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【AI vs. 教科書が読めない子どもたち】基礎読解力は読書量とは無関係!?

はじめに

何のきっかけだったか忘れたが、「読解力」の話題になり、そういえば、前に、新井紀子さんの「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んだことがあったなと思い出し再読。

本書は2018年出版と、5年以上も前なので、あれから読解力に関する言及のアップデートあったのかなと思い、youtubeを漁ったところ、こちらの動画も発見したので見てみた。

一に読解、二に読解、三、四は遊びで、五に算数

新井さんは、歯に衣着せぬ物言いをされる方で、個人的には好きなのだが、本作の最後の方に、学校教育に必要なものは「一に読解、二に読解、三、四は遊びで、五に算数」と述べている。

基礎読解力がないと、国語のみならず、算数・社会・理科などありとあらゆる教科で、そもそも文章題を把握できないので、解けないと説いている。基礎読解力は子供だけに限らず、大人になって仕事をする上でも必要になってくる。そういう意味で、一番大事なのは基礎読解力である。

自分は、大学受験までは読解力に関しては、軽視というか認識もしておらず、理系で数学や物理の方に興味があったが、社会人になってからは読解力の重要性を痛感する機会が増えた。読解力があれば、どんな教科でも独学で進めることができるし、仕事をする上で自分の意図を正しく伝えたり、相手の意図を正しく汲み取ったりする上でも読解力は必要不可欠である。すべての土台であり、人生を左右すると言っても過言ではない。

「読解力」の重要性はわかったが、そもそも「読解力」とは何なのか?

みんな、読解力、読解力と言うが、皆が読解力と言う際に思い描いている「読解力」は果たして何なのか?「読解力といえば、国語。国語と言えば小説。小説を読み解いていくもの」というなんとなくふわっとした定義がありそうではあるが、、、、

新井さんは二つの文章の例を出して、読解力を定義している。

読解力とは何か?読書量とは関係がない!?

まず、こちらの文章。太宰治著の「女学生」の一説。

次に、「日食」に関するWikipediaの説明文。

この2つは、同じ文章と言っても、全く説明方式が異なる。

ここで見てわかるように言語には大きく2種類ある。

  • 学習言語:知識を体系的に伝えるための言語(例:教科書、新聞、事典)

  • 生活言語:学習言語以外(例:SNS上でのやり取り、小説)

先ほどの例でいうと、日食のWikipediaの説明は「学習言語」であり、太宰治の女学生は「生活言語」である。

そして、新井さんは、「学習言語の読解力」を、、、

続きは、こちらで記載しています。


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