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心揺さぶられてわかった、自分の幸せの基準。

昨日の夜から、今朝にかけて、
何度も「泣いた」。

グッとくることが多すぎて。


一つ目、昨日の夜、アニメ「PLUTO」を観て。

二つ目、今朝、息子と話してて。

三つ目、髭男「チェスボード」を聴いて。


PLUTO(プルートウ)は、
人工知能ロボットと人間が共生する世界の話なんですが、

ネタバレになっていたらすみません、

ほぼ人間に近いけれどプログラムされたロボットたちがいて
夫婦だったり親子だったりするんだけど

旦那さんロボットが死んでしまい
気丈に振る舞う奥さんロボット。
(もうこれだけで人間と同じ)(そんなことプログラムされてはいない)

泣いてもいいんだよ、って言われて
声を上げて泣くシーンがあったんです。

ロボットだから「悲しみ」とか感情がないはず。
消そうと思えば記憶も消すことができる。

けど、旦那さんとの思い出は消したくないし
その悲しみを受け入れる奥さんロボットをみて
耐えられなかった・・・



二つ目。

今朝も息子は「学校つまんない」と。
そっかそっか。
ドッチボールは?最近やってる?って話から、
この間授業参観で学校行ったとき
ドッチボールして友達とけんかしてたよね。

「よくけんかする。」

そっか、ドッチボールしてけんかするなんて
最高に大事な仕事してるよねー

「なんで?けんかすることが大事なの?」

横にいた娘が「ごめんね」って伝え合うのって大事だよね、と。

そこに行き着くまでも
ちくしょーって思ったり
言わなきゃよかったなと思ったり
気まずくなったり
どうしよう、ごめんねって言おうかなって考えたり
そんなに心動かして考えて行動してって
めちゃくちゃ大事なことだよね。

「向こうからごめんね言う時もあるし、おらから言う時もあるよ。」

そっかー、
そうやっていろんな気持ち抱えながら
自分で考えて悩んで決めて行動してるって思ったら
おかあ泣けてきた。

「うわ、ほんとだ」


涙もろいのか、感じやすいのか、歳なのか、

でも、ほんとに、子どもたちは
私が見てないところでどんどん吸収して大きくなってる。
そう思ったら、嬉しいやら寂しいやら、いろんな気持ちが込み上げてくる。



そして、そんな感傷的になっているところに
娘をフリースクールに送る車の中で流れた

「チェスボード」

涙腺崩壊。

酸いも甘いも、白も黒も、理想も現実も、
「人生」が描かれててグググッときてしまった。


幸せと悲しみの市松模様

綿毛みたいに風まかせ
飛べた頃を羨むけど

大きな歩幅で ひとっ飛びのナイトやクイーン
みたいになれる日ばかりじゃない
からこそ躓いた 進めずに引き返した
そんな日にも芽生えてる
あなたの足元から 足跡から
繰り返しも迷いも後悔も旅立ちも全て



私、起きたことを最善と思うことや
ポジティブに変換することに違和感があって

それもわかるし、なんでも捉え方なんだと思うんだけど、

その前には
苦しみや悲しみや痛みがあって
それを無いものにしたくない人間なんだなと
自分の涙を振り返って思いました。

「ストレスフリーな幸せ」を描いた時期もあったけど

「それも含めて生きるという幸せ」が私には合ってるみたい。


幸せの価値基準は人それぞれだし、
タイミングでも変わってくる。

今はいろんな価値観が情報としてどんどん入ってくる。

自分の幸せがわからなくなる。
自分のことなのに。

何がしたいのか、何が好きなのか、何がほしいのか。

自分の幸せを「誰か」「何か」に預けてしまいたくない。
自分の手でちゃんと握っていたい。

だからこそ、動いて、感じて、"自分の"  "本当の"  幸せを求めていたいなと思った。




子どもたちのためにも、大人が自分らしさを発揮しなくては!
行動して未来を切り開いていく人になるための方法を書いています。

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