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[短編小説] 春待燈(はるまちあかり)~美保関燈台・禄剛崎灯台

【能登半島の皆さまに寄せて】
 この度の石川県能登地方の大地震および津波により、被害に遭われた方々へお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
 十数年前、寝台特急北陸に乗って能登・金沢を訪れました。レンタカーを借りて能登一周をし、珠洲市の民宿に一泊しとても手厚い歓迎をしていただきました。食べきれない程のお刺身などの夕飯で、お腹も心も満腹になりました。
 珠洲の町を歩くと、なぜか僕の故郷である旧平田市と同じ空気、時間が流れているようで、不思議と懐かしさを感じて心穏やかになったことは、今でも心のどこかの安らぎになっています。
 禄剛崎灯台は能登半島の突端にある灯台です。
 その能登一周で感じた思いが、この小説を書こうとするきっかけになったのは間違いありません。
 まだ余震も続くものと思います。その不安を思うと何とも言えない思いになります。義援金という形でしかありませんが、支援させていただきます。
 少しずつでもいいので穏やかな思いを取り戻していただけるよう、心より願っています。


 エンジンを止めヘルメットを脱ぐと、湿気を微かに含んだ潮の香りに包まれた。
 静寂の中に、波の音が聞こえる。また来ることができた、という実感とともに、青い空を見上げながら深く息を吐いた。

 カスタマーセンター二部のリーダーとなって半年。
 クレーム対応はただでさえストレスが溜まるもの。加えて、部下の指導、管理も行わねばならないとなると、余裕なんてありもしない。
 ずる賢かったり、無責任だったり、人の話を全然聞かなかったり…早々に見切りをつけた同僚や後輩が次々辞めていくことには、何とも思わない。

 ただ、気の小さい、けれど一生懸命に対応をしていたあの子が辞めてしまったのは、残念というより、悲しくなった。
 悪名高きクレーマーが原因だ。「頑張れ」なんて言葉だけじゃ、引き留められるわけないな。
 日が暮れるといつも、駐輪場の片隅で空を見上げて深く溜息をついていたのを、私は知っていたよ…
 「先輩、ごめんなさい…私、辞めます……」
 部下の面倒が見れないくらいに、私、ギリギリになってしまっていたのかな。

 島根半島の東端。この灯台に行く道程は、ことのほか海風が強い。
 春になりたての風は、まだ肌寒く、後ろでまとめた髪でさえ荒れ放題にさせるほど、時に激しい。
 霞んだ空に紛れ込みそうな、白亜の灯台は、近づくほどにその小ささを実感させる。

 「今日はさすがに見えないなぁ…」
 空が澄んでいれば、日本海の向こうに島前の島々を見ることができるのだが。
 灯台の真下で煉瓦造りの壁の上から覗き込むと、遠くで2隻のタンカーがすれ違い、小さな釣り船がのんびりと、波打つ濃緑の水面を漂っていた。

 私は両腕を空に伸ばして深く息を吸い、垂れ込めた雲を吹き飛ばす勢いで、空に向かって大声を上げた。
 「ワーッ!!」
 ふと、展望台の親子と目が合ってしまった。
 なんともバツが悪い。そそくさとちょっと向こうのほうへ逃げた。

 灯台の周りをぐるっと一周したあと、もう一度見上げてみた。
 こんなに小さな姿でも、夜になれば太陽ほどの眩しい光を放ち、水平線の遥か遠くで働く男達の道標となるのだ。
 「あぁ、やっぱり、おばあちゃんの灯台にそっくりだ」
 幼い頃の儚げな記憶が、鮮やかに蘇った。

 父方の故郷は、能登半島の北端、珠洲の狼煙という漁師町。
 そこには、禄剛崎灯台という、この灯台にとてもよく似た灯台がある。
 漁師だった祖父を、祖母は港から二筋奥にある平屋建ての家で、破れた網を縫い直しながら、何日も何年も、何十年も、漁があるたび、祖父の無事の帰りを待っていた。

 私がその町に行けるのは、お盆や正月の父の里帰りの時だけだった。その時でさえも、漁の具合で祖父がいないこともしばしばあった。
 そんな時、私は祖母の後ろに、割烹着の左端を掴みながら、いつもくっついて離れなかった。

 祖母は、私をよくお散歩に連れて行ってくれた。
 長い坂、石の階段を上ってたどり着く灯台は、特にお気に入りの場所だった。
 移ろう四季ごとに咲く野花が海風に揺れる、眺めのいい場所。道すがら花を摘みながら振り返る私に、祖母はいつも微笑んでくれた。
 灯台の少し外れにある丘に座り、漁港を眼下に眺めながら、祖母はよくお話をしてくれた。
 狼煙に伝わる昔話、父の小さい頃の話、そしてどんなお魚が獲れるとか。

 無口な祖父のことを聞いたことも何度かあったが、祖母はいつでも空のほうを見上げて、
 「あの人は、いい人よ」
とだけ答えた。

 「ふーん」
 私はいつもそう返事していた。
 祖父に持つ自分自身のイメージが変化することがないことの、一種のつまらなさから出る一言。
 そんな私を、祖母はやはり、いつものように微笑んで見つめていた。

 灯台の端に建つレストランで、ほんのり磯の香りがするカレーを食べながら、私は日本海に立つ白波を、音を想像しながら見ていた。
 海は、恵みの地であるとともに、厳しい地でもある。

 私が中学生になった頃の里からの帰り道、私は父に、祖父や祖母のことを聞いてみた。
 正確に言えば、毎年のように、帰りの車の中で、私は同じ質問をしていたのだが、父の返事は決まって
 「おばあちゃんは苦労し通しだったよ。だから父さんは漁師には絶対にならないと思った」
だった。
 その日はいつもと違った。話しても理解できる年頃になったということだったのだろうか。

 祖父と祖母との間には、祖父が無事に帰ってきたことを知らせる、二人だけの合図があった。
 漁船のランプを、祖母にしか分からない間隔、タイミングで点滅させる。
 漁師なのに無口でおとなしい、祖父らしいやり方なのである。

 季節によって、二~三日漁に出ずっぱりのこともあり、それでも戻る予定のある時間になると、祖母は漁師の女房仲間と、港の近くで帰りを待っていた。
 ランプが光ると、ことのほか祖母は喜んで、祖父が船から降りてくるのを、港まで出てきて出迎えたそうだ。
 雨の日も、雪の日も。

 ある、春が来たばかりの、それでも冬のような寒い日。
 いつものように祖父は早朝から漁に出かけた。
 その日の漁は日帰りの予定だったが、午後になってすぐの頃、春の雷鳴が鳴り、風が急に強く吹き荒び始めた。
 高波には強いはずの船であった。
 それでも、祖母は不安で仕方なかったのだろう。他の女房仲間と一緒に、気を紛らすように、いつもよりたくさん、陽気にしゃべっていた。
 そして、戻ってくるはずの時間になり、港に祖母は立っていた。
 私の旦那が帰ってこない。
 ふっ、と祖母の心がざわついた。
 祖母の足は、遠くまで見える灯台の丘へと急いでいた。

 冷雨のそぼ降る中、祖母はいつまでも、待っていた。
 灯台に光が灯って暫くだろうか、低く垂れ込める黒い雨雲の隙間から、祖父の合図が、確かに見えた。
 「パパッ、パッ、パッ、パパッ、パッ」
 祖母は、覚えていないくらいに、頬を濡らしながら、急いで港へと駆けて行った。
 船から降りた祖父は、いつものように素っ気ない。
 けれどもその日、彼女の愛する旦那は、愛妻の寄り添う肩をそっと抱き寄せながら、家路についた。

 灯台のそばにある小さな公園で、薄紅色の桜に霞んだ青空、そして白い灯台のコントラストに見とれていると、彼女から電話が偶然かかってきた。

 「亜祐子先輩、河合です! お久しぶりです! お元気ですか?」
 「裕未ちゃん!元気よー、私は。裕未ちゃんこそ、元気にしてたの?」
 「はい!無事仕事、見つかりました。新しい仕事も、楽しいですよ」

 『も』という言葉が、嬉しかった。

 うん、裕未ちゃん、そうだね。本当は、私、元気じゃないんだ。
 自分を無理矢理奮い立たせるために原色にした、ワンルームの中で引き籠っているなんて、痛々し過ぎるよ。
 今の生き方をすぐに変えられないんだったら、せめて、自慢のTiger1050を相棒に、知らない町へもっと出かけてみようかな。
 何かを見つけに、まだ気付いていない自分自身を見つけに行こう。
 うん、そう思った。
 そうだ、仕事にも乗っていこうかな。
 風を切って、心のもやもやも、切り裂いて突っ走るように。

 風に煽られた桜色が、電話を切ったその瞬間、ふと笑顔になった私を包んだ。

(※この文章は、作者本人が運営していたSSブログ(So-netブログ)に公開していたものを転記し加筆修正したものです。)

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