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動物病院のカルテ 別れ

新人動物看護師のユウさんは、これまでに
動物を飼育したことがありませんでした。
もちろん動物が大好きだからこの仕事を選んだのですが、実家の事情で犬とも猫とも暮らしたことがなかったのです。

学校の授業では、犬・猫・鳥の、注射・爪切り・投薬の際どのように保定すると良いかを、しっかり学びました。
しかし、やはり動物と接する絶対的な時間が短いせいか、仕事ではなかなか上手く行きません。

そんなある日、被災地から保護された猫が、動物病院にやって来ました。
名前をサク太郎と言います。
ご家族の生活が安定するまで、お世話をすることになりました。
猫の扱いに慣れるのに丁度よいということで、ユウさんが担当することになりました。

サク太郎は、まれに見る大人しくて良い子でした。
猫は緊張すると、食欲が落ちたり排泄を我慢したりお腹を壊したりと、様々な問題が起きてしまう心配があります。
しかしサク太郎は、全く問題ありません。
来たその日から、ゴハンを残す事は無く、毎日快便、抱っこしても暴れず、ケージの前を人が通ると寄って来て頭を扉にすりつけ、常にゴロゴロ喉を鳴らしています。

爪切り。
採血。
ワクチン接種。
サプリメントの経口投与。

あまりにもスムーズにさせてくれるので、
(本当に練習になるのかな?)
と思わないでもなかったけど、果たしてユウさんの技術は日に日に向上して行きました。

災害の復興は、時として難しいようです。
一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月…。
なかなか次の住まいが決まらず、サク太郎を預かる期間はズルズルと伸びて行きました。
「もしかしたら動物病院の猫になるのかも?」
などとスタッフの間で囁かれ始めた頃、ついにご家族がお迎えに来られることになりました。

「長いことお世話になりました」
サク太郎のご家族は、まだ二十代と思われる、若い夫婦です。
お礼の立派な菓子折りを院長に渡して、丁寧に挨拶をしました。
あの看護師さんが担当していたんですよ、とっても大人しくて良い子ですね、なんて預かり中の様子などをしばらく話してから、いよいよお返しという段になり、
「じゃあ、サク太郎ちゃんをお連れして」
言われたユウさんは、キャリーにサク太郎を入れて連れて来て、奥さんに手渡しました。
扉を開けて、感動のご対面です。
「ニャー、ゴロゴロゴロゴロ…」
「元気だったー!?」
「毛ヅヤが良くなってるね!」
キャッキャ、キャッキャと、相当な盛り上がりです。
そのうち、それに混じってヒッ、ヒッ、という音がし始めました。
(ん?)
ユウさんでした。
最初は嗚咽だったのが、慟哭になり、ボロボロボロボロ、涙が溢れ出しました。

「あの、ありがとうございました」
逃げるように、ご夫婦はサク太郎を連れて、そそくさと帰って行きました。
「皆さんお元気で!」
院長が表まで見送ってから戻ってきても、ユウさんはまだ泣き続けていました.
「なんだか、すみません」
いや、いいんじゃない?院長は笑いました。
「きっと、とても大事にしてもらえてたんだと、伝わっていると思うよ」

3時になって菓子折りをあけたら、「銘菓ひよこ」みたいな「猫」のお菓子でした。

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