目的は自分でしか据え置けない


こんにちは!あいでんです。

2019年の流行語大賞が「ONE TEAM」に決まったらしいですね。

まさかそこまではやっていたとは梅雨知らず。自分もおじさん世代に突入しつつあるんだなと痛感しました。


▷今日も今日とて


今日も今日とて福岡女子商業高校へ。

ルーティーン化しているキャプテンへ行ってまいりました。

今日食べたのは生姜焼き。
これである程度のランチメニューは頼んだような気がします。

画像1

生姜焼き定食


来週は別の用事でキャプテンには行けないので、次行くとしたらマルシェの本番になる13日の金曜日ですね。

キャプテンのオーナーさんに「キャプテンに対しての想い」みたいなもの聞いた後だったので今日はまた違った印象でした。


▷「目的と手段」は分けて考える


本日、女子商達人カップで授業した内容は、主に”「目的と手段」を分けて考える”という内容でした。

私からするとゼミで口が酸っぱくなるほど言われてきたことなのでもう当たり前のような感覚ですが、いざそれを誰かに伝えるとなるとそう簡単ではないなと気づきました。


JKたちに喋っていて改めて思ったのは、当人たちに能動的に動いてもらうためには当たり前ですけど当人たち自身で目的を据える必要があるということです。

目標は他人によって設定することができるけど、目的は他人によって設定することは極めて難しい。

どんなに自分がいいと思っているものを推奨したって、どんなにいいアプローチをかけたって、当の本人たちからすると有り難迷惑だということになる。

だし、当人自身の血肉になることがあまりないので、あまり継続性も望むことができない。


それを特に感じるのがブログなんですよね。

自分の場合はブログを書いたり毎日投稿する目的が自分の中で明確になっているし、誰に言われるでもなく自分で目的は据え置いているので、どちらかといえば能動的にブログを書いているしなんだかんだここまで続いている。

逆にそうではない人とかはどうしても辞めちゃうんですよね(笑)。

もちろんそれぞれ事情があるんでしょうし、ブログを書くことがいいことでもなんでもないので結局は個人の価値観次第なんですが、やはりどうしてもブログを書くことが目的になってたんじゃないかなとか思ったり。


目的と手段は分けて考えるというか逆になったらいけないという話はよくする話なんですが、それ以上に目的は自分自身でしか据え置けないというのも大事なポイントだなあと。

自分でしか据え置けないからこそ、誰かの目的や想いにシンパシーを感じると行動にまで影響を与えるんだろうなとしみじみ感じました。

だから「Why」を問うっていうのは重要なんだと思います。


▷おわりに


最近は卒論に頭を洗脳されているのでこういうこともついつい関連づけて考えてしまいます。

「卒論を書く」っていうのはあくまでも手段でしかなくて目的ではないんですよね。というより、そうじゃなくてはいけないと個人的には思っている。


肝心の授業は芳しくなかったのでちゃんと振り返りしなきゃなあと思います。

こんなこと言ってる本人たちが目的と手段をごっちゃにしてたなんて笑えませんからね。

それでは、また次回!


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