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【海外移住の話⑦】 フィジー 《大災害、逆境の時こそ笑わんと。風速90mの史上最強サイクロンが直撃》

フィジーでは年中気温は安定していて、雪は降らず、日本ほどは地震も起こらない。

国内に毒を持つ生物もほとんどおらず、狂犬病も無い。

今回の新型ウイルスの対応でも、感染者が3人出た時点で国中をロックダウンして抑え込み、現在感染者はゼロ。

そんな災害とは縁遠そうなフィジーにも、定期的に襲い掛かる自然の脅威があります。

洪水とサイクロンです。

洪水のとき

サイクロンが来ずとも、場所によって排水機能が脆弱な場所や低い土地では大雨で水が溢れることが多かった。

大気が不安定で大雨が降ると、うちからメインロードに出るまでの道がたまに(年に3、4回?)こうなる。

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こうなっては仕方ないので、ズボンの裾をたくし上げてザブザブ通勤、帰宅。

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ここが大丈夫で車を出せても、途中で道が川のようになって進めないことも。あまりに水深が深くなってると、車が壊れるのが怖いのでよく引き返してた。

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(↑水位が上がってバス停の背もたれに腰掛ける人たち)

市民の生活はというと、これぐらいでは全然へこたれない。

車が通らなくなった浸水した道路で子どもたちが水遊びするし、大人も泳ぐし、家が浸水するともちろん焦って対策に奔走するけど、基本的にいつも通りあちこちから笑い声が聞こえてくる。

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(↑水がたまってた時から遊び続けてた子どもたち、道端にて)

移住者も、月1の停電、2ヶ月に一度の断水にも慣れて、洪水や多少の浸水にも「あーあまたかー」とそんなに動じなくなる。

移住して1年半ほどが経ったある日、そんなフィジーの人たちもびっくりな大災害がやってきた。

史上最強のサイクロン「ウィンストン」直撃

当時(今もかな?)南半球観測史上最強、地球観測史上二番目の強さと言われたサイクロン、「ウィンストン」がフィジーや周辺の島国を直撃。

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https://earthobservatory.nasa.gov/images/87562/tropical-cyclone-winston-slams-fiji
(↑ヴィチレブ、バヌアレブ、タベウニ、カンダブの4大島を全て飲み込むウィンストン)

当初はカテゴリー2程度と弱かった低気圧がみるみる勢力を強め、最強のカテゴリー5に。

またサイクロンが来る、ぐらいに思っていたら、次第に慌ただしくなる周りの反応から、ただならぬ事態だということがわかってきた。

サイクロン・ウィンストンの風速はなんと約90m(日本では風速54mを越えると最強の「猛烈な」台風にカテゴライズされる)。

時速で表す海外の表記では325km/hとなっていた。

上陸前日からフィジー全土に非常事態宣言が出され、屋内にとどまるよう勧告が。うちのオーナーも全ての窓に板を打ち付け、車を避難させて大忙し。

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通常営業でもたまに止まるインフラ/ライフラインは確実に長期で止まることが予想できたので、冷蔵庫無しで数週間食いつなぐには、など色々考えながら対策をしていった。

そして暗くなり始めた頃に本格上陸。

窓はもちろん締め切って家の中にいたけど、外の轟音でテーブルを挟んで話をするのが難しいほど。

ほどなく停電・断水し、ロウソクを灯す。時折何かが壊れる音が聞こえ、寝不足な中、一夜やり過ごした。

(↑アルジャジーラが伝えたニュース)

家周辺の被害状況

翌朝。

一転、サイクロンが雲を吹き飛ばして空は晴れ渡り、ド快晴。屋根が飛んだりしないかドキドキしてたけど、家は無事。

外の様子を見ようと周りを一回りしてみると、木は曲がるか根こそぎ飛ばされ、いろんな物が落下し、破壊されていた。

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(↑2軒隣の家)

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電気はもちろん止まり、電話も不調。近所の人たちは大丈夫そうやったけど、情報が入ってこないから目が届く範囲以外の状況はわからない。

おそらく国中が停電中なので、時間が経つにつれて人々の携帯電話やポケットWiFiの電池が無くなり、電波の調子も戻らないまま連絡手段が絶たれていく。

担当していた留学生たちの安否を確認するには直接家をまわるしか無いけど、唯一の幹線道路クイーンズロードが水害で寸断。復旧まで見にも行けなかった。

それまでは、アクセスできる範囲で情報を集め、日本に送れるようトライし、ご近所さんを手伝った。

校舎のダメージを目の当たりに

道路が復旧した2日後、まずは学校へ車を走らせた。

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学校の入り口を入ると、一目で校舎が大打撃を受けてるのがわかった。

1階の教室は大きな窓枠ごと外れ、2階の教室は天井が破壊されて室内に落下、パイプは折れ曲がり、食堂前は屋根が無くなってた。

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(↑食堂と売店の前。サイクロン前は全面屋根があった)

オフィスは電気こそ通ってないが荷物をおけるぐらいには大丈夫だったので、支度をして留学生のホームステイ先へ一軒一軒安否確認に出発。フィジー人スタッフのVaさんと二人で名簿を手に、車に乗り込んだ。

留学生の安否確認へ。Vaさんに救われる

ホームステイの総数は120。別部隊が一部手伝ってくれたけど、70〜80件はまわったと思う。

訪問したけど不在なんてこともあり、日本の保護者に連絡をするにあたって確実に安否確認をするには本人を直接目視する必要があるとの判断で、朝から晩まで丸2日かかった。

2日目になると二人とも疲れが出てきて、ホームステイ間を移動時の口数も減ってきた。

僕はラウトカ(勤務していた高校がある、フィジー第二の町)のアップダウンの激しい道を運転に集中するので精一杯で、雑談する元気はとうに無くなってた、そのとき。

Ahahahahahahaha!

横でVaさんが急に僕の肩を叩いたかと思えば、笑い出した。それも爆笑レベル。普通にびっくりした。

もうなんやねんと車を止めて彼女を見ると、僕の目を見てこう(英語で)言った。「しんどいときほど笑わんとあかんで!hahahahaha---ha!」

つられてしばし二人で笑った。

辛いときは笑った方が元気が出るみたいなことは良く言われるし、頭ではわかってたけど、この時ほどそれが身に染みたことは無かった。

それからは会話が戻り、むしろ運転も安定して、運も味方につけた気がする(訪問時に不在のケースが無くなった気がした)。

"Thank you Va-san."

"That's OK Kubo-san. Let's go home."

留学生は全員無事が確認できた。よかった。。

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(↑Vaさんと)

建物が比較的頑丈なナンディ・ラウトカのエリアは家が丸ごと吹き飛ぶケースは少なかったと思うけど、その他の地域や小さな離島では壊滅的被害を受けたところも。

こういう大災害クラスのサイクロンが来るのは4年に1度くらいらしく、それも温暖化の影響で増えるかも。

ツバルの小学校で「ツバルは沈むって言われてるけど、みんなどう思うん?」と質問したときと同じくらい、気候変動の問題が一気に自分ごとに引き寄せられた。

普段から業者が1週間遅れで来たりするフィジーなので物理的な復興スピードは遅いけど(学校の電気の復旧には3週間かかった)、心理的復興スピードは世界トップクラスやと思う。

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(↑家の浸水を大掃除して激疲れした後の晩ご飯、ホストシスターの顔)

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↓フィジーにも意外にトレッキングできる山の絶景がある話につづく。


8月初旬から夫婦でCamino de Santiago巡礼の旅に出ています。出費はできる限り少なくしている旅なので、サポートは有り難く旅の資金にさせていただきます。ですが、読んでくださったり反応をいただけるだけで、一緒に旅している気分になって十分エネルギーをいただいています。^^