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脳みそのモンダイ

 アルツハイマー対応薬が国内承認されそうな気配だ。アルツハイマーで苦しむ方々にとっては期待を寄せる朗報だろう。

 アルツハイマー治療薬と言えども根治させる薬剤ではなくその進行を遅らせる効果、可能性がある薬だとのこと。長きに渡る臨床試験を経て厳しい審査をクリアーしてアメリカでFDAが認可したのだから相応の効果はあるのだろう。

 完全根治療法ではなく対処療法だと思うがこれまでの薬とはその作用機序や直接的な原因物質を取り除く効果があるという。評価として進行スピードを遅らせることができることは素晴らしいことだと思う。
 だがそれはそれとして老年期の過ごし方として果たしてそれでよいのだろうかと疑問は残る。若くしてアルツハイマーならば話は別だが。
 幼少のころ曾祖母がいた。4人の祖父母も元気すぎるぐらい元気だった。
 曾祖母は僕が小学校二年の時に90代後半で自宅で天寿全うしたが晩年は当たり前としての認知症が当たり前として進み毎朝起きてから眠るまで玄関前の庭を見渡せる座敷に座り毎日毎日じっと庭に来る鳥や猫を見ていた。曾祖母の後ろ姿、逆光のモノトーンの記憶が僕の中にある。
 後から親類に聞いた話ではその曾祖母は1875年(明治9年)生まれだったという。つまり僕が幼少期、 明治一桁生まれの人間とかかわっていたということになる。あくまでも曾祖母だが。曾祖母は自然にその躯体も脳もフェードアウトをした。
 因みに坂本龍馬が暗殺されたのは1867年のことだ。

もっと深読みすると1875年は中国が多分まだ清の時代、さらに曾祖母の両親は 確実に江戸時代の人だということが容易くわかる。 幕末を通り越して鎖国の頃の人だ。 当然の如く歴史は時間が途切れることなく繋がっていることを体感する。
 母方の方の祖父は僕が高3のころに亡くなったのだが水産加工会社を経営していて僕がまだ幼少のころに、県内第一号車というイタリア、Vespaの大型スクーターを乗り回していて時々細長いシートの後ろに僕を座らせ海岸線をぶっ飛ばしていたりした。僕はそんなじいちゃんに後ろから全力でしがみつきぎゅっと眼を閉じていた。
 時としてダットサンのパトカーを瞬時に追い越すようなこともしていた。作業着とスーツをその日の計画により着替えるのだが、それぞれが別人に思えていた記憶が今も鮮明にある。
 歳を重ね体は自然と老朽化して小さくなる。頭もそれに合わせて老化する。いわゆるぼけるというやつ。今ではぼけと言う言葉自体が禁止用語みたいになり認知症と呼ばれるようになったが。それはそれで自然ではなかろうかとも思う。
 年を重ね体は老化して大なり小なり病も抱える頃に頭だけがはっきりとしているってのは生物学的に大いなる矛盾があるのではなかろうか。これは見方を変えたらとても残酷で不幸せなことかもしれない。要は「生きる」ということに対しての観念だとは思うが、僕はぼけるということに合わせて「悟り」の境地があらたに脳内に展開するものだと思っている。長年生きてきて酸いも甘いも体験、経験してきたからこそ出来る悟りの境地。それが死への恐怖感を打ち消すものだとも思う。世間には90才過ぎても矍鑠としている人もたくさんいる。100を越えても尚。だから一概には語れないし年相応の肉体と脳の衰えの調度、バランスだと思う。
 若年性のアルツハイマーであれば新薬の登場は素晴らしいことであると思うと同時に、老年後期それなりの脳の老化を肉体の老化とは裏腹に引き延ばしてしまうのはやはり僕個人の意見としては矛盾を感じざるを得ない。
 老いて運動能力が幼少期に戻っていくように脳もその流れでいいと思いますが。
 
 80才を越えたポールマッカートニーがオーストラリアツアーを行うという。3時間クラスのスーパーライブ。同じく80才を越えたミックジャガーがスリムな体型でステージを跳ね回るニュース映像が流れていた。きっと彼らの脳は特別なんだなと思う。

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