見出し画像

「人の気持ちを考えなさい」と言われて育つ

の気持ちを考えなさい」と言われて育った。
でも、
自分の気持ちを考えなさい」と言われて育っただろうか。


友達の使っているおもちゃを横取りして、泣かせてしまったとき

「あなたも横取りされたら嫌でしょ。相手の気持ちを考えなさい。」

とは言われても

「どうして横取りしてしまったのか、自分の気持ちを考えなさい。」

とは言われない。

大人になる過程で、
「人の気持ち」を考えるように、と促されることは多々あれど。
「自分の気持ち」を考えるように、と促されることはどれほどあるだろう。
___

初めて「自分の気持ち」に真剣に向き合ったのは、
就活や受験だという話も聞く。

「あなたは何が好きなの?」
「どんなことをしてきて、どう思ってきたの?」
「どうしてその道にすすみたいの?」

と「自分の考え」に加えて「自分の気持ち」を考えることを求められる。
そして、ようやく「自分の考えや気持ち」について真剣に考える。

スムーズに答えを用意できる人はどれくらいいるのだろう?


このように掘り下げていくのは、
正直なところ、自分一人では難しいと思う。

もちろん、自分一人でできる人も少なからずいる。
そんな人が就活や受験の勝ち組になりやすい一面もあるのだとも思う。

でも、そういうひとはプロ(面接官)からすると
きれいごとを並べているだけだったり、
面接のために組み立ててきたのが見え見えだったりする。

一方で、
自分一人で掘り下げるのが難しかった人が、不器用でも、

「自分を俯瞰したり、掘り下げたりしたりして、自分の気持ちを大切にしたら、
この道を進みたいと強く思った」

ということが伝えられると、これは本当に強い。

その伝え方がたどたとしくても、
どんなに緊張していても
面接官の心に響く答えになる。

面接官からすると、
そういう答えをしてくる就活生、受験生に対して
「人」として心の距離がぐっと近くなる。
興味を持つ。

では、自分一人で掘り下げるのが難しい人はどうすれがいいのか。
自分ではわかりにくい。第三者に頼りたい。

…が、先生や先輩が安易に関わるのは、とても危険だと私は思っている。
下手をすると余計にこじらせる。

先生が危険なパターンは、
「こうあるのが良い」といういくつかの型を先生が持っていて、
そのどれかにあてはめようとする場合。
本人は、そんなに単純に気持ちを整理できないから苦しんでいるのに、
型にはめられようとすると余計に苦しくなる。

先輩が危険なパターンは、
先輩が経験者、成功者として関わるとき。
「先輩に比べて私は…」と自己肯定感を下げるきっかけになるのが危険だ。

___

就活にしても、入試にしても、
その人がそこを受けようとするからには、
なんらかの背景をその人がもっている。

それが本人がそれを
自覚できていなかったとしても。

それに気づくのは、深く堀り起こすことが必要かもしれないし、
俯瞰で見ることが必要になるかもしれない。

この方にとっては
カウンセリングがよいきっかけになったようで、本当によかった。


この方がカウンセリングにいきつくために、

小学校、中学校……そのワードが脳内をぐるっと回ったのち、
う、っと味のしない何かが喉につまります。(上記記事より引用)

という自分の状態を、自分自身で認識できていたのがとても大きな要素。

私はカウンセラーでもなんでもないけれど、
個人レッスンの中で、自分の状態を認識してもらことから始めることが多い。

なぜか私が話し方レッスンをしていると、
自分の気持ちを自覚したり、
伝えたいことの本質が見えたりするらしく、
いつのまにか、「話し方」そのものよりも
「やりたいこと整理」「志望動機」「面接」などについての
個人レッスンが増え、
最近では遠方の受験生や就活生からも、
オンラインのレッスンを依頼されるようになった。

「話し方」に悩む人は、
「どう伝えるか」という伝え方の方法に囚われている人も多くいて、

「本当に伝えたいことはなんなのか」
「伝えたい自分の気持ち」

などの

「何を伝えるか」

を置いてけぼりにしていることがある。

レッスンしていくうちに「何を伝えたいのか」に気づけるようになり、
その結果、これまでより「自分の気持ち」を考え、気づきやすくなる。

「人の気持ちを考えなさい」と同じくらい
「自分の気持ちを考えなさい」と言われて育ったら、
伝え方、話し方もきっとうまくなる。

書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。