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我が子への図書館

読んでおいた方が良い本はたくさんあります。
きっとわたし自身そんな本をたくさん読むどころか、何となくでも読んでみたい本さえも読みきれずに寿命を迎えるのだろう、という確信があります。
それくらい、素晴らしい本は多いです。
そして人格も完成しきれずに、何も成し遂げ切ることができずに、亡くなっていくことでしょう。
そういう意味では、人生はあまりにも短い。
それでもせめて日々少しずつ成長するべく、努力し続けていくわけです。

さて、そんな情けない人間ですが、おこがましくも我が子に対して、人として恥ずかしくないように育って欲しいと願っております。
しかし、教育だとか、親を超えてほしいとか、立派な人物になりなさいだとか、そんな大それた物ではありません。
自分が大したことは無い人間なので。
ただただ、生きていくうえで困らないように、ちゃんとした考えや常識を持って欲しい。
道を踏み外さないように。
子どもは親とは別の人格なので、考えを同じにする必要はありません。
度が過ぎては、我が子を親の思うように変えてしまう心配があります。
それでも人として、日本人として、現代に生きる人として、地球に生きる生物として、やはり知っておいた方が良いと思うことはあります。

そこで自分が今まで読んだ本の中で、これは、という物を集めた本棚を作離ました。
自分でも再読することのある、いわば我が家のちょっとした図書館。
我が子も好きに読めるように開放しています。
そんな図書館の中を、少しだけご紹介します。

日本の歴史
わたしも妻も日本人で、我が子ももれなく日本人です。
それぞれみんな、生まれも育ちも現住所もすべて日本。
そんなわたしたちが、日本のことをしっかり知らないなんて、お話になりませんよね。
揃えたのは漫画だから、取っつきやすくて読みやすいはず。

『聖書』
世界一のベストセラーです。
押しも押されもせず。
それこそありとあらゆる多くの場所、さらには過去から現在そしておそらく未来という時間軸でも、かなりの人が読んでいます。
という事は、多くの人にとっての常識です。
内容も物語として面白くて、理不尽なことも多くてシンプルな因果応報などは否定されています。その点で、日本的では無い部分も多いと言えそうです。
原罪を知らなければ、キリスト教圏にある善悪の基準はわからないでしょうし。
そして旧約も読んでおけば、ユダヤ教やイスラム教をさわりだけでも理解する手助けになるはずです。
これからの時代、多くの人の考え方や違いを受け入れていくのに必須だと言えるでしょう。

『古事記』
だって日本人だから。
単純にいうとそれにつきます。
聖書と同じく神様のお話ですが、一神教と多神教でかくも違うものか、ということも押さえておきたい部分です。
始めはイザナギノミコトとイザナミノミコト。
多くの子をなしますが、最も重要なのは天照大御神でしょう。
あちこちにある神社の多くの天照大御神は、日本の直系にあたる神様で主神。
太陽を象徴する女神が日本の最初で、その直系の子孫が初代の天皇になり、現在まで代々続いている。
なんてことは、やはり知っておかなければいけないでしょう?
だって日本人だから。
憲法や法律や文化など、日本のことを考えるのであれば、これを知っておかなければお話になりません。

『相対性理論』
『不思議の国のトムキンス』

相対性理論とは何ですか?
それをわかりやすく正確に説明するって、まあ、出来ませんよね。
それを試みているのが、不思議の国のトムキンスです。
時間の流れる早さは状況によって変わります。
物体の長さも変わるよ。
空間がゆがんだりもするから、そこでの力やスピードも変わるよ。
なんて言われたら、無茶苦茶じゃないですか、日常の生活からしたら。
でも、それらは全て本当なんですよね。
変な常識にとらわれてしまわないように。
頭の固い人間になってしまわないための手助けになります。

『量子論のすべてがわかる本』
それでも常識は常にわたしたちの頭にはびこっています。
常の識(意識)ですものね。
さて、箱の中にボールをいれて振ってみたらどうなるでしょうか?
間違いなくバラバラですよね。
しかし、蓋を開くと綺麗に整列しています。
え?じゃあ、振っている間も整列していたの?
いえ、蓋を開く瞬間まではバラバラだったのです。
それが蓋を開いたとたんんに整列しているのです。
これまた無茶なお話ですが、これも本当です。
量子論は、物質をとても小さく分解した視点で見た世界のお話です。
今まで見てきた世界は全部間違いだった?
そこまでは感じられなかったとしても、自分の知っていることが全てではない。
自分の感覚が必ずしも正しいわけでは無い。
そのことがわかるきっかけになるかも知れません。

『五輪書』
『風姿花伝』

宮本武蔵は己の剣術により身を立てようとした剣豪です。
その著書はやはり剣術について解説したものです。
自身を守りつつ相手を斃す。
一対一だけでなく、多数を相手にする場合にも言及しています。
剣術の帰結はどちらかが殺されるところにあります。だから絶対に負けは許されません。
併せて読んで欲しいのが、世阿弥による芸を極めるための秘伝書です。
受け継いでいくべき芸についての指南書で、代々秘伝とするように書かれたはずですが、今や世界で読まれて賞賛を得ているという。
全然秘されていないのですよね。
まあ、現代のわたしたちからすれば、ただ有難い話ではあるのですけど。
ちょっとだけ著者に申し訳ない気はします。
さて、なぜこの二つを併せて読んだ方が良いかというと、とても似ているからなのです。
力の入れどころや姿勢や呼吸など様々あるのですが、おそらく一番は命懸けでそれを極めようとしていた点にあるはずです。
漂白の芸能に生きる著者は、それで生きなければならなかった。
まさに芸能の技術は死活問題です。
さらに当代の足利将軍は芸が気にいらなけば殺すこともあるという、恐ろしい人物でした。
実際に島流しにされた経験もあります。
死ぬかも知れない極限で何かを極める努力をした人物による、その指南書。
何かを上達したいと考えたときに、これらがためにならないはずがありません。

イワン・イリッチの死
人は必ず死にます。
全ての人はそれを逃れられません。
今いる人たちもみんなそうだし、今までのひとたちもみんな亡くなりました。実は亡くなった人たちの数は、現在の人口など比較にならないほど多いです。少し計算するとすぐにわかりますけど。
死について頭でわかっているだけなのと、本当に理解しているのとでは、とてつもない違いがあります。
おそらく大部分の人は前者でしょう。
自分が死ぬなんて思っていないのです。
だから、余命宣告を受けたら狼狽するのです。
もともといつか死ぬことはわかっていたのにも関わらず。
しかし、それは無理のない事かも知れません。
なぜなら人はみんな、物心がついたときから自分だけはずっと生きています。
それも死ぬまで。
その辺を歩いている人、家族、職場の人、クラスメイト、チームメイト、コンビニの店員さん、ドライバー。
目にする人はみんな生きています。
死を見るのは、お葬式に出席するときくらいです。
通常はそんなに頻繁ではないはずです。
本書のイワン・イリッチもそんなうちの一人です。
自分が死ぬなんて全く信じていません。
屋根から落ちたのを機に、どんどん体調が悪くなっていきます。
それはすなわちどんどん死に近づいていることに他なりません。
それでもイワンは「まさか自分が死ぬなんて」と、(読者からすると)この期に及んでまで自分の死を受け入れられません。
ある週末医療者の調べでは、半数以上の人が死ぬ直前に己の生き方を後悔するのだそうです。
そうならないためには、限りある生を全力で余すところなく生ききる、しかありません。
そのためには、やはり自分が死ぬことを理解しておきたいところです。
子どもにはまだ早い?
いや、死は誰にでも平等です。
その子は今日か明日に死ぬかも知れません。
もちろんわたしも、それからあなたも。

日本でいちばん大切にしたい会社
「仕事はなんのためにするのですか?」
子どもの頃はなりたい職業を考えることが、楽しくて仕方がなかったはずです。
将来の夢とも言えますよね。
仕事をするのが夢なのです。
転じて実際に仕事をしている大人に向かって、同じ質問をしてみたらどうでしょう?
皮肉なのか嫌味なのか、聞かれた人は返答に困ってしまうかも知れません。
生きるため?
お金のため?
家族のため?
世間体?
この問いに対して本書の答えは明快です。
「人の役に立ちたい」
それは人間が本来持っている、最も強い欲求と言えるかも知れません。
身体障がい者の方は、程度によっては全く働かなくて良いくらいの補助金が貰えます。
それでも多くの人たちは、働きたいとおっしゃるそうです。
その理由は前述のとおり、世のため人のためになりたい、ということです。
本書ではそんな熱い人たちや、それを実現させようとする負けず劣らず熱い経営人たちが、たくさん登場します。
大多数の大人は、一日のうちほとんどの時間を仕事に費やします。
それはつまり、生きる時間のほとんどが、仕事の時間になることを意味します。
その時間が有意義で幸せなものかどうか?
天国で生きるのか、はたまた地獄で生きるのか?
まさに死活問題です。

目の見えない人は世界をどう見ているのか
交差点などで「〇〇坂」という地名を見かけることがあります。
え、平地なのに?と感じるような場所です。
また「〇〇ヶ丘」なども同様です。
しかし、あら不思議。
目を閉じてそこを歩いてみると、そこの傾斜を感じられるではありませんか。
実は元々目の見えない人には、簡単に坂や丘が感じられるのだそうです。
椅子を掃除する場合、普通は座面や背もたれを綺麗にしますよね。
でも目の見えない人は座面の裏なども、自然と綺麗にするのだとか。
見えるところも見えないところも、その区別は無いのです。そして、そんな所こそ汚れがちだったりして。
岡本太郎氏の作品に『太陽の塔』というタワーがあります。
大阪万博で、とても有名になったものです。
てっぺん近くに顔があるフォルムがパッと思い浮かびますよね。
実は、そのウラ側にも顔のようなものが二つあるのです。
そうなると、どれが顔なのか?それとも顔では無いのか?どちらが正面なのか?
それは全くわからなくなります。
つまり作品の一面しか捉えられていなかったと言えるでしょう。
このような作品を目の見えない人が味わう場合は、同様の間違いは起こりません。
レプリカを触って作品を味わいます。
全体を満遍なく、様々な向きから認識するのです。
これらの点だけ捉えると、目が見えることはむしろ害悪でしかありません。
障がい者をいたわる。
多様性を受け入れる。
それは大切なことですが、その前に決して自分が優れていると勘違いしてはいけない、ということがわかります。
常識も時にはあてにならないということも。

小さきものへ
父親から我が子たちへの手紙です。
これを書いた時点では子どもたちはまだ幼いため、成長してから読んで欲しいと書いたものでしょう。
たったの一日で一気に書き上げたそうで、その辺りがリアルな気持ちを込めた、まさに手紙、というように感じさせます。
時間をかけて練りに練っていたら、却って作品っぽくて陳腐なものだったかも知れません。
三人の子どもたちに何より伝えたいのは、親の愛情です。
不器用で伝わらなかったり、利己に走りたくなることもあります。
子どもから見ると、決して良くは思えない振る舞いもあるでしょう。
人間だから、親も完璧では無いのです。
それでも。
あなたたちは親から常に愛され続けている。
それも生まれる前からずっと。
本当にそれだけは伝えておかなければ。

冒頭で言及したように、読んだ方が良い本はいくらでもあります。
それはその人の年齢や人格や環境や、今抱えている悩みや問題で変わるでしょう。
その時々で支えになるのは、やはり自分自身しかいません。
本で読んだ言葉は、時として自分の中に入り込み、その血肉になります。
物事の捉え方が変わり、行動が変わり、気持ちが変わり、考え方が変わり、そして人生が変わります。
どうせなら、良く生きて欲しい。
世の中を少しでも良くして欲しい。
親として、人間同士として、お互いにそうありたいと願っています。


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