた。

「理沙さん。こちらこそ、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いします」

俺もこたつのテーブルの上で頭を下げてそういった。下げてといってもわずか一ミリ程度のものだけれど。なにしろ、俺はゴキだからな。

テレビでは理沙がいつのまにかチャンネルを変えていた歌番組のカウントダウンが始まっていた。

理沙は突然立ち上がると、テレビのカウントダウンの数を口ずさんでいる。

こいつ、またあれをやるつもりだな。
理沙は毎年必ずこれをやる。
年越しの瞬間にジャンプをする例のやつだ。
まあ、よく飽きもせず、と思う。
けど、大人になってもこんな子供みたいなところをしっかり残している理沙も俺は好きだ。

俺も理沙と一緒にこれをやるのが毎年恒例だったのだが、このからだではジャンプができない。

「7、6、5、4」

俺は羽を広げて飛び立つタイミングを計る。

「3、2、1、明けまして......」

羽をばたつかせた俺に驚いて、さっきまで理沙が食べていた、半分ほど残ったカップ麺の年越しそばのなかに、理沙が俺をたたき落としたのは、新年を迎えたその瞬間だった。

今年一年、私の記事にたくさんのスキ、温かいコメントをいただきありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。


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