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二元論より人間論を / オンライン演劇 『SUPER FLAT LIFE』

オンライン演劇『SUPER FLAT LIFE』を二夜連続で鑑賞しました。主演は秋元才加さん。アーカイブは4/11まで。

結婚を目前に彼氏に突然の別れを告げられた”普通のOL” 棚橋エリ(秋元才加)は、コロナ禍でオンライン結婚相談所「スーパーフラットライフ」に出会う。性別不詳の支配人、アキラ(中山咲月)はエリに次々に理想の結婚相手を紹介してくれるが、その相手というのがちょっと異質だった。同性婚を望む超合理主義者の女、レズビアンに、別居婚や契約結婚などなど、従来の結婚観を根底から覆す人たちばかり。実はゲイだった彼との恋愛生活や、親友との同居生活を経て、悩んだ末にエリが出した結論は。(STORY/公式より引用)

作品感想

≪全体≫
良い意味でLGBTQ一辺倒の話ではなく、新鮮な切り口で良かった。フラットな生活、フラットな目線とは。凸凹を均しているのではなく、凸凹「で慣らして」いるのかも、なんて。自分のバイアスも随所に透けて見え、改めて様々な問題の絡み合いを実感。

≪結婚/セックスの考え方≫
・将来の備えとか生命維持装置とか、エリとユリエの合理的な考え方は保険と似ている。
・子どもが居たから結婚したのかなあ、「2人」だったら結婚する必要なさそうだったなあ
・コミュニケーションの手段としてセックスはあっても良い(あるべきとも無くていいとも言えない)と思うけど回数決めるのは端的にキモい…したい時にしたらいいよ…でもそれを望み合う関係って存在するかもしれないし、当事者同士が良ければ(他人に迷惑をかけないなら)良いよね。どんなことでも。
・それこそ「セフレ」って概念はもう結構「普通」かなあと思ってたりしました、お互い特定の恋人が居ない場合、の認識だったけど。

≪オンライン演劇≫
・カット割の違和感の無さへ「映画と何が違うんだろう?」と思ったけど、劇中とこちらの時間がリンクしたり、コメントを読まれたり、外のシーンがあったりと面白かった。ネットが繋がらなくなったら終わり、のスリル!(収録部分も混ざってたんだけど2日間観ないと解らなかった!)たまのメタ演出も笑えた、カメラいっぱいある〜とかユリエさんにすぐ繋がるご都合とかw
・スマホ数台で切り替えるカメラ、凄かった!可能性を感じた。
・でもスマホで観たら画面小さすぎてチャット見えなかった。笑

≪キャラクター≫
・みんなのアイドル💓ユリエさん!
注意一瞬、推しも一瞬 2日目は胸元のはだけかたが激しかったねw
・ユリエはリピーターとあのパーティーで出会ったの??
・パーティーのメンツ良かったなあ、いつメン感。みんな友達👍(しかしだからこそ結婚せず留まり続けている説)
・コジローは神👍
・ユウタとアキラの中性的な感じが好きでした
・エリの考え方を保険外交員という仕事がよく表していた。両親が居るからって幸せな訳でもないし、逆でもないけどね。私は保険に入らない派なので余計にちがって見えたのかなあ、相手の年収なんていつ病気したり死んだりするか解らないのに期待も信用もできません…!(それが小説家の妻との対比なのか)
・マモルいい男なんだけど「産むよね?」はうざかったな守れてないな(2日目の最後「お守り」ネタは笑ったw)「僕は逃げ道にもなる」はイケメンだったけど
・その瞬間から「母」だから、セックスできなくても「家族」になれるとマモルは思ったのかな、エリはまだ恋したそうなのにな。でも最終まとまって感心。
・終了直前までトモコはエリのことが好きなのかな?と観てたけど、そこもフラットだった。ファミリーとしてのパートナーシップ。だってルームシェア出来てることがもう凄いもん。他人と住んでることが!

結婚とは?

以前、女友達との会話の中で「将来ルームシェアしようか」→「つまり形だけの結婚ってありなのでは?」という流れになったことがあった。「結婚」ではなくそれこそ「パートナーシップ」(の積み重なり)だと違和感無く受け入れられるし拡がるのかも、と今回の鑑賞で改めて思った。でもそれって制度の悪用にならないかな?とか、そもそも法律婚と事実婚の(待遇の)差とか、子供がいるいないで変わるよなあ、とか。夫婦別姓の話も似てる。結局、社会問題。

別居婚もちょっと良いかもと思ったけど、恋人は週3どころか月3で良いんだけど(笑うところです)結婚したらそうもいかないのでは?と思い、いやそれこそが思い込みの概念だな、などと逡巡。単身赴任問題とか結構根が深いしね。

女が一人で生きていけないからと結婚していた時代はとうに終わっていて、女友達と恋愛関係抜きで「結婚」したらセフレがお互い居ても全然良い気がするし、でもそれってルームシェアと何が違うのかな?っていう。病気の時とかに家族として認めてもらえる、その権利が友達にも適用された方が良いのかな?とかね。核家族が当たり前になった昨今、異性とか同性とかじゃなく「家族」、そしてそれに端を発する「生き方」をアップデートしていかなきゃなあ、と。それが「未婚率の増加」とかじゃない新しい世の中をつくっていくきっかけになるんだろうな、と。

二元論より人間論を

私は身体も心も女性で恋愛対象は男性、「性別」に違和感を持ったことはないけれど、心理テストとかは十中八九「男性脳」の診断が出るし大いに自覚がある。そして積極的に結婚したいとは思わない(なんかタイミングがあればしても良いかなあ、くらい)。その後ろのふたつで途端にマイノリティたらしめられている、と思ったりする。生きづらいという意味で。

「性別」と「セクシュアリティ」、ジェンダーとセックスの違い。それはもう「男性」と「女性」の二元論ではなく、人間論なんだろうなと、すこし前から考えていた。その問いに対する正解のひとつを今回の鑑賞で見せてもらった気分。


もともと秋元才加さんに好感を持っていて、今回の演技もとても良かったし、中山咲月さんという逸材にも出逢えて嬉しかった。また別の作品でも観てみたいな。そして何より、いつも素敵な作品に出逢わせて(或いは再会させて)くれる長屋和彰さんに感謝!


*ヘッダーの写真はポッピングシャワー、凸凹を滑らかにすくって

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