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自動運転技術は人を幸せにするのだろうか


こんにちは!あいでんです。

今日はいろいろなことに手を出したら疲れ切って途中で寝落ちしてしまうという大やらかしをしてしまいました。

こういうことがあるからちゃんと朝からコツコツ書くようにしたいんだけど、なかなか積み上げられた習慣は変わらんなとか思う今日この頃。


▷最近の車のCMを見て


実家に帰ってきてからなぜかはわからないけどとあるCMが目につくというか印象に残るようになった。

それは車のCMだ。最近だと香川照之さんがTOYOTAの社長にインタビューした「トヨタイムズ」というCMがよく目につく。

こういうやつ


ここ最近は大学の周辺に生息していたから忘れていただけどやはり田舎の方は車無くして生活することは非常に難しい

コンビニに行くにしても車が必要だ(歩くのが億劫になってしまったという話もあるが)。頻繁に車に乗ることが増えたからか車のCMがよく目につくようになっていた。

今日もふとテレビを見ていたら、絶賛世間を騒がしている某氏が以前CEOを務めていた日産のスカイライン(?)という車に自動運転技術が搭載されたらしく、それをプロモーションしていたCMのようなものが目についた。


免許取立ての頃は楽しくて仕方がなかった運転も、次第に移動という手段化してしまってからは自動運転を切に願うようになった。

車の運転が移動という手段化してしまってからというものの逆に以前は苦手としていた公共の交通機関を好むようになった。その理由は、移動時間が自由に使えるからだ。

車を運転するとなると「運転」に集中する必要があるので、出来て音楽を聴くくらいのものだ。法整備も厳しくなりつつあるのでDVDやテレビや携帯も容易に見ることはできない。束縛されるというのは非常に辛いものがある。

唯一、車はプライベートゾーンなので気が楽だという利点はあったが、私はその時間が”もったいない”と思うようになってしまったのだ。


しかし、最近になって心境の変化があった。

それは先日の話だ。私はいつもはMTの車を運転しているのだが諸般の理由で久々にATの車を運転する機会があった。普段と比べると作業量が圧倒的に違うのでその楽さたるや。

が、なぜか物足りなさを感じていた。技術の進歩によって運転しやすくなっている車なのに「こんなにつまらないものなのか」となぜか感じてしまっていたのだ。

それからというもの、免許取立ての運転が楽しくて仕方がなかった頃のような感覚に戻りつつある。


そんなことが起っている最中だったので今日の自動運転技術のCMを見ていて、「果たしてこの先に何があるのか」ということを感じていた。

今ですら手放し運転が可能になっているくらいだからあと十数年もすれば技術的には「完全な自動運転」が可能になるだろう。そうなると”車”ではなく”ただの動く箱”になってしまうのだろうか。

自動運転技術は事故を減らすといった論理的な意味では必要なものなのだろうが、果たして感情的な意味においては必要なものなのだろうか。自分でも何をいっているかはよくわかってないけどなんだか寂しい気持ちである。

テクノロジーの進歩によって圧倒的に楽になる「移動」の先に私は何を感じることになるのだろうか。


▷おわりに


そういう意味においてTOYOTAはさすがだなと思うところがある。

私の偏見だけど、他社は車の性能の良さみたいな部分をガン推しできている印象があるけど、TOYOTAは車のあり方というか価値というか車を運転することの楽しさをガン推ししているようなそういう印象がある。

少し前のCMだけどこれはかなり印象に残っている。

これから車について豊田社長が語る


田舎に住んでいた私にとって生活の中枢を担っていた車に対する思い入れみたいな部分が少しはあるんだなと感じています。

これからの車はどのように変化していくのでしょうか。車に対する印象はどのように変化していくのでしょうか。

それでは、また次回!


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