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人生を振り返って(自己紹介)

今回は少し趣旨を変えて、幼少期から現在までの自己紹介をしようと思います。※すぐ消す可能性有

僕が生まれたのは、関西の総人口2万人ぐらいの超ど田舎の町だ。
電車は1時間に1本しか来ないし、冬は豪雪、夏は猛暑。
消防団や地区の集まりなど、地域密着型の町だった。

父、母、兄と自分の4人家族で、今は家族仲は良好だが、昔は苛烈な兄弟喧嘩ばかりしていた。

幼稚園、保育園の頃は殆ど覚えていないが、どちらかというとかなり活発なほうだったと思う。
良く周りの大人には、良く虫を捕まえてくるからバッタの大将などと呼ばれていた。
小学1年、2年の記憶はほぼないが、どらえもんや遊戯王、ポケモンなどがとても好きで、親にゲームボーイアドバンスとポケットモンスターサファイアを買ってもらった時は心底喜んだ記憶がある。
比較的に地元では裕福な方だったので、小学生の頃から水泳や剣道、習字など色々習うことが出来た。

小学3年生の時に、とても悲しい出来事があった。
当時はそこまで自分では認識出来ていなかったが、今考えると悪夢としか言いようがない。
顔面神経麻痺(ベル麻痺)原因不明の病気で、1万人に1人の確率らしい。
親の話では、夜に僕が突然ジュースが飲めなくなったと言って、顔を見たら左側が全く動いていなかったらしい。
親の立場からしたら突然片側顔が動いていない息子を見たらめちゃめちゃ怖いだろう。
小学3年生だったからまだ良かったが、これが中学生以降の多感な時期になっていたら恐ろしい。
この顔面神経麻痺はとてもやっかいで、うる覚えだが、約1ヶ月入院、全身麻酔の手術を6時間以上、1日~2日間の絶食絶飲だった。
しかも1年間のリハビリのために病院に通い、それでも完璧には治らない。
良い意味で、小学生の頃は馬鹿だったため本当に良かった。

小学生高学年の時は、塾に通わせてもらったが、勉強は出来ていなかった。
今考えると、視力が良くなかったのに、眼鏡が嫌で見えない状態で授業に受けていることと、そもそも勉強が得意ではないこと、ゲームや漫画などの誘惑に負けやすいことなどだろう。
親には本当に申し訳ないことをした。

今考えると何でだろうと思うが、中学の時は余りにも見た目に無頓着だった。そもそも清潔感が皆無ということもあっただろう。
周りは優しい友達ばかりだったのが救いだ。
勉強は逃げに逃げていた気がする。
読書と国語は好きだが、他の教科は嫌い。
今思えば、数学はともかく、社会や理科、英語などお金を払ってでも学びたいことをなぜ、学ばなかったのか悔やまれる。

普段遊んでいたメンバー3人と共に高校へ進学した。
農業高校で、作物や果物の作り方が学べる。
通常の5教科+実習が加わる形だ。
クラスは40人で、女性は1人
この高校で3年間男ばかりで遊んでいたせいか、女性と喋ることが殆どできなくなっていた。
もちろん彼女ができることはなく、男臭い青春だった。
そして、進路を選ぶ際に当時の僕は何を血迷ったのか、学校推薦で調理の専門学校へ進学した。
高校で食物を良く扱っていたこと、母親の料理がとても上手だったこと、料理できる男性はモテそうと思ったこと、進路に迷っていた時に、たまたま調理系の本を読んだのが原因だろう。

地元から離れて、1人暮らしをしながら居酒屋でアルバイト、調理学校へ行く日々だった。
今思えばこの1年が本当に辛くて大変だった。
基本的に居酒屋のアルバイトは週4、5だったため、1日のスケジュールは朝9時~16時まで学校、17時~22時までアルバイト、22時~22時30分まで賄い夕食、家に着くのが23時くらいだったため、そこから風呂やテレビを見て2時に就寝を繰り返していた。
この専門学校の時に、先輩の話や、自分の適性、労働環境など総合的に考えて、自分は飲食業界は辞めようと決めた。

その後、地元の企業へ新卒で入社した。
この時は女性との出会いにとても飢えていた。
ただ、生まれつきの赤ら顔というコンプレックスがあったため、まず1年かけてVビームで治療した。
これは本当にやって良かったと心底思う。
この治療をしていなかったら、今も女性と話せていなかった。
Vビームで赤ら顔を治療完了し、20歳の時は女性と出会うために色々やった。
まずは女性との会話を慣れるために、当時流行っていたSkypeの掲示版で話しかけ、、声劇や人狼ゲーム、モンハンなどのゲームを一緒にやっていた。
ただ、人口2万のど田舎にSkype掲示版をやっている人などいるはずもない。
ここで会話の自信をつけて、次はマッチングアプリなどを複数やってみた。
そもそもこんなど田舎にいる女性は既婚者か、高校生のため、一切出会えなかった。どうみても無理ゲーだったため、アプリは即諦めた。

その次は、地方紙に乗っていた、婚活、友活イベントにひたすら参加した。
これがとても良く、色んな女性と知り合えることが出来た。
ただ、番号は交換できたが、20歳の男が相手にされるはずもなく、番号を交換しては死番を繰り返していた。

これじゃあ駄目だと思い、当時33歳絶望男の孤軍奮闘日記というブログを読み、これだ!と思ってナンパというものを試した。
実際に行動に移すのにかなり時間がかかり、21歳の時に初めて行動した。
今でも鮮明に覚えているが、地元で通っていたフィットネスジムで、座っている女性に、「今日意外と空いてますよね?」と声を掛けた。
この時は心臓が破裂しそうなぐらい脈を打ち、一瞬で滝のように汗が流れ落ちたように思う。
もちろん会話は数回で終わったが、自分の中で何かが変わった気がした。
そこから地元のイオンモールやショッピングで挨拶兼出会い目的で声を掛けていた。
目標はもちろん、彼女を作り、一緒に泊まりの旅行へ行くこと。
そして何と、ナンパを始めて6日目くらい、合計12声掛け目で物凄い綺麗な女性とイオンに併設されている飲食店へ食事を一緒にすることができた。
何気に女性と2人だけでご飯を食べるのは初めてだったので、緊張しすぎてご飯の味はしなかった。
凄く幸せだったのと、何とか連絡先を交換出来て、放心した。

その女性と毎日LINEをして、より好きになっていた。
LINEの返信頻度が早くて、夜はひたすらLINEをしてたように思う。
出会って20日後に何とか昼からデートにこぎつけることが出来て、向こうから地元の美味しい蕎麦を案内して、と言われたため、事前にお店に行き、何度もシュミレーションした。
当日合った時は、こんな可愛い女性がいるのだろうかと再び思った。
蕎麦→ゲームセンター→耳かき専門店と向こうが行きたい所をリクエストしてくれて、一緒に行く。
向こうも好感を持ってくれていて、女性と人生で初めて手をつなぐことが出来た。
そして、カラオケでキスをして、お酒を飲んでいないのに、クラクラするくらい心が揺れていた。
昼に出会って気づけば夜になり、カラオケを出て、もう少し一緒に居たいと伝えて車でホテルへ向かった。
ホテルの駐車場で向こうの女性から衝撃的な言葉を伝えられた。

「私、既婚者なの」

一瞬時が止まったし、何を言っているのか理解するのに時間が掛かった。
改めて聞いてみると、結婚生活が5年目で、小さな子供もいる。
旦那さんが全然甘えさせてくれないし、寂しかった。
簡単に言うとそういう話だった。
絶対にばれないし、ホテルでイチャイチャするのは全然いいよ!と言われたが、童貞の僕は当然躊躇し、結局その日はそのままホテル行くことなく、解散になった。
初めて手を繋いで、初めてキスをして、彼女が出来るかもしれないという期待や喜び、既婚者と分かってそれが叶わないと知った時の絶望感、色んなものが混ざってその日は号泣した。
LINEもブロック削除して、もう連絡を取れるはずもない。

この時、色んな価値観が変わったように思う。

今は出会いの無い、ど田舎から出て、都会に住んでいるが、田舎に比べて圧倒的に出会いがある。
もし出会いのが無いという人は絶対に都会に出てきたほうが良い。
今後の人生どうなるか分からないが、後悔しないように生きていきたいと思う。








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