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「話す」ことをもっと楽しむために


こんにちは!あいでんです。

さあ一年の最後の月、12月です。

年を越せば卒業まであっという間なんだろうなあとか思いつつ哀愁漂う今日この頃。


▷はじめに


今日は以前も参加したイベントにカメラマンとして参加してきました。

カメラマンといってもイベントの様子をiPhoneで収めていただけです。

こういうイベントはどちらかというと参加する側であることが多く、実際に参加をするわけでもないのにその場に居るということは基本的にしない体験なのでちょっと新鮮でした。

で、実際に参加したわけではないのでイベントの内容は置いといて、今日はこういうイベントに欠かせない「話す」について書いていこうと思います。


▷いろんな「話す」


私自身、以前と比べると最近はいろんな人といろんな環境下で話すことが増えました。雑談などはもちろんミーティングやグループワーク、質問、アドバイス、発表etc...

話す機会が増えたので本当にいろんな人と話す機会が増えてきました。

当たり前なんですけど「話す」といってもいろんなパターンがあります。


例えば授業形式のように一方的に話されることもあれば、イベントなどに多い対話にちかい感じで「話す」こともありますし、ミーティングのように意見をぶつけ合う形で「話す」など様々です。

時には一方的に価値観を押し付けられる「話す」になることもありますし、感情的に「話す」こともあります。

以前は噛みつかれたら噛みつき返すという子供だった私も最近では多少受け流すことができるようになりました(笑)。


▷スルースキルが身につける


なんでそういう風になれたのかと思い返すと、ある程度恥をかくことを恐れなくなったり無駄なプライドを捨てることができたのが大きいのではないかと考えています。

以前はプライドも高く、恥をかくことが本当に嫌だった私は自分の中にある体裁みたいなものを守るのに精一杯でした。

すると、自分に賛同してくれず反論されたり意見されると、自分への攻撃だと認識していたのです。攻撃されたと認識していた私は自分の身を守るため、かつ仕返すために攻撃し返していました。


これはあくまでも私のど偏見ですが、相手を一方的に言いくるめたり早口でまくしたてたりする人はこの傾向が強気がします。攻撃されないためだったり攻撃して負かすためにそういう行動をとっているのだと思います。

また、そういう風に勘違いされて、そういう流れになってしまうことも少なくないのではないでしょうか。

イベントではそういう場面に出会すことが多いように思います。


しかし、実際には「自分への攻撃」である場合はそう多くありません。もちろん明確に攻撃的な意図を持っての発言もありますが。

むしろアドバイスだったり内容を深めていくための問いかけだったりする場合が多い。

でもプライドが高かったり恥をかくのを異様に嫌うと、これらどれもが攻撃的な発言だとついつい捉えてしまうのです。


周りにいるすごい人たちはどんな意見にも一旦は耳を傾けるし、プライドも高くないし、恥をかくことを恐れていないように感じます。

そもそも「話す」ってとても面白いものであるはずなのです。とても意義のあることだと思うのです。

しかし、プライドや恥が邪魔をするとそう感じられなくなるのかもしれません。

「話す」ことを楽しむために自分はもっと寛容にならないとなあと思いました。


▷おわりに


そういえば早速もうT先生からの添削が返ってきました。書かれてあることは至ってシンプル。

「もっと勉強しなさい(先行研究を読みなさい)」でした。

次の提出は12月10日。それまでにまだまだ勉強しなければいけませんね。


ということで、12月は卒論でヒーヒーいう月になりそうですが、それ以外もしっかり楽しんで2019年を締めくくれるようにしたいと思います。

それでは、また次回!


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