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「最適化」という落とし穴


こんにちは!あいでんです。

ビッグデータやAIの発達によって「最適化」がどんどん進んでいく現代。本日をこの「最適化」について『さよなら未来 (著:若林 恵)岩波書店』の内容に触れながら考えていきたいと思います。



それでは、、、いってみよっ!




最適化される現代

先述の通り、現代はビッグデータやAIの発達によって「最適化」がどんどん進んでいっている。

そしてこの「最適化」というものは時代が進むほどに拍車がかかることは否定しようがない事実だと思う。

私の趣味でもある”将棋”においてもAIの活躍は目覚ましいものがあり、「最適化」が進んでいる。

スポーツですらその例外ではない。

ありとあらゆる分野において「最適化」は進んでおり、「最適化」を図ることがその分野において進化を促進する要因の1つになっていることは間違いないだろう。


しかし、その先に待っている未来は本当に”豊か”だろうか。


同著でもそのことに対して疑問を呈している。著書内では、

『小学生の身体データを精緻に集めることができたら、子供たちをそれぞれ身体特性に合わせた競技へと振り分けて、より優秀な選手を効率的に育てることができる』

という知人との会話を例に話を展開している。

確かに、ビッグデータやAIから導かれた”最適”なスポーツを取り組む方が幸せになる可能性が高くなる。

しかし、当の本人が違うスポーツをやりたいと望んだ時は果たしてどちらが「最善の選択」だろうか。


著書内ではさらに

『メッシやマラドーナが存在する以前の環境に基づいたデータ解析は、メッシやマラドーナへ"サッカー選手として適正"と認定するだろうか

(中略)彼らがサッカーを選んでくれたおかげで、サッカーというゲームが確実に豊かになり、拡張したということだ。』

とある。

これはとても考えさせられる内容だと思う。

仮にもサッカー経験者の端くれとして言わせてもらえば、体が小さいというだけで認められないことは多々ある。

今日はメッシ然り、長友など小さくても世界で戦える選手が出てきたことで、それも少しずつは変わっているがまだまだといったところだろう。


これは人間による話ではあるが、データ解析やAIを投入しても同様の結果になるのではないだろうか。




最適化されてはいけない

以上の内容を踏まえて、著書内では最後に次のようにある。

『(演算された未来には)薄まり先細っていく[現在]しかない。そこでは誰も、何も成長しない。飛躍もない。驚きもない。

未来そのものが奪われているのだ。

つまり最適化し進化した未来が本当に豊かかどうかは全くの別問題ということになる。

最適解≠最善解だということだ。

ここに私の進むべき道があると思う。


最適化された末路が量産型ザクなのではないのか。

だとすれば、我々は最善解を探すことが重要なのかもしれない。


量産型ザクから抜け出す第一歩は、最適化から抜け出すことなのかもしれない。



今回はこのあたりで終わりにします。

それでは、また次回!

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