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悲しみに何の役割があるのか(原爆忌に寄せて)

久しぶりにnoteを書こうと思ったのは、広島原爆忌の昨日、僕の大家さんであり舞台女優でもある、蒔村さんの公演に伺って、感じたことがあったからです。
(最近の回復ぶりの話は、明日にでも改めて!)

蒔村さんは広島出身で、お父さんを被曝による複数のガンで亡くされています。
毎年原爆忌のころには、原爆についての作品を上演し続けてきました。

観劇したのは「空が、赤く、焼けて」「さがしています」の2作品
平日にも関わらず、多くの方が真剣に耳と目を傾ける場がありました。

今年は原爆から73年。
実際に被曝した世代が少なくなる中、「語り継ぐ」の新しい形が必要だと、上演の結びに、蒔村さんは言いました。

「今日の公演で感じたことを、ぜひ誰かに語ってみてください」
世代が変わった今、直接の体験がなくとも、語り継ぎ続ける。演劇を観て、それを語るのだって、立派な「語り継ぐ」だと。


というわけで、僕も「語り継ぐ」に、このnoteで参加します。

僕にとって、昨日初めて感じたことがあります。
去年は原爆について「この世界の片隅に」が大ヒットしました。僕も映画館で見て、感涙し、すずさんの「悲しみの中でもなお、日常を楽しむことを忘れない在り方」に感動しました。

でもそれは、あくまで他人事としての感情移入だったと思います。
今年は、大怪我したからこそ、原爆で苦しむ人たちの気持ちに、少しだけ近づけた気がしたしています。

もちろん規模も違えば、悲惨さも違う。僕の怪我の悲しみなんてちっぽけなものです。でも、小さなありふれた個の悲しみにも、役割があるはず。

ありふれた個の悲しみの役割は、大きな悲しみを、少しでも受け止めることだと思います。
僕も大怪我の中で、運命の理不尽を感じ、どうしようもないやるせなさを感じた。自分ではどうしようもないような先の見えなさを感じた。
不自由なく生活できているありがたさを、今も時々噛み締めます。

怪我があったから、もっと違う、もっと大きな、戦争のような悲しみに対しても、少しだけ自分ごととして受け止められるのだと思います。


そして同時に、個の悲しみがあるから、別の人の悲しみに対しても、受け止めて、もしかしたら何かを差し出すことができる気がしています。

心の調子を崩してしまった友達、恋人の死に苦しむ友達。
大なり小なり、人はみんな「固有の悲しみ」を背負っていて、それは僕のものとは違うから、できることは少ない。

でも、もしかしたらと言葉を探す。
そのときに寄り添おうと思う感情と、探し出せる言葉の質が、怪我によって得たものだと思います。

蒔村さんは、入院していた僕に何度もお見舞いにきてくれて、蒔村さんだからこそ言えるたくさんの言葉をくれました。
「いつか意味のあるものだと分かる」
「きっと優しくなれる」


言葉をもらったときには全く理解できませんでしたが、悲しみの役割とは、こういうことだったんじゃないかと、今になって思います。

自分の悲しみを咀嚼して、別の悲しみを持ったあなたとの関わり方を探す。
悲しみの大きさや質は違えども、悲しみへの態度として、誰にでも共通するのではないでしょうか。

蒔村さんもまた、お父さんを白血病で亡くし、旦那さんの高次脳機能障害でのリハビリに長く寄り添い、その悲しみあってこそ、きっとこの公演が生まれています。


この季節になると、戦争を特集した番組や作品が流れます。
それは「語り継ぐ」ために重要な役割を担っています。

しかし、20代の僕にとって、戦争や原爆の悲しみは、どこか特権的で特別なものではありません。
いろんな他の場所や時間の、あるいは個人の、貧困や、飢えや、差別や、離別の、それぞれ違った悲しみたち。でも全てが切実な悲しみたちです。

まずは自分の小さな悲しみを咀嚼して、「自分と違う」誰かの悲しみに言葉を探す。
それは同時に、大きな悲しみを受け止め、語り継ぐための力になるのではないでしょうか。


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