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最大の学びは教えることで得られる

生涯学習であるとかリスキリングという言葉が、いろいろな場面で聞かれるようになっていますが、そんなに頑張る話ではなくても、世の中はどんどん変わっていくので、いつも覚えることはたくさん出てきます。スマホを使っているだけでも新しいサービスは増えるし、今年はAIにあれこれやらせるための呪文を覚えたヒトも多かったのではないでしょうか。

お仕事的にもIT業界の端っこにはいるので、未だに数年にひとつくらいは新しいプログラミング言語を覚えたり、新しいデバイスを使うためのフレームワークを試したりすることは続いています。そんな技術の話ではなくても、会社をやっていればインボイスの仕組みを覚えさせられたり、毎年、ややこしさの増す行政手続きを勉強する羽目にもなっています。

子供の頃から勉強といえば、自分で本を読んだり問題を解いて覚えるタチで、あまり授業が役に立ったという記憶はないのですが、そういう意味では学校を終えようとずっと勉強が続いているわけです。覚えることはまあまあできるのだとは思うのですが、他の人に教えるという経験はそんなにありませんでした。それでも大学院になった頃には学部生に研究についてあれこれ教える立場にはなりますし、TAのバイトは生活費の足しに少しはなりました。まあそれらは十分に自分が得意なことについて教えていたので、あまり苦労することもなかった気がします。

自分で学ぶのであれば、自分がわかるようになってしまえば、それで充分で、別にどの部分がわかりにくいとか、間違えて覚えやすいなんていうことを気にする必要はありません。逆に言えばわかったつもりになっているだけで、深く理解できているのかといえば少し怪しいところもあるわけです。それに対して人に教えるということは、特定のひとりに教えるわけではないので、多くの人が理解するのにハマるところであるとか、良く間違えてしまうところについて、しっかりと説明しなければなりません。

今年はひょんなことから大学で講義をするようになったので、自分が教えることについて、いろいろな角度から調べ直しました。教えるということは、相手が理解したかという答えが得られるので、なるほど、こういうところで躓くのかという具体例をたくさん知ることが出来ました。なかなか自分では思ってみない、予想外のところで引っかかることが良くわかりました。おそらく慣れているからこそ、経験的に危ない橋を避けられる能力が備わってしまっていたようで、どこに落とし穴があるのかを知ることが出来たのは新鮮でした。

そういう意味では、自分にとっての学びとは自分で必要なところだけを知ることで終わっていたのに対して、人に教えることにより学ぶ対象の全体像というか背景まで知ることが出来て、これこそ自分にとっての最大の学びでした。いやいや学ぶということには終わりが無いのですね。

ヘッダ写真は、東京農工大学にお邪魔した時の自撮り写真。ちなみに教えているのはここではありません。

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