「体裁」の大切さ
僕(@N0C0ffeeN0life)は個人で、学生バリスタ(=コーヒーを淹れる人)として「出張バリスタ」という活動をしていました。北海道から沖縄まで出張経験があり、それなりに実績を残して来たという自負もあります。
がしかし、それを辞めよう。。。と思っていた矢先の出来事でした。
「一緒にカフェをやりませんか?」
しかし、「そのカフェの体裁」について僕は疑問を感じずにはいられなかった。しっかり「カフェの体裁」をしっかり認識しておかないと今後色々話を固めていく上でズレてしまう…
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まずは「体裁(=他人が自分をどう見ているか)」の話に入る前に、なぜ僕がその出張バリスタを辞めようと思ったのか話します。
自分しか見えていない
大学2年生だったあの頃の僕は、なんで大学に行く必要があるのか全くわからなかった。僕の1番の友達は「いい企業に就職するために行くんだよ。大学は大事だよ。」と教えてくれるのだが、全く腑に落ちない。価値観が違うだけなんだろうけど。(僕は「いい企業」に全く魅了を感じない病気にかかっているかもしれん。「やりがいのある仕事ができればなんでもいい」と思っている病気にかかっている。)
そんな矢先、不運なことに僕は大きな命題を見つけてしまった。
「一体自分は何がしたいんだろう。いや、何になりたいんだろう。」
全くわからない。
この時からアンパンマンマーチが嫌いな曲になったのは言うまでもない。アンパーンチ!
で、3ヶ月ぐらい考えて見つけたその命題の答えが「学生バリスタ」として「出張バリスタ」をすることだった。
1年と7ヶ月ぐらい続けた。毎月のようにイベントやケータリングを行った。
人生初の沖縄と北海道は出張バリスタで行った。(めちゃくちゃ楽しかった)
イベント・出張回数は50回目前だ。
でも、それらは全て「自分のため」にすぎない。
つまり、「色々悩んで見つけた『自分のやりたいこと』が出張バリスタ!それを見つけたからやりたい!!」というわがままな願望をやっていただけにすぎない。
ここまで活動を続けてこれたのも、その思いを応援してくださる方々からの依頼があったからであって、全く知らない人からの依頼というのは10件ほどしかない。
そう、僕の出張バリスタという事業には、事業をする上で一番大事な「貢献」の要素が一切なかったのだ。だから、必要な人に自分の得意なことを届けられていなかった。
そのことに僕は4月の出張バリスタin富士吉田の帰りのバスの中で気づいた。
かつての僕の体裁
かつて僕がやっていた出張バリスタの体裁はこうだ。
「やりたいことが見つからなくてもがいている大学生が、好きなことを仕事にしている。」
こう思われるように僕も活動していたフシはあるし、そんな風に昔のブログのお問い合わせページにも書いていた。
こんな僕に対して、確かに「応援してくれる方々」はいたのだが、「必要な人」には届けることができなかった。
僕は「事業の見せ方(=体裁)」を間違っていたのだ。バリスタとしてのあり方を間違っていた。
カフェ(=飲食店)の体裁とは?
「飲食店をやらないか?」と話を持ちかけてくれた方は、どうやら「コミュニティ」の要素を盛り込んだカフェを作りたいそうだ。
ここで体裁の話に入ろう。問題は、
「コミュニティの体裁とカフェの体裁は一致するのか?」
ということ。
コミュニティをわかりやすく「クラス」で考えよう。
学生の頃、ほかのクラスの教室に入るときと自分のクラスに入る時の安心感や違和感の違いを感じたことはないですか?隣のクラスの友達に話がある時、廊下に呼んでいませんでしたか?話しかけるのに教室に入りづらくなかったですか?
コミュニティとは「ある共通点を持つ人が所属するもの」という体裁がある。だから所属していない人にとっては入るのに敷居が高く感じるし、居心地悪く感じるのだ。
かたやカフェを考えてみよう。
「あなたはカフェに入るときに「俺はこのカフェの一員だ!」という所属意識を感じたことはありますか?」
ほとんどの人が「ない」だろう。
そして、みんながなんとなく入りづらい飲食店と出くわしたことが何度かあるはずだ。
「ここ行ってみたいんだけど一人じゃなかなか入れないんだよね…」とは男性諸君みんなが多用するデートの誘い文句だ。
つまり、飲食店(=カフェ)は「食事をするところ」という体裁がある。だから、入りづらい雰囲気の飲食店は最悪だ。食事すらさせないんだから。
結論、僕はコミュニティ型のカフェ(=飲食店)は反対だ。なぜならコミュニティとカフェは同時には成り立たないから。同時に成り立たせるのなら「コワーキングスペース」であるべきであろう。つまり、コミュニティの要素が強い形態にっ持っていけば問題ないと考える。
ただ、それは僕らが今からやるべきことなのか?他にやっている人がいるのではないか?カフェもやりたいのではないか?
僕はカフェにコミュニティ要素を詰め込むならば以下のような運営を提案する。
店側にコミュニティ要素を持っていく
お客さん側にコミュニティ要素を持っていかない。それはコワーキングスペースであって、カフェではない。
少なくとも自分の好きなコーヒーやお酒を提供する「カフェ」の体裁を整えつつコミュニティ要素が欲しいのであれば、僕は店員側にコミュニティ要素を持っていくといいのではないかと考える。
まとめ
今回の話は「体裁」についてなのでここまでにしようと思います。
僕の失敗は、(バリスタという)体裁が間違っていたために実は必要としていた人に僕の事業(出張バリスタ)を届けることができなかったということ。
今回のコミュニティカフェのケースで言えば、「所属意識を感じれるカフェ」が「飲食店としてのカフェ」運営を継続して行える可能性は極めて低いのでは?ということ。
でも、僕の代替案のようにやりようはいくらでもあるような気がするから、まずはいま集まっている3人でお店を成り立たせたい。
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