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ロシア語ロシア文学事始め

 私の母校は北海道大学ですが、入学した時、最初からロシア語やロシア文学を学ぼうと思っていたわけではありませんでした。そもそも私は大阪生まれで、高校卒業までは京都。なぜ北大に進んだのでしょうか?

 私の脳内には、中学生のころから、なぜか常に「北の国から」のBGMが流れていました。「自分は北海道に行ってそこに骨をうずめるのだ、北大に落ちたら牧場で働こう」と真剣に考えていたのです(ちなみに、牧場でのアルバイトは大学2年生の夏休みに実現しました)。

 北大生を観察すると、道内出身者には優等生が多いのですが、“内地”から北大に進学する学生は、こういう“憧れ派”と、より偏差値の高い大学に落ちた“でもしか派”が半々でした。私は典型的な“憧れ派”です。

 というわけで、まずは場所(北海道と北大)ありきで、何を学ぶかは後から決まりました。高校のときにコンラート・ローレンツの動物行動学の本『ソロモンの指環』を読んで、「北海道で動物行動学をやろう!」と決めたのです。ただ、私は理数系科目がドのつくほど苦手。調べてみると、北大文Ⅰは二次試験に数学がなくて国語と英語だけ、おまけに文学部の中に行動科学科動物生態学講座という、私にぴったりの場所があったのです! まだ願書も出していなければ試験も受けていないのに、高3の私は、もうそこに入ってキタキツネやヒグマやエゾオオカミを追いかける自分を想像していました。

 いよいよ北大に願書を出す、という時になって、願書をよく見ると、入学後に学ぶ第二外国語の希望を書く欄が。独語、仏語、中国語、ロシア語の四つから一つを選べ、とのこと。独仏はいつでもどこでも学べそうな気がして、中国語かロシア語か迷って、結局中国語に丸を付けました。パール・バックの『大地』を読んで中国に行ってみたいと思っていたのですが、その中国と、トルストイの『アンナ・カレーニナ』のロシア(これしか読んだことがなかった)とを比べた結果、中国に軍配が上がったのです。

 中学高校とソフトボールしかやっていなかったとはいえ、その時点での私の読書経験は、今考えると、少なすぎる上にすさまじく偏っていたと言わざるを得ません。ただ、その時は、「あくまで事前に人数を把握するために希望を聞いているのであって、正式な選択は入学後にするのだろう」と気楽に考えていたのです。

 ところが、いざ合格して入学してみると、なんと願書で丸を付けた第二外国語は、単なる希望ではなく決定でした。すでに第二外国語のクラスが編成されて担当教官も決まっていて変更はできない、とのこと。そういうわけで2年間、週4コマ、中国語を勉強することになったのです。

 中国語クラスの最初の担任は『西遊記』を翻訳した中野美代子先生という超個性的な人物でした。中野先生にはその後、中国文学も教わり、中国語や文学の勉強はかなり面白く、3年生の夏にはバックパッカーとして40日間中国を旅行したりもしました。心は、徐々に中国に傾いていきました。                                    (写真は国後島の夕焼け)


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