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兄弟げんかは裁判官にならない

あっという間に2月も終わり。もう3月だなんて信じられない。気づけば朝、明るくなる時間も早くなっているし、保育園のお迎えに行く頃はまだ明るい。ちょっと前まではお月さまを見上げながら迎えに行っていたのに。

最近は長男さんちゃんと次男べえさんの自我がぶつかることも増えてきた。4歳と2歳の自己主張のぶつかり合い。なかなか見ごたえがあり、兄弟っぽくなってきている。
と、他人事みたいに見ていることもできず仲裁に入ったり入らなかったりしながら、やり過ごしてきた。
あっちの肩を持てばこっちが不満に思い、こっちの肩を持つとあっちが更に泣く。

参ったなぁと思っていたところ、ほぼ日刊イトイ新聞のYoutubeを聞いていたら作家の水野敬也さんとの対談で横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一さんがこんなことを言っていた。

「例えば兄が弟に対してなにかやったら、うちの妻は裁判官みたいにはならないですね。2人がケンカしていると悲しくなる、みたいなことしか言わない」

【子育て本を100冊読んだのに正解がわからなくて泣いてます 】

工藤さんの息子さん2人があまり兄弟げんかをしないのは、パートナーの最初の対応がいいからなのではないかという話のくだり。
「大好きなお母さんが悲しむのなら」という子どもたちの想いにも触れていた。

今まで子どもたちの声かけはできるだけ「ああしなさい」「こうしなさい」よりも、「私(お母さん)はこう思う」などと言うようにしてきたけれど、兄弟げんかの時はつい「何があったの?」「何で泣いているの?」と事情聴取からの裁判官になりがちだったことを反省。

これはぜひ実践してみようと思った矢先、動画を見るためのスマートフォンをさんちゃんが独占してべえさんの好きな電車動画が見られず泣いてしまった。
いつもなら「スマホ貸して!べえさんの番だよ!」と言ってしまうところを、
「さんちゃんばかり動画を見てべえさんが泣いていると、お母さんも悲しいなぁ」
とべえさんをなだめながら声をかける。
するとさんちゃんが「じゃあべえさんのあとはさんちゃんの番ね」と言いながらスマホを渡してくれたではないか!

とはいえ、べえさんが選んだのはショート動画であっという間にさんちゃんに再びスマホを奪われて再び号泣したのだけれど。

でもこれにはびっくり。そして子どもたちが「お母さんを悲しませたくない」という気持ちを持っていてくれるようであるということも知って、ほろり。
「親子の無償の愛は親から子へだけではなくて、子どもから親への愛でもある」というようなことを誰かが言っていた気がするが、まったくもってその通りと痛感する日々。
どんなに怒っても、どんなにきつい言い方をしてしまっても、子どもたちは全力で「お母さん大好き!」をぶつけてきてくれて、時にはそれを受け止めきれずに落ち込んだりもするけれど、やっぱり私も「子どもたちが大好き!」と言うボールを投げ続けていこうと思ったのだった。



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