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「自分に目を向ける」の定義。

志賀一允は3年後の2024年、プロサッカー選手になる。

そのために3年前である今この瞬間、俺は何をすればいいだろうか。

俺が自分がゴールへの階段を登っていく中で考えていることは「いかにして自分を成長させるか」
そして自分を成長させるためには、自分に目を向けることが重要だ。


じゃあ自分に目を向けるには何をしたらいいのか。

何をすれば自分に目が向いているといえるのか。


今回はそれについて考えていく。これを読みながら、あなたも考えを巡らせてほしい。


自分に目を向ける。そのためにはまず、自分を知ることから始まる。

自分は何が強みで、何が弱みなのか。
自分は何が好きで、何が嫌いか。
どんな時に幸せを感じ、どんな時に不快感を感じるのか。
それを知るためにあらゆる出来事に目を向け、そこで自分がどんな感情になるのかを観察する。

自分のことを知ることができたら、次は理想とのギャップを知る。

今の自分の強みを、3年後の自分の強みと比べる。現在の強みで足りているのか。もっとそれを伸ばせるのではないか。弱点に対してもそうだ。3年後の自分は、今の自分が持っている弱点を克服しているのか。またどのように弱点をカバーしているのか。

この比較をしやすくするのは、同じ出来事に対して、今の自分がどう思うかを感じたうえで、3年後の自分はどう感じているかと比較することだ。

同じ出来事に対してどんな感情を抱くかを照らし合わせ、現在の自分との違いや差を知り、ビジョンに近づけていくために意識を変え、行動を変える。

その作業の繰り返しこそが成長であり、自分に目を向けるということだと思う。

自分に目を向けるということは、他人を介入させないということだ。

他者の存在は、自分をブレさせることがある。

スポーツに限らず、上を目指す世界で競争というのは当たり前だ。
しかし他者に目が向いていては、目の前のことに一喜一憂してしまうし、自分を見失ってしまう。

自分自身を振り返って、去年は特に、他者の存在に一喜一憂し、自分がブレてしまうことが多かった。チームが上手くいかないとき、自分はベンチで、試合に出れず、自分のことを過小評価されているような感じがした。

俺はもっとできるのに。俺はこんなもんじゃないのに。なんで評価してもらえないんだ。なんで自分がスタメンじゃないんだ。

そんなことばかり考えるようになっていた。でもそこで気付いた。

俺が目指す場所は大学でスタメンで出ることじゃない。プロになることだ。そのために、今試合に出ているかどうかなんて重要じゃない。大事なのは、プロになるだけの能力、人間性があるかどうか。もちろん試合に出なければ評価されない。しかし、試合に出ることはプロになるための通過点でしかないのだ。
大学ではとにかく結果を強く意識させられる。それをどこか窮屈に感じていたのは、自分自身が目の前の結果に一喜一憂していたから。しかし自分が目指す場所を明確に知っていて、今の自分に足りないものも分かっていれば、やるべきことは目の前の結果に対する一喜一憂ではなくプロになるための試行錯誤で、それが結果を掴むことにつながるのだ。

5月に書いたこのnoteで書いたように、いくら努力したって、その努力自体は評価されるべきではない。努力した先、ピッチで表現し、結果を残すことができるようになって初めて努力が評価されるんだと思う。その努力の質を高めてくれるのが、自分に目を向けることだと俺は思っている。


他者を介入させないという話をしたが、他者の存在が自分に気づきを与えてくれることもある。

よく、人を見て文句を言う人がいる。あいつは仕事ができないとか、ミスが多いとか、当たり前のことができていないとか。

他者のできないことに不愉快になったことは誰にでもあると思う。
もちろん俺にもある。俺は自分のやりたいことだけやったり、相手の気持ちを考えられない人が嫌いだ。そういう人を見るとなんで?って思うし、自分勝手だなと思ったりする。そんな感じで、他者、つまり自分とは違う人間に目を向けて、あーだこーだ言うのは簡単だ。

でも、それは実はもったいないんじゃないか。そこにも自分と向き合うためのヒントが隠れているんじゃないか。

そう俺が気付いたのは、この前ツイッターである言葉を見つけたからだ。それは

他人に対して「なんで?」と思ったこと。他人に対して不愉快に感じた言動や行動。それはその人には気付けていない、あなただけが気付けていることなんだ。つまりそれは他者には気付くことができないあなただけの強みである。

こんなことが書いてあった。この言葉を読んで俺は自分の中にある固まった概念がほどけていくような感覚になった。

自分が当たり前だと思っていたこと。それは他者にとっては当たり前じゃないことがある。

例えば、挨拶をすること。こんなのは当たり前である。
しかし、世の中に挨拶をしない人はたくさんいる。しているうちに入らないような人もたくさんいる。

しかし、もしかしたらその人は、挨拶はそこまで大事ではないと思っているかもしれない。または挨拶をしているつもりなのかもしれない。

挨拶に限らず、電車でお年寄りや体の不自由な人に席を譲らない人、道に落ちているごみを拾わない人など、あらゆる場面で判断は分かれる。そしてその判断理由も人それぞれだ。

だからこそ、他者を見て「なんで?」と思うだけなのはもったいない。

なぜなら、その気付きは、自分だけが気付けることかもしれないから。

その気付きを他者への愚痴に変えてしまうのはもったいない。自分が成長するために、自分を知るために、その人がなぜ席を譲らなかったのか。なぜごみを拾わなかったのか。それを考えたうえで、自分はどうか。自分は同じ場面でどんな行動をしているか。「俺にはできている」と感じたときこそ、自分を疑うべき。本当にできているか。相手にもちゃんとできていると思われているか。相手に伝わるくらい心を込めて行動できているか。

自分の「当たり前レベル」を知るためにも、他者の行動や言動は比較材料になる。他者との比較は悪いものとして扱われることが多いが、それは比較のたどり着くところが自分以外だからであって、比較した先に自分の成長。つまり自分に目を向けるというところに戻ってくるのであれば問題ないと思っている。

この世界に「他者の存在」がある限り、周りに目を向けないことは不可能だと俺は思う。だって、最高のライバルがいるから頑張れるとか、応援してくれる人がいるから頑張れるとか、そうやって周りの人に与えられるパワーだってあるし、さっき書いたように、周りの人に目を向けるからこそ、得られるものだってある。

自分が尊敬する人が日々どんな行動をしているのかに注目して学びを得たり、
尊敬できない行動をするような人を観て自分を見つめなおしたり。

他者という存在からあらゆる情報を拾って俺たちは自分を作り上げている。他者の存在は、成長するためのチャンスを与えてくれるのだ。


今までの俺は、「自分に目を向けることが大事だ」そう思って「自分だけに目を向ける」ことをやろうとしていた。

自分が他者から感じた感情を閉じ込め、「自分と向き合う人はこう考える」と、自分の中で正解だと思う考えを正当化し、それを行動に移していた。
だから、周りの人の行動は気にしないようにしてたし、それは自分にとって全く関係ないものだと思うことが正解だと思っていた。それによって、人に目が向いたときにそれを見なかったことにしている窮屈な自分が存在した。

自分だけに目を向けるというのは悪いことではないけれど、行動が自分という枠組みの中だけにとどまってしまい、自分軸でしか生きれなくなる。
大きく成長するためにはもっと良い選択肢があるはずだ。

他者を観て、自分が何を感じるのか。

「あいつは意識が低いな」
「あの人は尊敬できないな」

そんな思考をしまい込むのではなく、
そう思うことが間違いだと思うのではなく、

「その人はなぜその行動をしたのか」
「何を判断基準にしてその行動を取ったのか」

そうやって相手の心情を考え、時には直接聞いてみたりする。そうやって、自分とは違う思考を得ることができれば、自分の幅が広がり、成長につながる。


他者を見て自分が感じた「正直な気持ち」に対して、

成長するためにどんな意味づけをするか。

これが自分を成長させるために必要なんだと思う。

だって、他者がいる限り、他者を見ないことはできないから。
自分と向き合うということは、他者に全く干渉しないことじゃない。
他者を観て、何を感じ、何を得るのか。
良いことも悪いことも全て自分の「成長材料」

自分の正直な気持ちを感じ、なぜそう感じたのか。

・尊敬できる人を観て、「どこに尊敬してるのか」「なぜ尊敬されるのか」を考える。

・なんで?と感じたら、「どこが気に食わないのか」「なぜ尊敬できないのか」を考える。

その作業は、一見人に目が向いているように見えて、実は自分に目が向いている。


最初に観ているのは「他者」

しかし最終的には「自分」の事を考えているから。


だから、他者を観てヒントを得ることも一つの自分との向き合い方だと思う。

始まりは他者でも良い。もちろん自分でも良い。
どっちから始まっても、最終的にたどり着く先が自分の成長であることが大事だ。


それが自分に目を向けるということ。


だから俺は、自分に目を向けるために、

もっと自分のことを分析し、理解するとともに、

他者の言動や行動にも注目し、気付きを得る。


自分であれ他者であれ、観たものから気付きを得て、最終的に自分に還元し、成長につなげていくこと。


これが、自分に目を向けることの定義だ。

すべての思考が最終的に自分の成長にたどり着くから。


俺自身、まだまだ他者に目が向くし、間違った方向に行くことも多い。しかし、3年後の俺は、こうやってしっかり自分に目を向けて毎日を過ごしている。3年後の俺ができているんだから、今の俺にできないわけがない。

今日もまた、自分と向き合い、成長し、一歩でも二歩でも、ビジョンに近づいていく。


このnoteがあなたにとっての「気付き」になってくれたらうれしい。


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