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【mind】ヒーローモノに出てくる怪獣を己の弱さと仮定した

5歳になった長男さんちゃんは、ヒーローモノが大好きだ。何かのきっかけでウルトラマンにハマり、「ウルトラかいじゅうあいうえお」のおかげでひらがなを習得。
4月期から始まったブンブンジャーにも見事にハマり、毎日録画した分の放送を繰り返し見ている。鬼滅の刃もお気に入りで、金曜ロードショーか何かでやっていたのをリピート中。

保育園でもお友だちと戦いごっこをしているようで、先生に止められている。家に帰ると家族を相手に新聞紙で作った剣をふるったり、パンチやキックを繰り出して挑み始める。
次男べえさんはまだ戦いごっこの相手役は務めないので、やられっぱなしで泣いてしまう。

さんちゃんに「戦いごっこは痛いからやめよう」といさめても「悪者を倒してるんだもん!」と言って聞く耳なし。「べえさんは悪者じゃないよ」と言っても通じない。
どうしたものかと思い悩んでいた時に、ふと「怪獣は自分の弱さを具体化したものなのでは」と仮定してみた。

ウルトラマンに出てくる怪獣も、仮面ライダーやブンブンジャーに出てくる怪人も、鬼滅の刃の鬼も、地球を支配しようとしたり人間を食べようとする「悪」。だから悪は倒すべき相手=戦う相手であると思っていた。
しかしそうすると自分以外の何か悪いものを見つけたら、戦って倒さないといけない。
でも実は、これって人の弱さをわかりやすくしただけなんじゃないか。
戦う相手は自分の弱さだとしたら合点がいって、苦手だったヒーローモノにおもしろさを見出せそう。

さんちゃんにも「怪獣も鬼も実は悪者じゃなくて弱さなんだよ。一番かっこいいのは自分の弱さと戦って勝てる人なんだよ」と言ってみた。
彼はきょとんとしていたが、「じゃあ自分と戦えるもの作ってよ!」とビニール袋に新聞紙を詰めた怪獣と戦い始めた。

心の師とはなれども、心を師とせざれ」という言葉がある。
揺れ動く自分の心を師とするのではなく、心を律していく自分であれというような意味だが、迷った時に思い出す言葉だ。

20代、30代とブレブレで自分の心に振り回されてばかりだったが、40代に入ってやっと少しづつ「心の師となる」コツのようなものが見えてきたように思う。
自分の弱さに勝てる時も負ける時も、戦うことすらできないこともあるけれど、昨日の自分より今日の自分が健やかであれば良しとできるようになってきたからだ。



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