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事業づくりを通して、子どもたちに誇れる未来を

一心不乱に絵を描き続ける5歳の娘。

その様子を眺めながら「僕はこの子や次の世代に何を残せるだろうか…」と思う時間が多くなりました。

2022年1月のいま39歳。おおよそ人生の折り返し地点。自己紹介を兼ねて過去・現在・未来を棚卸しました。

新規事業に携わる人や、社会課題解決に興味関心をお持ちの人、資格を仕事やどう活かせるのかお悩みの方にとって、ひとつのサンプルとなれば嬉しいです。



自己紹介

はじめまして、北村和久と申します。

事業創造デザイナー・中小企業診断士として、SIer・一般社団法人・個人の3軸で活動しています。

いずれも自分の強みや興味を起点にし、シナジー(相乗効果)が生まれるようなジャンルに絞っています。

1.システムインテグレーター(SIer)
自社の新規事業開発


2.一般社団法人
社会課題解決のための産学連携・オープンイノベーション創出

3.個人
中小企業や個人事業主の新規事業・デジタルマーケティング支援、執筆、ビジネス思考法セミナー講師、ワークショップファシリテーション

この活動軸になるまで、いろんな回り道をしてきました。


10代

「繋いで、届ける」人になりたかった

小さな頃の夢は、新聞記者になることでした。

三重で生まれ、横浜で育ちました。文明開花の起点になった開港都市。ものごとの成り立ちや歴史を調べるのが好きで、人に取材をしたり、勝手に学級新聞をつくったり。

いまや、誰もがソーシャルメディアを通して発信できる時代になりました。僕も当時の夢とは違う人生を歩んでいます。

ですが、人と人を結び何かを届けるという本質を追っている点は、あの頃と変わらない気がします。

小学生時代。社会科がやたらと大好きでした


ゲームが教えてくれた「没頭」

物心つくころに「ファミリーコンピュータ」と出会いました。

以降、ドラクエ、FF、聖剣伝説、ロックマン、パワプロ、シムシティ、信長の野望、オウガバトル…

RPGからは、ストーリーと成長の喜びを。
アクション
からは、ついやってしまう仕掛けを。
シミュレーション
からは、俯瞰と戦略の視点を。

数えくれないくらい沢山のことを教えてもらいましたが、いちばんの喜びは「フロー体験」つまり没頭できる時間そのものだったかもしれません

あの時間を僕らに届けてくれたクリエイター、製造、流通、小売のみなさん。ありがとう😌

↓ゲームの視点に気づいたエピソード


音楽が教えてくれた「ルーツ」

大学入学後、友人から沢山の音楽を教えてもらいました。バイト代のほとんどをレコード屋とライブハウスに費やす日々。

UKロック、オルタナティブ、パンク、エモ、エレクトロニカ界隈はとことん聴き漁りました。フジロックにも10年間は通ったでしょうか。

音楽を通して知ったのは「ルーツ」を辿ること。タワーレコードの発行していた『Bounce』の「People Tree」を読み、人と音楽の繋がりを遡っていきました。

源流を辿ると見えることがあるものです。

↓人生でいちばん聴いたThe Get Up Kidsの『Something to Write Home About』。
USエモパンクでありながら、The CureやNew OrderなどUKロックに多大な影響を受けていました。繋がりは面白い。



20代

物語が教えてくれた「人の本質」

20代前半、文学小説に没頭していました。

村上春樹、池澤夏樹、いしいしんじ、藤沢周平、夏目漱石、司馬遼太郎…

人の喜怒哀楽や清濁併せた本質は、物語が教えてくれました。ビジネスの世界に入る前に小説に出会えてよかった。心から思います。

一定のビジネススキルがついた今だからこそ、わかります。その基盤にある「人」としての感覚が大切なのだと。


野球が教えてくれた「熱量」

学生時代、小説と並行して没頭したのは野球サークル

大学から始めたこともあり、まぁ、下手でした。プレーでは活躍できないと早々に思い知り、それでも貢献できる道を探して務めたのが、スコアラーと幹事長。

データの記録と洞察。メンバーのケア。コンパや合宿の企画運営…観察して動く習性が養われました。

そして目標に向かう熱量誰かのために一生懸命になる喜び相手をリスペクトする価値観を、野球から教えてもらいました。

大学生時代。横浜スタジアムにて


営業の本質

2005年に新卒入社したSIer。法人営業を12年経験しました。通信メディア・広告代理店・製造小売・流通…

上司や先輩、そしてお客さんから「売り込む」ではなく「聴く」こと、「相手の真の課題を探し、解決策と繋げる」ことが営業の本質だと教えてもらいました。

数字はアレでしたが…教えは今も胸に残っています。



30代前半

誰に価値を提供できているのか

法人営業の後半期はマネージャーも経験。優秀で熱意あるメンバーのおかげで楽しい日々でした。

でも、忙しさにかまけて何かを置き去りにしていました。ある日ふと、その正体に気づきます。

誰にどんな価値を提供できているのだろう。

数字だけではない何かを生み出したい。その結果、誰かの役に立ちたい。

2014年。夕焼け


雌伏の時期

自分なりに一生懸命にやっている。でもうまくいかない。理由がわからずもがいている…

そんな時期は誰にでもあるでしょう。僕にとって30代前半がそうでした。

その時期をいかに謙虚に、力をつけながら過ごすか。仲間の成功を応援できるか…ひとりで事は成せない。振り返って強く感じます。


転機

2015年頃。お世話になっていた会社の取締役とサシ飲み。夜が更けて酒が進んだころ…

君はこのまま営業を続けるのかい?今の仕事が君のほんとうの価値かい?

その一言が僕にとっての転機となりました。

本当にしたいことは何か。誰に何を提供するのか。誰のために人生の時間を使うのか。その仕事に志はあるのか?

実際に飲んでたのは…キンミヤだったはず


砂上の楼閣を知る

時を同じくして2015年6月頃。当時TACで中小企業診断士講座の教鞭をとっていた遠藤直仁先生の講演「日本の危うい現状」を見ました。

ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。

生まれ育った日本はいまこんなにも砂上の楼閣なのかこの現状に蓋をしているのは他ならぬ自分自身ではないか…と。

そこから遠藤先生の肩書のひとつ「中小企業診断士」をひたすら調べました。

1次7科目。2次4事例。頑張れば仕事をしながら取得できるかもしれない…やってみよう。その先に何かが見えればよいな。

受験生当時のメモ「なぜ診断士を目指すのか」


新しい命のために

この頃、妻の妊娠が判明します。治療のうえ待望の新しい命を授かり、その神秘に触れられたことは、この上ない喜びでした。

内外で起きたライフステージの変化。

「徹底的に何かに打ち込む経験をもう一度味わいたい。趣味ではなく、人生全体を動かすようなレベルで」

そんな想いに突き動かされました。

2016年。生まれたばかりの娘と対面


約2年、2000時間かけ、2017年末に中小企業診断士試験に合格できました。 2次試験の再挑戦時は、ずっと使い続けられるような「カルテをつくる」ことを意識していました。


その一方で、妻にはたくさん負担も迷惑もかけてしまいました…感謝と懺悔しかありません。

この頃の想い、どんな勉強をしたかを「中小企業診断士試験 一発合格道場」に寄稿させて頂きました。
そこから縁あって道場の9代目メンバーとなりました。「きゃず」というニックネームは、そのとき使い始めたものです。



30代後半

真実は目に見えない

診断士合格前後、社内で希望して営業→事業推進→経営企画に異動させてもらいました。

事業推進ではボトムアップ型の新規事業プログラム立ち上げ、経営企画ではグループM&Aに伴うPMI事務局を経験。

目に見えない所に真実がある…経営と現場双方が「想い」を交わす大切さを思い知りました。

僕らが向かい合うのは組織の「機能」ではなく、感情をもった「人」なのだと。

先生業向けスクールで仲間から頂いた色紙。



動くと縁が縁を呼ぶ

中小企業診断士になり「診る・聴く・書く・話す・創る」を沢山経験させてもらいました。

実感したのは、動けば機会があり、縁が次の縁に繋がること。

意識したのは、「できること・やりたいこと・必要とされること」の輪。スキル・ワクワク・貢献を最大化できる領域を探索していきました。

少しずつ、少しずつ。

中小企業診断士としての4年間を、スキルセット別に棚卸


Giveこそものの上手なれ

試験合格後、先輩の勧めで診断士エッセンスの社内有志講座を何度か企画運営させてもらいました

フレームワークの意図と使い所を整理し、伝え、使ってもらい、磨き、再現性を高める…

最も恩恵があったのは僕自身でした。教わる近道は教えることと気づかせてくれた先輩。感謝しかありません


資格について思うこと

僕個人は、資格コレクターには興味がありません。

資格は目的ではなくあくまで手段であり、目標地点のひとつに過ぎないと思うからです。資格があっても能力の証明にはならないし、偉いということもありません。

けれど、一定以上継続して努力(勉強)し続けられるいうサインにはなります。その立場でないと入り込めないネットワークやコミュニティも存在します。

それを活かして何を志し、何を成そうとするか。その人自身の生きざまが問われると感じています。


現在

人と社会の幸せな未来のために

2019年、所属元副社長(当時)のもとで一般社団法人社会システムデザインセンター(SSDC)を立ち上げ。

「IT企業とAI・ロボットの科学者が手を取る。夢の実現・社会課題解決のための事業をつぎつぎ起こす。その”苗代”のような場をつくるんだ

…少年のように眼を輝かせながら話をする副社長。何度もその話を聴くうち「次世代の土となりたい」と想いが募ります。

ある日「この組織に僕も参加させてください」と直訴。翌週には、設立メンバーのひとりとして参画させてもらうことになっていました。

SSDCの概念図。「夢の実現」と「社会課題の解決」を追う


「よい土」を耕そう

こうして僕は「社会の役に立つ新規事業をつくる」イントレプレナーになりました。

とはいえほぼ何も知らない状態からのスタート。

Web、書籍、セミナー、弟子入り、企画運営、応募、仲間づくり…プログラムをつくるため沢山の回り道をしました…

『アントレプレナーの教科書』『スタートアップ・マニュアル』訳者の堤孝志さん、『業界破壊企業』『だから僕たちは、組織を変えていける』著者の斉藤徹さん始め、先人に弟子入りさせてもらいました。


診断士でも、新規事業やスタートアップに関する最新の手法・理論を知り経験を共有できる場は限られています。ならばつくってしまえ…と、2020年には増渕健二さん、田中悠太さんらと任意団体「アントレプレナーシップ研究会」を立ち上げました。

結果的に「よい土」が何なのか、自分がどんな土になるべきか、だんだんと分かるようになりました。

回り道は無駄足ではないんですね。


熱の生まれる”場”をつくる

こうしてSSDCを起点に創った「場」が「事業創造デザインプログラム」です。

学生や社会人が垣根を越えて繋がる。社会に役立つ事業づくりの原理原則を学ぶ。実践し、事業化の可能性を仮説検証し、実際に立ち上げていく。そんな活動が循環するための場。

日本にはさまざまなアクセラレーターが出てきつつありますが、もっともっと必要です。

SSDCシンポジウム2022 中の人としてインタビューいただきました!!


未来へ

新規事業のワクワクを届けたい

ひとりでも多くの方が、新規事業やイノベーションに挑戦してワクワクできるようなきっかけとなりたい

そのために価値ある情報を届けるべく、筆を執っています。

たとえば、新規事業関連書籍のフェーズ別解説記事。事業創造デザインプログラムの参考書籍をもとに書きました。


次の目標は、新規事業に携わる人から参考書籍に取り上げてもらえるような書籍を書くこと。▼の記事は、その土台になるようなものを目指した約28,000字の教科書。おかげさまで、note新規事業開発関連カテゴリの人気三冠を頂きました。


大切なものは何?

新規事業においては、提供するサービスの「原点」により方向性が大きく変わります。そしてそれはずっと後のフェーズで表出化してきます。

だからこそ大切な価値観・原体験を言語化しています。自分のことは意外と自分でもわからないもの。

伝えてみよう。周りから聴いてみよう。

2021年11月に言語化した「セブンルール」


事業づくりを通して、子どもたちに誇れる未来を

僕には2つ夢があります。

  • 子どもたちに、誇れる未来を渡すこと

  • 子どもたちが誇れる未来をつくれるよう、きっかけを渡すこと

ひとつ目は、自分たちがつくる事業を通して。ふたつ目は、事業のつくり方を通して、渡していくつもりです。

次の世代が自分らしい芽を出せるように。自分は土となろう。


長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

新規事業を通した社会課題の解決や夢の実現に興味のある方。資格の活かし先を考えている方、次世代のために何かしたい方へ。
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自己紹介:事業を創る人の伴走者
著者は具体的にどんな仕事をしてサービス提供しているの?と気になった方、研修・伴走・執筆などの仕事依頼をしたい方は、こちらをご覧ください。



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