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「役に立つ機関車になりたいんだ」

防災無線の声がしているのに、何を言っているのかさっぱりわからない。
あまりにも雨が激しくて聞こえないのだ。

携帯からは聞いたことのない着信音が響く。
エリアメールらしい。

「ママ、怖い」

3歳の娘が抱きついてくる。

防災無線を怖がっている。

テレビをつけても、ラジオをつけても、
自分の住んでいる地域がどうなっているのかはわからない。

情報の範囲が広すぎる。

確か、この地域は浸水の可能性は低かったはず。
内水ハザードマップを探す。

土砂災害もここは大丈夫だったと思うけど
防災マップも探す。

あ、そうだ。

「うちの周辺は大丈夫そうだし、ネット上にもあるから」

と配布された冊子は捨てたのだった。

こうなってみて初めてわかる。

自分の家のある場所だけでなく、他の場所の情報も必要だということ。
こういう時は、サーバーが混んでいて
ネット上のマップを見ようにもなかなか繋がらないということ。

避難所となっている学校もすぐ近くだけど、
すぐ近くの学校へ行く道でさえ、一部が浸水していたら通れない。

ああ、そうか。

ある程度の災害対策と知識を持ち合わせていたつもりだけど、
いざとなると詰めの甘さばかり感じる。

断続的な停電はあったものの、
幸いネットも通じ、
マップも確認できた。

場所的にも我が家が流されたり、浸水したりという心配は少ない。

ただ、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムで
見慣れた場所や懐かしい場所、
ここまでもという場所で
浸水したり、
車が流されていたり、
土砂が流れ込んでいたり、
犠牲者がどんどん増えて行くのを知ると
落ち着いてはいられない。

もしも、の想定もできた。
最悪の事態になったらこうしようという想定もした。

心配は少ないとはいえ、市内全域に避難勧告が出ている。

優先すべきは、こどもを不安にさせないこと。

録画していた「きかんしゃトーマス」には救われた。

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雨が上がって今日は青空が見える。
我が家には被害はなかった。
被害があったといえば、家で過ごす時間を持て余し、
絨毯にまで子供に落書きされてしまってとれなくなったくらいだ。

一方で、県内も、周辺の県も被害は甚大だ。

FBでは被害の甚大さと、支援情報、生活情報があふれている。
みんな、なにかしようともがいている。
なにかしたいともがいている。

それにひきかえ、
今回のこの甚大な災害に災害対策本部が設置されたタイミングといい、
大雨災害で大変な最中にもかかわらず、
東京のキー局たちの番組編成のあり方といい、
もやもやする。

東京に台風が来ている時の方が、情報多くない?
すべての番組を休止して、台風関連の情報ばっかり流してない?
そんなときは、
西日本は全く平常運転でも、否応なしに東京の台風情報を流される。

それなのに、なんだろう?
こんなに甚大な災害で、
現状、どこでどうなっているのかという情報を得ようと
テレビをつけても通常番組に逆L字のみ。

ああ、日本は本当に東京中心なんだな、ともやもやする。

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それでも、災害を心配する友人たちから連絡をもらう。

大丈夫?何か必要なものがあれば言って。

その声かけが嬉しい。
幸い、我が家は心配ない。
必要なものは通常通り揃っているし、ライフラインも問題ない。

「深刻な被害を受けた人たちの役に立ちたい」

そう思う。

あちこちで言い尽くされているが、
今は寄付などのお金の支援が一番良いのかもしれない。

それでもどこか
「お金だけ出して手を出さない」
という罪悪感だったり
やるせなさだったり、
自分は何もしていない気持ちになったりしてしまう。

自分の「役に立ちたい」思いを満足させるために
人は支援したいのかもしれない。

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大雨の中、子供と見ていた
「きかんしゃトーマス」のなかに繰り返し出てくる言葉がある。

「役に立つきかんしゃになりたかっただけなんだ」

何か失敗すると
「ぼく、役に立ちたかったんだ」
とトーマスがいう。
トップハム・ハット卿が、
「役に立つきかんしゃというだけじゃなく、すばらしいきかんしゃだ」
というのは最高の褒め言葉だ。

毎回でてくるこの言葉。

人間の根本的な欲求をあらわしているのだろうか。
きかんしゃトーマスの作者について詳しく知りたくなった。

「役に立ちたい」という思いをどう満たすか、

実際に現地を訪れる、
物資を届ける、
それができると、自分の「役に立ちたい」という思いは満たされやすい。

そして「寄付」。

寄付するだけの余裕がないくても「気持ち」を寄付すればいい。

寄付は、きっとお金だけじゃない。

被災地に心を寄せるという
<気持ちの寄付>もきっと
「役に立つ」

だから無力感を感じないで。


愛媛県松山市より いちえ

書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。