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子育ての話。

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無理なく、でも最大限の「私らしい子育て」を実践中。
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記事一覧

行きしぶりっ子、1ヶ月休まず学校に行ったよ!

昨日は小学校で保護者面談でした。 これまでも投稿してきましたが 現小4娘は、小1のときに行きしぶりが始まり オルタナティブスクールと学校、両方に通う登校スタイルを 3年間続けてきました。 (小3の3学期だけはスクールと適応指導教室) そんなこんな、3年間いろいろ考えて行動して 行きつ戻りつして 新学期は学校からのスタートと決めた娘。 できる限りのことをしようと思い 始業式の日に校長室面談させてもらい そして4月は休まず登校しました。 娘が安心して過ごせる場所・人・時

宿題って必要??〜完結編〜

宿題って必要か、否か、 私の考えを書いています。 前回の記事はこちら。 教員時代は当たり前に宿題を出していました。 毎日のチェックが大変すぎる、とは思っていたけど みんなやってるからやるのが当たり前で常識で 「そういうもん」としか思ってなかった元教員です。 それから、子どもが小学校に上がり、 何事にも意欲・理解力・実践力のある娘が 学校には行きたがらないし、宿題やりたがらないってことで 「学び」とは?と考えるようになって 宿題は意味がない そう思うようになったことを

宿題って必要??

宿題の有無について 教育を考える人たちの中ではよく話題にあがります。 まだほとんどの学校で当たり前に宿題はあるけれど 少しずつ なくすorあり方を改める 方向に 動いているように感じます。 嫌々やっても実にならない 「学び」ってもっと他にある 家庭の負担 チェックする先生の負担 私もいろんな理由があって、 なくしていいんじゃないか、と思っていた。 でもまた少し考えが変わってきたのが最近。 私は教員だったので、宿題を出していた側です。 その当時は、宿題を出すことは当

働き方も子育ての悩みも、ピンチをチャンスに!

子どもたちの行きしぶりに向き合ってきて4年目。 先日、1週間元気な「行ってきます」が聞けている、と書きましたが 2週目は危うい空気もありつつ?ですが 今のところ行っている状況です。 行きたくない理由は一つではないのですが 娘を見ていて、またいろんなお子さんの話を聞いて 感じるのは 学校では「自分のまま」でいられないことに 苦しさがあるなぁ、と。 授業では やりたくないな、つまらないな、と思っても 「やりなさい」 「書きなさい」 「話を聞きなさい」 「先生の方を向き

「実は」困ってるのかもしれない

新学期が始まって1週間、 うちの子たちは、毎朝「行ってきます」と 自分の足で家を出ています! 当たり前のことかもしれないけど 我が家にとっては当たり前ではないのですー 小学校1年生の1学期から行きしぶり 民間のスクール×学校を選択してきた娘 そんな選択肢を知っているからなのか 行きしぶり遅刻でなんとか登校する弟 多様な学びを選択していい時代になってはいるし 子どものたちのおかげで得たものは大きかった けれど 3年間葛藤の日々だったなぁぁ それらを経て 今年はまた

何のために生きてるんだろう?何がしたいんだろう?

私は今、心を込めて、そしてがんばって、 発信したり講座をしたり教育の活動をしたりしていますが、 なぜやっているのかというと、 その根っこにあるのは、 「無価値感」がとにかくつらかったこと があります。 自分の存在が役に立っている気がしない ここにいる意味があるのだろうか 周りはみんなすごいのに、自分は全然ダメだ 仕事も家事育児も、 咎められるどころか、よくやってるって言われていたけど、 私自身が自分に価値を感じられなくなってしまい、 本当に本当にしんどかったのです

我が子たち、そして私の修了式

卒業、修了おめでとうございます🌸 昨日は子どもたちの修了式でした。 いつもと変わらずバタバタして 帰ってきて 友達ん家いくだの連れてくるだの バタバタして ご飯食べてお風呂入って バタバタして眠って 起きてみて あ、今日から春休み あ、1年終わったんだ とやっと体感した朝です。笑 改めて、1年よくがんばったー と思ったら泣けてきた どうしても気が張っちゃうタイプで 無事に終わるように みんなが幸せでいられるように、と 神経張り巡らしてたことにも 改めて気づく

心揺さぶられてわかった、自分の幸せの基準。

昨日の夜から、今朝にかけて、 何度も「泣いた」。 グッとくることが多すぎて。 一つ目、昨日の夜、アニメ「PLUTO」を観て。 二つ目、今朝、息子と話してて。 三つ目、髭男「チェスボード」を聴いて。 PLUTO(プルートウ)は、 人工知能ロボットと人間が共生する世界の話なんですが、 ネタバレになっていたらすみません、 ほぼ人間に近いけれどプログラムされたロボットたちがいて 夫婦だったり親子だったりするんだけど 旦那さんロボットが死んでしまい 気丈に振る舞う奥さん

行きしぶりの葛藤。学校への希望。

めっちゃ葛藤してます。 息子が、遊びたいから今日は遅れて行く、と。 私の考えの上では、子どもの主体性が大事だし 今遊んでる中に(姉とごっこ遊び)彼にとっての大切な学びが詰まってるなぁと感じるので 気の済むまでやって欲しいと思うけど、 本人に聞いたら、学校は行く、でももっと遊んでから、と。 今はそう言ってるけど、 学校に遅れて行くと本人も気まずくて 入りにくいんですよね。 私自身も、気まずい。 アウェイ感あるもん。 これでいいんだ、って堂々とできない、 まだまだ脱ぎ

大人も子どもも、凸凹を活かしていこう!

昨日、元教員で現在はフリースクールを経営する方と インスタライブをしました。 いろんな話が出たけども、 そこでお互いにそうだよねーってなったのは、 大人も子どももみんな凸凹だよね ってところ。 個性とか、その人らしさとか、 そういうところが伸びていくこと そういうところを活かして役に立っていくことが その人にとっても、社会にとってもいい。 つまり、元々の凸凹を活かすのがいい。 だって、元々持ってるものだもんね。 それが個性であり才能の源だもんね。 今はすんなりそ

見た目じゃわからない。自分の心の中心にあるもの。

先日は、時間に追われ、やることに追われ、 ついに息子に言いたくないことを言ってしまった・・・ という記事を書きました。 仕事も精一杯やれることはやりたい。 自分の役割を果たして 社会に貢献する自分でありたい。 けど、我が子を大切にしたい。 その本当に大事にしたいことを大事にできる自分でもありたい。 その狭間で揺れ動くのって 自分らしさも、その子らしさも、みんならしさも大切にしたいからなんですよね。 こう書くと、我ながら、「なんて尊いんだ」なんて思ってしまった。笑 イラ

忙しすぎて、つい息子に言ってしまった・・・

3月に向けて、見事にいろんなことが重なって、 だいぶアタフタしています💦 昨日の夜は 急遽イベントチラシを修正する必要が出てきて 夕飯食べながらLINEして 食べ終わってPCに向かって たまたまインスタLIVEの日付が間違ってるのに気づいて 訂正の画像作って、すぐさま投稿して PTAのLINEも入ってきて返信して そしてチラシの修正かけて 送って… 大変だったけど、そこまではいい 自分で今やると決めてやってるから だけど、 そうやって焦りの気持ちで動いていると あれ

唯一無二って面倒だ。

自分らしさ  自分の心地よさ を大事にしていこうって風潮?ありますよね。 ありますよね、って私はそれを言ってる側の人間でもあります。 しかも、発信して、講座とかして、声を大にして伝えてます。 そんな私は、 自分の「自分らしさ」「心地よさ」がよくわからない それを掴むのがとっても苦手でした。 だからこそ、伝えてる、大事なんだと訴えてる。 だいぶ解像度は上がってきたけど いまだに、あれ?ってなる。 それを当たり前にできる人だったら そんなの息を吸うようにできるよねって

教育を「より良く」〜息子の宿題から思うこと〜

小1の息子、音読の宿題。 「どうぶつの赤ちゃん」 発達段階的に、まだスラスラ文章を読めない。 ストレスを感じながらやってる。 成長には多少の負荷が必要だと思うけど かなり負荷がかかると いやになっちゃうよなー 段階に合うものに変えてもらおうか 短くするか 何か手立てをとりたいなー 全員同じ、やはり無理があるよなー と傍らで見て聞いて考えていました。 今度は中身にフォーカスして、 ライオンやらしまうまは 赤ちゃんがこれからを生きていけるように 自然の法則にのっとり