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日本語でコーチングを始めて以来、日々、私のコーチィ(クライアント)に連呼している言葉がある。それは「自分軸」。この言葉を自己啓発系の日本人の誰かが使っていて、「ある感覚」を総括するのに便利だな、と思った。

誰かにコピーライトがある言葉なのか、どうして今人気があるのかは知らない。でも、自己啓発系に興味のあるクライアントは知っているようで、その「ある感覚」を一瞬で表すのにとても便利だし、クライアントにも、私にもしっくりくる。

その前まで、私のコーチングは英語のみで、この「ある感覚」を一言でハイライトする必要性がなかった。でもクライアントが日本人になった途端、この感覚をあえて言語化する必要性を感じた。なぜだろう?

その「ある感覚」とは何か?結局、「自分軸」とは何だ?

「軸」というイメージだから、「バランスを崩さず、自分で立っている」という感覚なんだと思う。それは「自立」ではないか?そうなのかもしれない。「自分軸」において、「自立」は最重要な要素だろう。

では「自立」とは何だ?

多くの人は、経済的な自立や独立を考える。私のクライアントはほぼ全員、すっかり経済的自立をし、一人暮らしやご家庭をもっている方々だ。しかし、私は、コーチングで言うところの「自立」を連呼している。どういうことか?それは、思考や感情を含めた精神的自立、生活の自立(一人でご飯を作ったり、健康管理ができるかなど)が不足していると感じるからかもしれない。

「自分軸」や「自立」を考えるとき、私はいつも、Kahlil Gibran (英読:カリール・ギブラン)の預言者が言う「the pillars of the temple stand apart(神殿の柱が離れて立っている)」を思い出す。私たちはそれぞれが柱で、真っ直ぐ立たないと、屋根をサポートすることができないし、近すぎるとバランスが悪く、崩れ落ちてしまう。柱が真っ直ぐ立つことは各人の「自立」で、屋根は「関係性」を表すであろう。屋根、すなわち関係性に歪みや崩れ落ちる問題が生じるとき、それは関係性の前に柱がちゃんと真っ直ぐ立っているか見定める必要があるだろう。

ちなみに、このフレーズは、預言者が、結婚でのパートナーのあり方を語っている一部で、カップルでさえ、「stand together yet not too near together(一緒に立つが、近づきすぎない)」と教える。

西洋哲学をベースにした文化圏の人にとって、特に私のいる北欧において、個人の思考・感情を含めた精神的自立、そして生活・社会の自立は、文化と教育に深く根ざしたものである。これは、伝統的な日本や日本文化にとって、相反するものなのかもしれない。言葉や学んだ概念として理解はしていても、個人や社会の習慣や実感にそれが落とし込まれていないと感ぜずにはいられない。だから、「自分軸」と言ったとき、理解はできるけど、風習や文化に織り込まれていないので、本当に「自分軸」をもちたいと思うなら、具体的なHOW・どうやって見つけて、育てていくの?を考えることが必要なのではないだろうか?

昭和・平成までの日本では、日本の常識・文化圏だけで、社会や人間関係は回ってきた。令和の今、「自分軸」が叫ばれている理由には、もう柱が他の柱をサポートする限界に来ているからだ。(それについては、今どうして「自分軸」なのか?」をご覧ください。)

そんな最中にコーチ業を始めた私としては、クライアントが自分軸の必要性に気づき、「じゃぁ、どうやって見つけて、育てていくの?」を考えていくプロセスを個々のペースで育てていくのをサポートしたい。(これについては、コーチングは、「未来型のツール」をご覧ください。)

とは、日本語でのコーチングを数多く実践した後、感じたことだ。

「自分軸」って何だ?は、もっと続きます。


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