note用

「私、たまたま生きてる係なの。」

さて、春になると自己紹介する機会が一気に押し寄せてきます。
今回のnoteは、私と初めましてをする人には必ずする話なのですが、そろそろ文章として残しておきたくて綴ってみました。私にとって生きるとは何かというお話しです。

「人ってなんで生きてるんやろか。」

もしかしたらみなさんも一度は考えたことがあるかもしれませんね。でもこの言葉が頭をよぎった4年前の当時、私は実家のベットでただ天井を見つめながら起き上がることもできず、ひたすら眠りこける日々を繰り返していました。鬱病でした。

上京して1年目、当時スタジオ勤めだった私はハードワークとメンタルのストレスで体を壊してしまいました。悔しい思いをしながらも窓の外を眺めることしかできず自分を責める日々。

「1年目で挫折て…」
「もっとできると思っていたのに」
「私生きててなんか意味あるんやろか」

答えは出ないまま、死ぬのもめんどくさい、でも死んだらどんな感じなんだろう...いつもなら通り過ぎてしまうようなちょっとした疑問でも、負のスパイラルで延々と考え込んでしまう衛生状態とそのための時間だけはありました。

ある時、ふと香川県にあるアートの島・豊島に旅行で訪れた時に出会った内藤礼さんの作品「母型」のことを思い出しました。

そこは自然と魂の仲介所のような空間

一面真っ白の空間にただ一つぽっかりと空いた穴は光で中とを繋ぎ、
空気は夏でも一定の冷んやりとした温度を保っているような場所。
素足で大地を感じていると、地面の至る所から水の粒子が生まれては傾斜をたどり、するすると大きい水溜まりの一部として吸い込まれて行きます。
ただただその行いが繰り返されるだけです。

私は地面に頬をつけてその一連の行いを眺めながら、
「もし人に魂というものが存在するとして、私が死んでしまって魂だけになったなら、この場所に還りたい。あの世もこの世も等しくここみたいなところだったらいいのに」
という感情が芽生えたのを思い出しました。

(画像はベネッセアートサイト直島より抜粋)
※美術館内部は撮影禁止なのでご注意

作品を見て、当時のこの特別な感情を大事に残しておきたくて、
私だけのキャプションとして持ち帰りました。

やがて少し気力が回復して歩けるようになった時、不意に豊島での記憶が蘇った私は、内藤礼さんがどんな思いで作品と向き合っているのか気になり始めてしまいました。

そして本屋で見つけ出した内藤礼さんの著書
「地上はどんなところだったか」
に出会います。

そこに書かれている彼女の作品の根源にあるものについて、著書から一部抜粋して記しておきます。

"地上に存在することは、それ自体祝福であるのか。
内藤さんの作品の根源にあるのは常にそのシンプルな問いである。
つまりは、生きているとは、それだけで喜びであるのか、と。
そして彼女は、自らのその問いに対し、常に熱烈に「イエス」と答えたがっているように見える。死んだ人に問うて「イエス」と聞き、これから生まれてくる人に「だから、おいで」と優しく耳打ちする。
それは生の属性である汚れや苦悩を見ぬふりしての綺麗事ではない。彼女の細い指はどれほど深い闇からも朝露のような生の輝きをすくい取ることができる、そして、ほらね、と嬉しそうに手のひらに載せ、儚くふるふると光る粒を私たちに見せてくれるのだ。"
(中略)
"「わたしはたまたま生きてる係なの」
そう言ってひっそり笑う人は、地上に、わたしの隣にいながらにして、同時にいくつもの次元を往還する、羽のような眼差しを持っているらしい。"

この一文に出会った時、私は感動して涙をこらえながら
本を抱えてレジに向かったことを今でも覚えています。
「この辛さや苦しみも次の人達に伝えれば昇華できるかしら。」と。
人生を全力で肯定しつつも、綺麗な部分だけでなく泥臭い部分も生の輝きの一部として含んでいるところ、またそれを伝える役割を「係」という立候補してもしなくてもなれちゃうような小学校の役割ポジションに置いている音の響きがとても気に入ってしまいました。彼女の作品に出会ったあの日、きっと私は彼女からの祝福を感じていたのかもしれません。

叔母が教えてくれた「生きてる係」の役目の一つ

内藤礼さんの作品と連動して、幼少時代に叔母がくれた言葉の話を書きたいと思います。

「いい?かずなちゃん、私が死ぬのをよく見ておきなさいね。」

当時の私はよくわからず、悲しくて怖くて泣き叫ぶのみでした。改めて言葉の意味を考えると、彼女が私への人生最後の教えとして「死」をもって周りの人たちの動き方や人生の組み立て方、一生の終わらせ方を見て学び取れという事だったのだと思います。彼女はその身をもって次世代に生き様を伝えようとしてくれました。良いも悪いも全部含めて色々と教えてくれた。まさに生きてる係だったんだな、と幼少時代の自分がやっと納得してくれました。

歴史を見てもその通りで、
先人の知恵の積み重ねがあったから今私達は遠くの人ともすぐ情報共有できたり身近な話河豚も安全に食べれるわけです。
だから私も、偶然生まれ落ちた身ですがどうせ生き抜くのであればきちんと次に残して置いてあげたい。人生綺麗事ばかりではないですが、それも全部見せて次の人が変な苦労をしないようにしたいし、時には酒の肴になってくれても良い。
どんなことも活きれば嬉しいな、とそれ以降は私も「生きてる係」を名乗らせていただきながら生きています。
今色んなことにチャレンジしてみたり前向きに生きているのも、根源にこの出来事があったから。現在の肩書きはフォトグラファーですが、肩書きや職業にとらわれず色んなものに触れて「こんな人生もいかがでしょうか」と次の人達にお見せできたらいいな、と思います。

これからも「生きてる係のかずなさん」を宜しくお願い致します。

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