見出し画像

苦手なもの

昔から苦手である。
平気で人の好きなものをバカにしたり、からかったりする人が。もういい大人になったので、多少のことは我慢できるようになってきたが、これだけは相手が冗談のつもりで言ってるんだろうなと分かってもモヤッとする。

そういうことを平気で言う人に限って自身が好きなものを貶されると途端に激昂する。

多分自分が愛情を注ぎ、リスペクトしてるものを簡単に足蹴にするその無遠慮さもさることながら、「私は(持っているから何を言っても)いいのよ」みたいなその傲慢さが無理なんだと思う。

自分は他人より優れた何かを持っていると思い込み、何も持たないように見えるだろう人々を勝手に選別し、自分の価値を見せつけようとするその佇まいが。

人の感性や感覚的なものは目に見えず、故に非常に繊細だと思っていて、ともすれば外見を批判されることよりも傷つく人もいると思う。例えば自分が歌を歌った時笑われた、だから二度と人前で歌えなくなっただとか、好きな映画を馬鹿にされて二度と見なくなっただとかそういう人がいるように。

「人に言われたくらいでやめるならその程度だ」
「本当にすきじゃないから止めれるんだ」

だとかよく言うが、「本当に好きじゃない」はやってはならない理由にはならない。例えば好きを数値化してMAXが10だとして、全部が10である必要はない。好きレベルが1だっていいのだ。それを見ること、することでその人の日常が少しでも潤えば。

かくいう私も小学生の頃、絵を描くのが好きだった。よく休み時間になるとノートを広げ、当時好きだった漫画のキャラクターなど描いて楽しんでいたし、周りに見せていた。周りに集まってきた同級生もそれを喜んでくれているのだと思い込んでいた。ある日周りにいた友人の一人がこう言った。

「絵をたくさん描けてすごいね。私は無理。絵を描くのって恥ずかしいし馬鹿らしくなって来るんだよね」

友人は別に私を傷つけるために言ったわけではなく、本当に何気なく言ったのだと思う。だから余計にショックだったのを覚えている。じゃあそれをこんなに楽しんでる私はよほど恥ずかしく、馬鹿らしい存在なのだろう、と。(とはいえ、自分も友人たちが皆そういった活動を好きでなかったのにも関わらず無理やり見せていたようなところもあるのでこちらにも否はあるのだが)

それ以来、私は人前で描くのをやめたし、絵を描くことを趣味だと人前で言うことはなくなった。今はそんな人ばかりではないことが分かり、趣味を公にしているし、頼まれれば描いたりするものの、当時言われた時のことは未だに忘れることができない。

だから誰かが自分の好きなものの話を話してくれる時は、自分がそれに関心がなくてもきちんと聞くし、否定的なことは言わないようにしているし、慎重になる。一人の何気ない一言で、誰かが何かを諦めてしまうことがあることを知っているからだ。

勿論中には本当に人にはいい辛いものが好きな人もいるかもしれない。だが、誰にも迷惑をかけるわけでもなければ、熱狂してもいいのではないか。数多くあるものの中から、何かのきっかけがあって出会い、好きになる。人だろうが趣味だろうが、その出会いは素晴らしいもののはずだ。

かつて好きなことをしているはずなのに、罪悪感や背徳感を感じ、時には友人に言われた一言を思い出し、傷つきながら1人部屋で絵を描いていた私のような思いなど、誰もする必要はないし、して欲しくはない。

好きなものを恥かし気もなく好きだと言えるようになった今、改めてそう思うのだ。


最後まで見ていただきありがとうございます。頂いたサポートは画材や資料の購入費に使いたいと思います。