アメリカの庭も隣の中国の庭も青くない

※帰国してから再編集しました。この文章自体は2016年12月時点で書いたものです。

米国に来て1年ちょっと。

FacebookのタイムラインやLineニュースは何気に心の支えの一つです。ぶっちゃけ、かなりどーでもいいことばっかりがニュースになっていてそれを嘆き、憤る友人のスレや、ゴミみたいな報道を賑わせるクソリプを観ていると、香ばしい日本を懐かしまずに入られません。

そんな中で、意識の高い方々が

「アメリカはすごい」

「日本みたいな国からイーロン・マスクは生まれない」

みたいな。まあそうかも。

「ジャック・マーすごいね」

「今の中国に日本は勝てないな」

まあそうかも。

「でもアメリカって雑だし、中国はコピーばっかり」

「民族の勤勉性とか礼儀正しさで言うと日本人ってすごいよな」

まあ、そうかも。

ただ、一つ言えるのは、どの国の可能性も、国民としての態度も、総量としては対して変わらんということ。

よく、

「中国人とか韓国人て固まるよね」

という人がいる。たしかに日本人よりややその傾向は強いかもしれない。でも、ミッドタウンのピアノバーや居酒屋に行くと日本人だらけ。

「でも、中華街とかコリアンタウンみたいに日本人街てないよね」

いや、LAには今は変わったけどリトルトーキョーがある。ニューヨークのイーストビレッジの一部は日本人街の様相を呈してきた。駐在員が住むのは家族持ちだとウェストチェスターあたりで、独身ならフォレストヒルズあたり。奥さんたちは5thアベニューあたりで集団でお買い物。解りやすい日本人街ができなかったのは、我々が敗戦国で、強制労働に連れてかれたりして、連合国の都市部に街区を創るようなことなどできなかったから。

「中国人の金持ちが大挙アメリカに行っている」

これは事実。でも、アメリカ人に言わせると、

「1990年頃は日本人だらけだった」

経済活況している国がアメリカで勉強したり、ビジネスしに来たりする。成功者の子供がニューヨークでデザインや音楽などを学ぶ。日本人が25年前にやったことを10年前に韓国人が、今は中国人がやっている。

「アメリカ人の教育システムはすごいエリートを輩出しつづけてるよね」

これも事実。ザッカーバーグはハーバードだし(中退だが)、ジョブスの出たリード・カレッジは日本では無名だが、名門校に学生を送り込む名門リベラルアーツ群の一つ。(アメリカでは、こういう名門カレッジがいくつもあって、ここで幅広い英才教育を受けてから著名ビジネススクールに編入するのが典型パターン)イーロン・マスクはプリンストン卒業。確かにエース級はすごい。ただ名門での大学教育の内容やシステムが素晴らしいかというと、そこまでではない、と通ってみて思う。

僕の通うニューヨーク大学はアイビーリーグ校でもないし、僕の専攻はMBAでもないので教授の質は違うから偉そうなことは言えないが、それなりのトップスクールの一つ。(社会人学部だけどね)

そこで思うのは、バカは存在するし、頭良さそうにポーズとるのがうまい(よく発言する、教授とよく話す、プレゼンのとき仕切るなど)だけの奴がいい成績取れたりもする。もちろんキレッキレのやつもいるけど、日本の大学で一定数出現するレベルと変わらない気がする。

宿題の量が異常に多いのと、アウトプットを人に伝える力を磨く授業スタイル(テストよりもプレゼンや発言、説明力が重要)は大きな違いではあるが、勉強の内容自体は超絶難しいわけではない。何故なら先述の微妙な奴らもそれなりにパスしているのだから。

中国の内情を考えてみる。

ニューヨーク大とかに来るような学生は、ほぼ確実に良家の子女か経済的に成功した家の人達だ。共産党の幹部の子もいる。クラスメイトの半分以上は中国から来た子たちである。日本でよく中国に対して思っていることを、彼らとの交流を通して得た情報で反駁してみる。

「中国人って日本の悪口言うくせに日本製品とか大好きだよね?」

まず、彼らは日本製品が大好きである。同時にアメリカのものも好きだ。ヨーロッパブランドだって好きだ。簡単に括ると、高品質なものや、それを体現しているブランドが好きなのである。日本のものは高品質、という点で好んでいるのだ。もちろん、中国の物価水準から考えると高く、関税もかかる。なのでお金持ちしか買えなかった。このことが、日本製品所持をステイタス・シンボルに変化させ、中層の人達の免税店での「爆買い」につながっているのだ。

同時に、やはり中国製品はパチモノが多い。これは中国人も自覚している。街の屋台で、団子と称してゴム球を売るなんて普通。安いものには安い理由があると言うのは常識。むしろある程度高価じゃないとと安心できない。そういう社会背景がある。

日本のコンテンツについて。ミレニアル世代はみんな日本アニメの大ファンだ。アイドルも大好き。僕の中国人クラスメイトの殆どは、スラム・ダンクを愛し、ドラえもんを愛し、エヴァに夢中な少年期を過ごし、日本の最新アニメにアンテナを張っている。「嵐」のニノと桜井くん、どっちがいいかの話で異常に盛り上がる。ビジュアル系バンドにハマって、そのためにスプリング・ブレイク(春学期の途中に一週間ある休暇)をつかって代々木体育館に行く。

この、日本製品好きと日本コンテンツ好きを紐解くと、面白いことが解る。日本製品好きの第一因子は品質だ。そしてそれがもたらした日本というブランドである。コンテンツも、この日本ブランドの恩恵を受けている。ストーリーや作画が丁寧であること。同時に、コンテンツもまた、日本製というステイタス・シンボルの傘下にあるので、日本のコンテンツを楽しむ=イケてる、という風潮はある。一方で、中国人にとっての日本コンテンツにはもう一つの大きな魅力がある。それは、アジア製のコンテンツであることだ。

アジアの同胞意識というより、アジア人にしかわからない表現や文脈というものが確実に存在する。ヨーロッパ系はまったくピンとこなくてもアジア人はぐっとくる。これは、中国に限らず、韓国も、タイも、ベトナムも同じ。もちろん、見た目が近いアジア人がマンガの中で躍動すると感情移入しやすい、という点もあるだろう。が、ガンダムや鋼の錬金術師のような、アジア人が脇役クラスになっている世界観でも熱烈信者がいる点で説明がつかない。

先日、マーケティングのクラスでクラスで、トヨタのCMを紹介した。2015年に「泣けるCM」で話題になった、Safety Senceの長尺動画。父の視点と娘の視点でクルマの安全と家族の幸せを表現した、名作である。

Loving Eyes -Toyota Safety Sense (YOU TUBE)

授業のお題は、機能的便益(Functional Benefit)を訴求しない施策例。ともあれ、この動画のあと、中国人の女子半数は、泣いた。アメリカ人女子は、ゼロである。

クラスのあとにちょっと泣いてた女子に、どう思ったか聞いてみた。

「お父さんとのこと、いろいろ思い出したら泣けてきちゃった。」

「父はあまり語らない人で、愛されてるのか解らなくて、10代の頃は反抗しまくりの悪い子だった。でも、気づかれないように守っててくれたのは、今はわかるんだ。ほんとに、今はお父さんが大好きで、尊敬してる。。。」

と言いながらまた涙を流していた。こっちももらい泣きした。

この感覚、アメリカ人にはピンとこないらしい。(父親は)もっと抱きしめればいいのに。守ってあげていることをちゃんと表現しないと、守られてる側は嬉しくないよ。みたいな。

ともあれ、我々アジア人には、共通のツボが存在する。それは、物語やデザインに良く現れており、アジア人の心にだけ、すっと入り込む表現というものがある。翻って、ヨーロッパ系は、このアジア人のツボを不思議に感じ、未知に感じ、そこに憧れのような興味を抱くことはある。時にexoticという表現で括られる(異国的というよりは、自分の観念にない、自分の環境では一般的ではない、だからなんか惹かれる、みたいなニュアンス)が、アジア人同士が得る共感とは違う。

---ここから帰国してからのレビュー

自分で読み返してみて、在米当時の気持ちが蘇ってくる。

何故、東アジアの民はこんなにいがみ合うのだろうか。

何故、お互いの上下を作って比較し、蔑んだりするんだろうか。

アメリカという第三国にいると、日中韓、もちろん台湾も、同じ歴史を共有してきた「フィーリングが一致する民」であることが確実に自覚できる。

政治というフィルターが取り払わているから、かもしれない。

でも、日本人が無意識に愛している「西欧文化」の中で過ごしてみると、我々アジアの民は、めんどくさいことを端折って、心で通じることが出来る仲間なんだと、しみじみ感じる事ができる。同時に、その「西欧文化」の中では、僕らは確実にエイリアンなんだと自覚できる。

明治時代の誰かの伝記か関連記事に書いてあったのだが(たしか松岡洋右に関するやつ)、日本人の留学経験者は、留学先を愛して止まない「かぶれ」になるか、むしろ憎んで無条件愛国主義になるかだ、という。

極端だと思うが、わかる気がする。

その辺の話はまた別の機会に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?