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何のために書くのか。目的に立ち返ることの大切さ。

noteの投稿を始めて、17日が経った。18日目の今日も変わらず書き続けている。

昨日は良い記事が書けたと思った。

めいっぱいの愛を込めた。
見た人みんながスキになるはずた!という根拠のない自負があった。

結果は、思ってるよりもスキが届かなかった。

こんなに自分らしさ全開の、満足いく記事が書けたのに
スキの伸びはこんなものなのか~。
正直、どこまでの範囲の人に届いていて、どれだけの人に価値を感じてもらえているのか実感するのは難しい。
良いと思ってもスキをしない人もいるし、私もその一人だ。
それでも全力で応援してくれる友人はいるし、
定期的にスキをくれるクリエイター仲間もいる。
それはとても有難くて幸せなことのはずなのに、もっともっとと求めてしまう自分がいる。

気づけば、「読みやすい記事を書くためのコツ」「ウェブ検索で自分のnoteを見つけてもらいやすくするコツ」「今、このnoterがおもしろい!」
深夜にそんな記事を読み漁っている自分がいた。
記事を読んでは私に足りないものを見つけて落ち込む。
負のループにハマってしまった。
noteを始めて4日目と全く同じだった。

もちろん、伝わるように努めることは大事だし、多くの人が喜ぶこと、つまり読みたい作品を提供することも重要だ。
目の前の相手を喜ばせるからこそ返ってくるものがある。
自己満足の商品で見返りを求めるのは虫がいい話だ。
但し
それは誰かからの承認を得られることを目的とする場合、である。

はて。それなら私はなぜこのnoteを書き続けているのだろう。
目的に立ち返る必要があった。

それは自己表現の為ではなかろうか。
自分の中でキラキラ光る塊を言葉にして紡いでは、命を吹き込む。
その活動に、ワクワクを覚えたのではなかったか。
他の誰からの承認も必要としない、自分だけで完結する幸せを享受したかったのではなかったか。

“私にとって書くということは、自分や世界を知るということであり、創作活動であり、自分を整える手段である。”

私にとって「書く」ということは|陽 (note.com)


ある記事に出逢い、ハタと気づいた。
そうだった。
私は自分の本当に大切にしたい価値観を、情熱を、見て見ぬふりをしていたのだった。
自分を抑えて抑えて、世の為人の為仕事の為と自らを駆り立て、嘘をつき、そのうちに疲れ切ってしまい、どうして生きていけばいいのか分からなくなってしまった。

ジャさんの言葉がまるで突き刺さった。

“定期的にその情熱をどこかに吐き出す機会がないと、だんだんとひたすら悪い方向に熟成されやすいのではないだろうか。”

(INFPは特に)内なるもやもやを秘めている人は、熱く語るだけでも満足度が上がる|ジャ (note.com)

「目的に立ち返る。」
何のためにnoteを始めたのか。

作品として出来上がらなくても、クオリティが低くても全然問題ない。食っていく必要もない。自分にとってはなによりの財産だし、noteみたいなみんなの思いがありふれた空間で、ちょっとばかし不思議な輝きを放つかも知れない。ちょっとでも人の目に触れたらなお素晴らしいことであるが、触れなくてもいい。でも吐き出すのが大事である

(INFPは特に)内なるもやもやを秘めている人は、熱く語るだけでも満足度が上がる|ジャ (note.com)

誰も彼もに気に入られる必要はない。
ちょっぴりヘンテコで、幸せを語りながらも鬱を翳らせ、
重く軽く、だけど踊るように愛を表現する。

村上春樹は言っていた。
「みんなにいい顔はできない」

十人に一人がリピーターになってくれれば、経営は成り立っていく。

村上春樹(2007)走ることについて語るときに僕の語ること

そしてそのためには経営者は、明確な姿勢と哲学のようなものを旗じるしとして掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。

同上

私は今日も自分を生きた。
昨日の記事は私にとって最高だった。
今日も私にとって大事なことをここに記した。

明日も私らしく
歩めますよう
そして自分を見失いませんよう。

良い夜をお過ごしください🌙

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