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【映画】『東京物語』

NHKBSシネマで、小津安二郎監督の『東京物語』(1953年 昭和28年)を鑑賞しました。

※ネタバレあり。

《大まかなあらすじと感想など》

尾道に暮らす老夫婦(笠智衆/東山千栄子)が、子どもたちの暮らす東京へ行くことになった。

長男(山村聰)は開業医、
長女(杉村春子)は美容院を営む。

次男は戦死。
次男の嫁、紀子(原節子)は寡婦となり、小さな商事会社で働きながら慎ましく暮らしている。

長男と長女は多忙で、両親を充分にもてなすことができない。
というより、あまりその気もない。

次男が亡くなって8年もたつのに、
嫁の紀子は、誰よりも温かく二人を迎えた。
観光バスで東京見物に付き合った後は、狭いアパートで隣人から借りたお酒と、店屋物で精一杯もてなす。

一方、実の息子と娘は、仕事に追われ、両親を半ば持て余す。
お金を出し合って、年老いた二人を熱海に送り出す。
長女がとってくれた宿は、あまり上等とはいえず、泊まり客が夜通し大騒ぎして、熟睡もできない。

一泊して疲れ果てて東京に戻った二人に、長女は「もっとゆっくりすればよかったのに」と迷惑顔。

父はその夜、旧友を訪ねて泥酔して帰ってくる。
母は嫁の紀子のアパートで布団を並べて語り合いながら眠る。


子どもたちに見送られ、二人が夜行列車で尾道へ帰る途中、母は体調を崩し、大阪の三男(大坂志郎)宅に一泊するが、帰宅してから寝込んでしまう。

東京の息子や娘たちが両親を見送ってホッとしたのも束の間。
尾道から「ハハ キトク」の電報が届く。



この老夫婦は子沢山で(この時代なら珍しくない?)、東京で暮らす長男、長女、戦死した次男の他に、大阪に三男、同居している小学校教員の末娘の京子(香川京子)がいる。

子どもたちを立派に育て上げ、他人からは羨ましがられる身分だが、東京に行ってみて、子どもには子どもの生活があるということを思い知らされる。
子どもの前では明るく振る舞いながらも、内心の寂しさは隠せない。

「欲をいえばキリがないが、わたしら、幸せないほうでしょう」
と二人は語り合う。

子どもたちに少し失望した父が、飲み屋で旧友に、子どもに期待するのは、「親というものの欲じゃ」と語るシーンが印象的だ。

そんな中で一番尽くしてくれたのが、亡き次男の妻、紀子。
笑顔を絶やさず、真心があり、謙虚で、まさに「仕える」という言葉がぴったりの女性。
こんな女神のような女性は映画の中にしか存在しないのかもしれないが、昭和20年代にはこんな人もいたのかもしれないと思わせてくれる
原節子の演技が素晴らしい。

長男と長女は母危篤の知らせを受けて、喪服を持って尾道に駆けつける。
数日意識が戻らない母を診て、医師である長男は今夜が山場だと、父と妹にビジネスライクに告げる。

母は意識が戻らないまま、68年の生涯を閉じる。

お葬式を終えたばかりの席で、長女は母の着物の中で、目ぼしい品を形見に欲しいといい出す。

三男は母の死に目に会えず、
「親孝行したい時分に親はなし。さればとて、墓に布団は着せられず」と葬儀を抜け出して呟く。

葬儀を終え、そそくさと自分たちの日常に戻って行く子どもたち。

最後まで残ったのは嫁の紀子。
末娘京子は薄情な兄や姉たちを嘆き、
「他人同士の方がもっと温かいわ」と義姉にこぼす。

紀子が東京に帰る前に、残された父は、
「あの晩(紀子のアパートに一泊した晩)が一番楽しかったとお母さんが言うとったよ」「自分が育てた子どもより他人のあんたのほうがようしてくれた」と、妻の形見の懐中時計を手渡すのだった。


(台詞などはテレビを観ながらメモしたので、正確さを欠き、順番も前後しているかも知れませんが、ご了承ください)

この作品は、1995年にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」に選ばれています。
(Wikipediaより)










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