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「死刑にいたる病」観ました

映画「死刑にいたる病」観ました。サイコパスの怖さを、垣間知ることができます。
サイコパスという言葉には、どこかファンタジックな…“ドラキュラ”のような…響きもあるかと。よく漫画やドラマでは、容姿のいい快楽犯としてそのスマートさが強調して描かれる。彼らが行う残酷非道な場面は、それほど直接的詳細には描かれないことが多い。
この映画では、目を背けてしまうシーンが連続しています。イ、イタッ!じわじわといたぶり殺すことを楽しむ犯人…被害者の恐怖をこちらも想像せざるをえません。
残虐シーンは直視できなかったです…その覚悟をしていなかった。知っていたら観に行かなかったと思うので、知らずに行ったのはよかった。
何がよかったというと、阿部サダヲの演技!この役者さん、本当に凄い!善人も悪人も今回のようなサイコパスもリアルな存在感。誰もが持つ残虐性、巧妙に人を利用する計算高さ…を自分の中で誇張&培養し表出させたのかな、と私の想像です。
私は子供の頃、日本や世界の拷問道具の本、時々好んで読んでいました。なんでしょうねあれ、拷問は実際にされるのもするのも見るのも嫌だけど、どうやるのかは知りたい。その類の本は、いつの時代も途切れることなく…ってことは、多くの人も興味津々かと。
映画の中で、拘置所のサイコパス主人公が、面会に来る大学生に放つ言葉“こっちに来たら終わりだよ”(正確には覚えていませんがそんなニュアンス)。こっち=殺人を平気でできるようになったら、って意味でしょう。これ、深いと感じました。そちら側へは、強い歯止めがあるから誰も行かないけれども、もしその制約がなくなったら…。
殺人がいけないこと、恐ろしい…というのは、秩序ある社会の存続のため、それを支える宗教や道徳など私たちをとりまく文化の中で、思い込まされているだけで…。
以前ラジオ番組である方が“戦争中の残虐だった出来事をよく聞くけど、自分だってそうしてしまうんじゃないか”と話していて、正直だなと思いました。これは、躊躇しても自分可愛さにきっと同調圧力に屈する、という意味ではありましたが…。
根源的な部分で、人は人を、痛めつけるいたぶる、ということを喜びとする習性…残虐性があるのかなとも思う。だから、世に精神的いたぶりがなくならないわけで。
阿部サダヲ演ずるサイコパスは間違いなく怖く、自分と同一線上にいるとは考えられません。でも…残虐性自体は、誰でも自分にも、心の深層で根を張っているのかもしれない。
原作が読みたくなりました。…って、制作者側の思うつぼですね。
人の心をコントロールしようとするのも、私たちが生きる上で、程度の差はあれ、欠かせないもの。「人間」の心の奥にしまわれた暗さと複雑さ、を様々に考えてしまう作品でした。

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