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まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか - 感想・引用

著者プロフィール: ナシーム・ニコラス・タレブ
学際的な立場から不確実性の問題に取り組む数理系トレーダーにして大学教授。その興味は哲学、数学、ファイナンス、そして社会科学に及ぶ。トレーダーとしては、ニューヨークとロンドンでの20 年にわたるキャリアを持つ。大学教授としては、マサチューセッツ大学アマースト校で学長選任教授をつとめる。専門は不確実性科学。ウォートン・スクールMBA、パリ大学Ph.D。

本書は2001年10月に発売されるや、プロのトレーディングの成功は、ほとんどの場合、彼らのプロとしての腕前によるものではなく、まぐれにすぎないことを実証した書として、ウォール街を騒然とさせた。原書刊行から6年経過した現在も、アメリカではベストセラーを続ける。昨年4月に刊行された続編THE BLACK SWAN (弊社刊行予定)も、発売と当時に大反響を巻き起こした。

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

今回の記事は、投資は運か実力か?人はどうして、投資で儲かると自分の実力だと思い込み、損をすると運が悪かったと思うのか?について解説した本です。20年以上にわたるトレーダーとしての経験と、様々な学問への深い知識と鋭い洞察をもとに、金融市場において偶然や運が果たしている役割と、人間の思考と感情との関係を描き出す学びの多い一冊です。

この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。

感想

  • 「数打ちゃ当たる」という視線を持たないとだと思う。

  • なぜ投資家は偶然を実力と勘違いするのか?という触れ込みだが、投資家って普通そうなのかどうか。

  • 「自信満々で、自分の知性を信じきっているやつらはいじめてやろう」のモットー通り、いかにいろんなパターンの偶然を説明されるかが読み取れて面白い。

    • 自信過剰な人の鼻をへし折るということだが、人がそこまで確率を考えていないというわけではないのかなと思った。逆にへし折る、勘違いを否定するところが強かったなという印象。

  • 投資は堅実にタイミングを見て、投機になってはいけないというのがあるが、それを地で行っている。

  • トレーダーは勝つ時は周りの人と違っている状態が良い。しかし、負けかけている時は、周りと一緒だと言って保身するのが面白い。これはトレーダーに限らず、みんなに当てはまるものだと思った。

  • 謙虚であるのが大事、過信しないことが大事。

  • 面白い引用

    • リスクに気づいたりリスクを避けたりといった活動のほとんどをつかさどるのは、脳の「考える」部分ではなく「感じる」部分なのだ (「リスクは感覚」だとする理論がそれだ)。

      • 面白い仕組みだと思う。恐怖とかはまさにそう。

    • 吹き飛ぶトレーダーに特徴的なのは、自分は世界がどんなふうになっているかとてもよく知っているので、ひどい目にあう可能性はないと思い込んでいることだ。彼らがリスクをとれるのは彼らが勇敢だからではなくて、ぜんぜんわかっていないからだ。

      • 厳しいw しかし正しい。

    • 研究者たちが発見したところによると、純粋に合理的な行動をとる人間は、扁桃体に異常があって、愛着という感情が阻害されている可能性がある。つまり、その人は文字どおり頭がおかしいのだ。

      • サイコパスとかはそうだろうから、これは感覚的にも正しいのがわかる。

  • なぜ確率論を理解できるようにはできていないのだろうか?

    • 感じる部分というのも面白い。

    • 怖い状況で他の人に従ってしまうのがわかる気がする

    • 確率的にちゃんと考えるのは脳のエネルギーを使うんだろうなと。

  • 短期で見たら全て誤差説が面白い。長期で見るとその人の本当の性質が出るとのこと。

  • 偶然は勘違いしてはいけないが、運を引き寄せるのも必要。ここは難しい。

  • 疑問

    • どうして、例えば最初に何人のマネージャーがいて、そのうち何人生き残った、%は〜です。みたいな話をしないんだろう?普通最初に成功する割合を考えるのだと思うが。


引用

私のモットーは 「自信満々で、自分の知性を信じきっているやつらはいじめてやろう」 である。そんな不信感を知性への自信に満ち溢れた場所で育てていこうというのは奇妙なことだし、簡単ではない。自分の頭から、最近よく見る知性への信頼を追い出さないといけない。

討論で恥をかく

違った歴史という考え方は明らかに直観に反しているけれど、面白いのはそれからだ。そもそも、私たちは確率論を理解できるようにはできていない。そのことはこの本で繰り返し説明する。とりあえず、脳を研究している人たちによると、私たちの脳には数学的な真理がほとんどわからない。とくに偶然の結果を検証するのはまったくダメだ。確率論で得られる結論はまったく直観に反している。

違った類の地震

リスクを認識するときのそういう問題に加えて、もっとショッキングな科学的事実がある。リスクに気づいたりリスクを避けたりといった活動のほとんどをつかさどるのは、脳の 「考える」部分ではなく「感じる」部分なのだ (「リスクは感覚」だとする理論がそれだ)。それが意味するところは小さくない。つまり、リスクを避けようとするとき、合理的な考えは少ししか関係ないし、ほとんど関係ないと言っていい。合理的な考えが役割を果たすのは、ほとんど、自分の行動に何か理屈をつけて正当化するときのようだ。

ヨーロッパの遊び人の数学

確率過程とは、時間とともに起きる事象がどう展開していくかを表す。ここでいう確率とは 、 たまたまであることを表すステキなギリシャ語だ。確率論のこの分野は、一連のランダムな事象がどう展開するかを研究する。歴史の数学と呼んでもいいかもしれない。「過程」 の重要な点は時間が含まれていることだ。

ストーブは熱い

私の同僚で歴史を軽んじていた連中はみんな華々しく吹き飛んだ。吹き飛んでいない人には今のところ出会っていない。でも、本当に興味深いのは、そういう彼らのやり方がとても似ていることだ。 もう一度説明すると、吹き飛ぶとはただ単に損をするということではない。そんなことになるなんてまったく思ってもみないときに大損することだ。

吹き飛ぶトレーダーに特徴的なのは、自分は世界がどんなふうにな っているかとてもよく知っているので、ひどい目にあう可能性はないと思い込んでいることだ。彼らがリスクをとれるのは彼らが勇敢だからではなくて 、 ぜんぜんわかっていないからだ 。

過去の歴史を予測する能力

私たちの頭は、 ほとんどの事象を、起きる以前ではなく起きて以降に照らして解釈する。答えを知 っていて試験を受けるようなものだ。時間は将来へ向かって流れるのはわかっていても、時間をさかのぼって考えるのは難しい。

事象が起きた後に得られた情報を、事象が起きたときにわかっていたはずだと考え、 その結果、事象が起きた当時の情報を過大に見積もってしまうことを、心理学者たちは後知恵バイアスと呼ぶ 。「最初からわかっていたよ」というやつだ 。

買い下がり

いつだって一番お金持ちのトレーダーが最悪のトレーダーであることは多いのだ。私はそれをクロスセクション問題と呼んでいる。任意の時点で市場を見渡してみると、一番成功しているトレーダーとは、一番最近の市場のサイクルに、一番適応した人たちであることが多い。歯医者やピアニストの世界ではあまりそういうことは起きない。彼らの仕事はあまり偶然に左右されないからだ。

コンピュータと方程式を操るクウォンツ

ジョンが苦しみから立ち直るのはいつだろう?たぶんそんなときは永久に来ない。損をしたからではない。トレーダーなら損をするのは慣れつこだ。ジョンが永久に立ち直れないのは、彼が吹き飛んだからだ。思っていたよりもずっとたくさん損をしたからだ。彼は完全に自信を失った。でも、ジョンが立ち直れないのにはもう一つ理由がある。最初から能力なんかなかったことだ。彼は何かが起きたときにたまたまそこにいた運のいい人の一人にすぎなかった。彼は本物に見えたかもしれないけれど、本物に見えた人はたくさんいたのである。

連中に共通する特徴

それぞれと話をしてみれば、ああいう人たちには共通した特徴があるのだ。偶然に大きく左右される環境で仕事をして、たまたま大成功したバカの特徴だ。もっと気になるのは、そんな彼らのボスや部下たちにもやっぱりそんな特徴が見られる点だ。

市場に巣食う、たまたまなのにその気になる連中の特徴を概観する

自分のポジションと結婚する。下手なトレーダーはポジションよりも先に奥さんと離婚するということわざがある。いったん抱いた考えに忠節を尽くすのは、トレーダーにとっても科学者にとっても、誰にとってもよくないことだ。

シナリオを変える。損をしているときは「長期的には」などと言いつつ投資家になる。直近の運の向き方でトレーダーになったり投資家になったりする。トレーダーと投資家の違いは、賭けの結果が出るまでの時間の長さと掛け金の大きさだ。「長期的」な投資家だからといつて、別にそれが悪いわけではない。ただ、短期のトレーデイングとまぜこぜにしてしまってはいけない。損をすると、長期投資家になる人がとても多い。自己否定するのがいやで、ポジションを手放すのを先延ばしにしてしまう。

損をしたらどうするかというゲーム・プランを事前にちゃんと決めていない。ただただそんな可能性があるのに気づいていない。市場が急激に下がれば買い増しするけれど、あらかじめそうしようと決めていたわけではないのだ。

自分の考えを批判的に検討することがない。「ストップロス」を置いてスタンスを変更するなんてことがないのに、それが表れている。ちょつとできるぐらいのトレーダーは「いつそう割安になったときに」売るのを嫌う。自分が使っている価値の評価方法が間違っているのかも、なんてまったく考えない。自分の考える価値を認めない市場が間違っていると考える。そんな彼らが本当は正しいのかもしれないけれど、でも、自分の方法が間違っている可能性に備えて余裕を持つておくぐらいはすべきだ。ソロスはいろいろ欠点もある人だけれど、悪い結果が出ると決まって自分の分析の枠組みを検証するらしい。

現実逃避。損が出ても、実際に起きたことをはっきりと受け入れることができない。画面に映った価格は現実味を失って、抽象的ななんらかの価「値」のほうが本物に感じられる。昔からある典型的な現実逃避に陥ると、例の「単なる清算の投売りだ」という発言が出る。現実からのメッセージに耳をふさいでしまっているのだ。

素朴な進化論

物事はそんなに単純ではない。だいたい、組織は自然界の生き物みたいに子供を産まないという事実を無視している段階で、ダーウィンの考えを根本的にわかっていない。ダーウインの説は繁殖適応度に関するもので、生存に関するものではない。この本に出てくる話はみんなそうだけれど、問題はランダム性にあるのだ。動物学者は、システムに偶然の要素を持ち込むと、驚くような結果が出ることがあるのを発見した。進化に見えたものは単なるばらつきで、実は退化であったりさえする。

さらに、局面が変化すればランダム性のあり方も変化する場合、もっと驚くべきことが起きたりする。局面の変化というのは、システムの特性全体が変化して、もう元のシステムとは似ても似つかないものになってしまう状況のことだ。ダーウィン的な適応はとても長い時間をかけて発達する種について成り立つもので、短期間では起きない。

ほとんどみなが並以上

私は歴史に学ばない人が多すぎると書いた。でも、問題なのは、私たちが最近の短い歴史からあまりに多くのことを汲み取ろうとすることなのだ。たとえば、「こんなことはこれまでまったくなかった」なんて言ったりするけれど、そういうときの「これまで」とは、歴史一般のことではない(ある分野で一度も起きていないことでも、他の分野ではそのうち起きるケースは多い)。つまり、歴史の教えるところでは、これまで起きたことのないことでも起きるときには起きるのだ。歴史を見れば、狭い意味での時系列データからわからないことがたくさんわかる。見るものが幅広ければ幅広いほど、いいことが学べる。言い換えると、なんとなく過去の事実を見るだけの安易な実証主義は避けるべきだと歴史が教えてくれるのだ。

市場が三ヶ月で20%以上下がることはない

私は歴史に学ばない人が多すぎると書いた。でも、問題なのは、私たちが最近の短い歴史からあまりに多くのことを汲み取ろうとすることなのだ。たとえば、「こんなことはこれまでまったくなかった」なんて言ったりするけれど、そういうときの「これまで」とは、歴史一般のことではない(ある分野で一度も起きていないことでも、他の分野ではそのうち起きるケースは多い)。つまり、歴史の教えるところでは、これまで起きたことのないことでも起きるときには起きるのだ。歴史を見れば、狭い意味での時系列データからわからないことがたくさんわかる。見るものが幅広ければ幅広いほど、いいことが学べる。言い換えると、なんとなく過去の事実を見るだけの安易な実証主義は避けるべきだと歴史が教えてくれるのだ。

パスカルの賭け

統計学が何かの役に立つときは私も統計学を使う。それが危険なときは使わない。積極的な賭けをするのには統計学と帰納法を使うけれど、リスク やエクスポージャーを管理するのには使わない。驚いたことに、私が知っている中で、生き残っているトレーダーは全員そういうやり方をしているようだ。

テニスの試合に邪魔が入る

ファンドがまったく偶然いい成績を出した場合にかぎって投資のご案内が届く仕組みになっている可能性が高い。そういう現象を経済学者や保険会社は逆選択と呼ぶ。あちらから紹介されてくる投資対象を評価する場合は、自分で投資対象を探す場合よりも厳しい基準が必要だ。その理由が逆選択である。

データ ・マイニング、統計、いかさま

陰謀論が生まれる背景にも同じ仕組みが働いている。『聖書の暗号』みたいに、陰謀論は完璧に筋が通っているように見える。他の件では頭のいい人が簡単に引っかかってしまう。芸術家や芸術家の集団が描いた絵を大量にコンピュータに取り込んで、彼らの絵に共通する特徴を (何十万という特徴 の中から) 一つ見つければ陰謀論なんて簡単につくれる。ベストセラーの 『ダヴィンチ ・コード』の著者がやったのも、どうやらそんなところのようだ。

信念の経路依存性

信念に経路依存性 (経済学者はそれが表に現れることを所有効果と呼んでいる)があるかどうかを調べる簡単なテストがある。二万ドルで買った絵があり、芸術品市場の状態がよかったおかげで、では四万ドルになっているとする。もしも絵を持っていなかったとしたら、あなたは今の価格でもその絵を買うだろうか?・ もしも買わないなら、あなたは自分のポジションと結婚してしまっている。

取引を正しく評価できる合理的な投資家は遺伝子がおかしいということになる。めったに見られない突然変異かもしれない。研究者たちが発見したところによると、純粋に合理的な行動をとる人間は、扁桃体に異常があって、愛着という感情が阻害されている可能性がある。つまり、その人は文字どおり頭がおかしいのだ。ソロスは遺伝子に問題が あって、そのおかげで合理的な判断ができるということだろうか?

考える代わりに計算する

自分の考えが否定されるという事態に直面したときに科学者がとる行動は いわゆる寄与バイアスの一種として突っ込んだ研究が行われている。私たちは成功すればそれは自分の能力のおかげ、失敗すればそれは運が悪かっただけだと考えるのである。

振り返る、その能力は逆転する

会社では、偉くなればなるほど報酬も高くなる。当然かもしれない。貢献の大きさに応じて報酬を払うのは理にかなっている。でも、(自分でリスクをとる起業家を除くと) 一般的に、会社で偉くなればなるほど、貢献をしたという証拠が見られなくなる。私はそれをさかさまの法則と呼んでいる。

シャワーを浴びながら振り返る

CEOたちは大きな判断をかぎられた回数だけ行う。 一〇〇万ドル持 ってカジノヘ乗り込み、一回だけ賭けをするみたいなものだ。コックの場合よりも、事業環境などの外部要因がとても大きな役割を果たす。CEOの能力と会社の業績の関係は薄い。会社のボスというのは非熟練労働で、ただ、MBAあたりが喜んで語りそうなカリスマだの資質だのといったものが必要なのかもしれない。つまり、タイプの前に座ったサルの問題がかかわっているかもしれない。会社はとてもたくさんあり、ありとあらゆることをやっているから、どう転んでもその一部は 「正しい判断」をすることになる。

不確実性と幸せ

充足化と最適化の違いを考えるといくつかの疑間に突き当たる。幸せな人たちは充足化するタイプの人たちであることが多い。自分は人生で何がしたいかを知っていて、満足したらそこで立ち止まる ことのできる人たちだ。彼らの目的や求めるものは経験とともに変わらない。もっと高いレベルを目 指し、いつも消費生活を高めようと努め、自分の中でいたちごっこを始めてしまうことがない。つまり、欲に限りがあり、飽くことを知っている。

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