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令和時代になっても『遊び』はアナログティックが好きな私


こんにちは!あいでんです。

今日も"地元"をぷらぷらしていて気づいたことについて書いていこうと思います、

先日のnoteで"地元"が都市化しつつあることはお話ししたばかりですが、厳密には都市部のそれとは少し印象が違い、いわゆる「年配者」向けの都心部になろうとしている印象。


これは完全な憶測ですが、都心部は若者から中年の方々、田舎は年配者の方々を中心に町(街)が形成されていっているイメージがあります。

まさにテレビと同じようなイメージ。

それが理由なのか私の田舎も「年配者」にとっては便利になっているのですが、若者からすると大して変わっていない印象を受けました。

というのも私たちの中学時代に遊び場になっていたものは次々に形をなくしている一方で、「年配物」が行きそうな(これもど偏見ですが)園芸のデカいスーパーが立ったりしています。ジャスコの中身もだいぶ変わりました…。


つまり、この地に住む若者(特に中高生)の遊ぶ場がどんどんなくなってきているということに気づきました。

現に夏休みでもあるにかかわらず田舎にしては少し栄えた場所(主にジャスコ近辺)で中高生たちの群れを見ることはほとんどありませんでした。見たとしても親子で来ている場合のみです。

私からすると考えられないことで、それはもう当時だったら中高生の群ればかりですよ。


しかし、中高生が困っているかというとそうではありません。外(街)に出て行っているのかもしれませんが、弟含め親戚の子供たちに聞いたところ、今は家でゲームをするのが主流らしい。リモートで。

特に「荒野行動」のようなスマホゲームや「スプラトゥーン」のような据え置き型のゲームが主流のようで、外出せずとも友達と遊べるから(会っても同じ遊びだから)これがいいのだそうだ。

中高生からするとテクノロジーによって地元の課題が間接的に解決されているということだろうか。


確かに言われてみれば、我々の世代とて DS やら PSP やらが出たことでゲームが主流の遊びになりつつあった。しかし当時は近距離ではないと通信ができなかったので結論的に集まることになるし、集まることで生まれる遊びがあった。

だが、テクノロジーの進歩によって遠い距離でも(日本全国はもちろん下手すると世界まで)リアルタイムで一緒にゲームができるようになった。それによって”どこかに集まる”ということは必要不可欠ではなくなった。

むしろ居心地の家がいいと感じるのは当然だといえる。

これはある種「遊びの最適化」ともいえる現象だと感じている。もちろん利便性上がっているだろうし、機能性も上がっている。UX自体が上がっているのは間違いないだろう。

しかしながら、おじさんからしてみると少し寂しかったりもするわけである。なんだかんだアナログティックなコミュニケーションや遊びが楽しかったし、振り返ってみると鮮明に覚えているものだ。


しかしこれももう『平成』の考えなのかもしれない。令和時代はもう始まっているのだから。

そしてこれは将棋でも似たような話があったりする。
オンライン将棋が主流になっている一方で盤を挟んで向かい合う将棋を指す機会が極端に減った。オンラインが主流になっている一方で、アナログティックに将棋を指したいというニーズは意外と存在する。

古い考えなのかもしれないという危機感を感じつつも、遊びくらいはアナログティックであってもいいではないかと感じる今日この頃である。


今日はそういう日記になります。
「田舎と都会」はいろんな意味で面白いなあと思います。

それでは、また次回!


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