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中森明菜「北ウイング」

この11月末、公開直後から明菜ファンならずとも騒然となった彼女の新録曲「北ウイング-classic-」。
作曲・編曲を担当された林哲司氏のトリビュートアルバム「A  Tribute of HAYASHI TETSUJI Saudade」に提供された楽曲は、素晴らしいストリングスアレンジに乗る「現在」の彼女の歌声が聴けるという意味で、必聴ものである。

休業・療養中であるが故に、音程の不安定さと声量の弱さが気になるところだが、包み込むような柔らかく優しい歌声と、弱めの声量でありながら息継ぎの少なさからくるロングトーンは、現在の彼女の年齢と体調とを考慮すると、クオリティを年齢相応にしっかりと維持していることが十分伝わるものである。

さて、ここからはオリジナルの解説と僕の持論を語らせていただきたい。

マスコミは30年以上、幾度となく彼女の「復活」をネタにしているが、そもそも1980年代の「あの」圧倒的な活躍を期待しての「復活」を彼らが期待しているのならば、それはただの夢物語であり長年応援してきたファンにとっては非常に不愉快なのだ。
つまりマスコミは「復活」を期待すると口にしても、内心は過去のスキャンダルやトラブルを掘り返して稼ごうとする、ただの守銭奴だ。

彼女は度重なる休業期間があったとしても、復帰の度に新作を出し続ける「現役シンガー」。とっくの昔に「復活」している極上のシンガーであり、僕にとって今も「推し」だ。

「北ウイング」 作詞:康珍化 作曲:林哲司 編曲:林哲司
1984年1月1日発売のシングル曲。
当時の大ヒット曲「もしも明日が…」(わらべwith欽どこファミリー)に阻まれ、オリコン1位獲得を逃したものの、彼女にとってのシングル総セールスはかなり上位に位置していることを考えると、大ヒット曲であることには間違いない。

この曲は、デビュー後僅か2年でトップアイドルとなった中森明菜が、
当時の中高年の方々からも「この子は歌が上手いよねぇ」と言わせるような
実力派シンガーへと変貌する、記念碑的な曲だ。

杉山清貴&オメガトライブのデビューシングル「SUMMER SUSPICION」を気に入った明菜が、この曲の作家陣(康珍化氏と林哲司氏)に次のシングル制作を依頼したこと、またレコーディングが終わりリリース直前になって、彼女のアイデアでタイトルが「北ウイング」に変更になったなど、逸話が尽きない楽曲のようだ。
その後色濃くなっていく「セルフプロデュース」を本格的に始めたという意味では、この曲は彼女にとってもエポックメイキングになった作品だろう。

「北ウイング」とは、成田国際空港の第1ターミナル北側のこと。
発売当時は、日本航空の便が離着陸していたそうだ。
彼女が大好きなシンガーソングライターである松任谷由実の「中央フリーウェイ」のように、曲を聞けばそこの風景が目に浮かぶような、またその場に行った人が思い出して嬉しくなるような曲を作りたい、という願いを実現させた、というわけだ。

離れて暮らす恋人のもとへ、何もかも捨てて旅立つ女性の歌。
ジェット機が滑走路から飛び立つ浮揚感、
数千メートル上空の窓から見える夜の景色、
そういった高揚感と、何とも言えない憂いを、
詩、曲、アレンジ、そしてデビュー3年目の彼女の瑞々しく伸びやかな歌声で見事に表現した曲。

彼女の歌唱法は、曲中の物語が目に浮かぶように、
抑揚を利かせるタイプだったのだが、
この「北ウイング」では、その傾向がかなり顕著に表れてきたと思う。
そして、まさにこの曲から、様々な世界の国々に旅立ち始める。
南の島「サザンウインド」、ブラジル「ミ・アモーレ」、サハラ砂漠「SAND BEIGE(砂漠へ)」、NYのようなメトロポリタン「SOLITUDE」「Fin」、ヨーロッパ「ジプシー・クイーン」、アルゼンチン「TANGO NOIR」、アラブ「AL-MAUJ(アルマージ)」、スペイン「The Heat~Musica Fiesta~」等々…

オリジナルの「北ウイング」と「北ウイング-classic-」とを、是非とも聴き比べていただきたい。
林哲司氏が各メディアでお話しされているので、詳細は割愛させていただくが、初リリース当時の若さと激情、そこから発露する高揚感をオリジナルで懐かしく振り返り、その頃の足跡を辿る大人になった主人公を「…-classic-」で感じていただければ、ファンにとってはこれ以上の喜びはない。

(※この文章は、作者本人が運営していたSSブログ(So-netブログ)から一部転記し加筆修正したものです。)


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