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映画「神は見返りを求める」を観ました 感想2/2

この映画は“時代に関係なく普遍的な人間心理を描いている”、と前回述べましたが。
YouTuberが大勢いて切磋琢磨している、というのは今の時代ならではの事象。誰でも、世界に向けて発信者になれるというのは現代的です。
YouTuberでなくても、多くの人がなんらかのSNSを利用している。フォロワーやいいねの数、コメントなどを気にせずにはいられない…登場人物の気持ちに多少なりとも共感できるかと思う。
こうした現在の状況への、最初の大きなきっかけはワープロ登場でした。アルファベットの国と違って、それまでは、一般的な日本人が活字で文字を打つというのは皆無。それが、我々でも、体裁のよい活字の印刷物を簡単に仕上げることができる!
その喜びを飛躍させたのは、インターネット普及とブログやmixiの隆盛です。きれいな活字で表現でき自分も発信者…日本の大衆社会に起こった革新的な出来事でした。
そして、「それほど親しくない相手、ときには見ず知らずの人の反応だって気になる」、という、それまでにはなかった感情が…私たちに広く生まれたのです。
ブログではカウンターをつけることができ、何人閲覧したのかひと目でわかってやはり気になったし。mixiでは知人が足跡残してもコメントないとがっかりしたり。
1対1のやりとりでさえもね。コミュニケーションに対する感覚が変わった。
メールやラインに返事がない、遅い、と傷ついたり気になったり。返事がないときに、届いてません?と躊躇なく確認電話できる相手ってそれほど多くない。
以前年下の友人が、「(彼は)メール出した後すぐに返事をくれて私を不安にさせない」と言っていたけれど、さもありなん。
私は、YouTubeよく観てます。あるYouTuberの対談話を聞いていたら、編集は人に(会社?)にまかせているとのこと。そうだよね、その人に限らず、素人仕事とは思えないクオリティの高い番組多いと思った。会社が有名人使い発信している番組も増えているし。フォロワー数競争は厳しい。
たぶん人気YouTuber自身、時代は変化すると十分承知の上。その上で、今やるべきはこれ、と情熱を注いでいる。これが、やがて終わるコンテンツだとしても。
映画の中で、主人公YouTuberのファンの言葉が深かった。今表現されたものに今感動する人がいる、それだけで駄目なのか…表現活動の真理、と感じます。
そして、忘れちゃいけない。この世には超ヤバイ人が、本当にいるってこと。ばれなきゃなんでもやる、って人はいるのです。天罰下れ、と願ってしまいます。

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