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【読書#4】本を読むための解説書

突然だが本には読み方がある。
表紙や目次を見て1ページづつ読むという方法は全ての本に当てはまらない。

自己啓発から小説、さらに辞書の使い方まで本には分野ごとに読み方がある。

本の読み方についてこちらの本が細かく説明されていたので解説していく。

内容が濃いため非常に長い文章になっている

正直飽きるかもしれない。目次をつけたので自身の興味があるところか読み進めてほしい。

 第一部読書の意味

読書技術と積極性

読書は最近、昔ほど重視されていない。なぜか?
それはラジオ、テレビなどが活躍したため。

しかしこれらの新しいマスメディアは、私たちが物事を深く理解するという点で、はたして本当に役立っているのか。

現代人は情報の洪水の中で物事の正しい姿が見えなくなってきている。

理由の一つは現代のマスメディアそのものが、自分の頭でものを考えなくてもいいような仕掛けにできているから。

自身の頭で考えてこちらから必要な情報を取りにいかなければならない。

本を読むという行為にはいつ、いかなる場合でもある程度、積極性が必要である。

読書の目的

読書の目的は、知識のための読書理解のための読書がある。

自分の理解を越えた本を読むときこそ、読者はいっさい外から助けに頼らず、書かれた文字だけを手がかりに、その本に取り組まなければならない。

浅い理解からより深い理解へと、読み手自身を引き上げていくのである。これは高度な熟練した読み方である。 

読書には情報を得るための読書と理解を深めるための読書とがある。

情報を得るための読書とは新聞、雑誌のようなものを読む場合で、読み手の読書力や理解力に応じて、すぐに内容が理解できる。

だが、この種のものは、情報量を増してくれるだけで 理解を深めるには役立たない。

次に理解を深めるための読書は前に読んで完全に理解できなかったものに、今一度挑戦する場合だ。

つまり、自分の理解を上回る本を読み返すことによって、読み手は理解を深めていくのである。

では理解を深めるための読書は、どういう場合に必要となるのか。

それは、はじめから読み手と書き手の理解の深さに差がある場合だ。

この時書き手には読み手よりも、深い理解と洞察があり、それを読み手に読みやすい形で伝えなくてはならない。

また、書き手とのギャップを縮めることができれば、書き手とのコミュニケーションが成立する。

自分の読みたいものを読むときや、学校を出てから教養を身につけようとすれば、頼るものは教師のいない読書だけである。

一生の間ずっと学び続け、発見しつづけるには、いかにして書物を最良の師とするか、それを心得ることが大切である。

読書のレベル

読書するにあたって自分はどれくらいのレベルか知る必要がある。

初級読書→その文はなにを述べているか

点検読書→時間に重点を置く
系統立てて拾い読みする技術であり、具体的にこの本はどのように構成されているか?どのような部分に分けられるか?それはどういう種類本か?小説か、歴史か、科学論文か?

分析読書→徹底的に読むこと
点検読書が時間に制約のある場合のもっとも優れた完璧な読みかたとすれば、分析読書は時間に制約のない場合のもっとも優れた完璧な読みかた。 

シントピカル読書→比較読書法 
一冊だけではなく、一つの主題について 何冊もの本を相互に関連づけて読むこと。それらの本にははっきりとは書かれていない主題を、自分で発見し、分析することができるようになる。 

初級読書

読書のレベル1

読みかた学習の諸段階 <4つの段階>読みかた準備期と言われ、だいたい六、七歳ごろまでがこの時期にあたる。読みかた準備期は、読みかたを習得するための準備が整う時期である。

第2段階では、子供はごく簡単なものの読みかたを覚える。 最初は子供にとってただの記号の集まりにすぎない。意味など何もわからない。ところが、2〜3週間もたつと、その記号の意味がつかめるようになる。(ある記号が「猫が帽子の上にすわった」という意味をあらわしていることが理解できるようになる。) 記号から意味をつかむことは、知能を持つ人間にしかできない驚くべき離れわざである。

第3段階に入ると、用語が急速に増え、子どもは文脈をたどって知らない単語の意味をつかむ技術を身につける。

第4段階はそれまで習得した読書技術にみがきをかけるためのものである。 

段階とレベル以上の4つの段階が、すべてレベル1の初級読書の過程である。 

高等教育と読書   アメリカの高校や大学について
高校では最低限度の「分析読書」を、大学では「シントピカル読書」を習得することを目標にする。

点検読書

読書のレベル2

組織的な拾い読み、または下読みからわずかな時間内に本の品定めをするやり方。

点検読書の目的は、今手にしている本をさらに入念に読む必要があるかどうか調べることである

点検読書のやり方
1.表題や序文を見る。
2. 本の構造を知るために目次を調べる。
読者は秘密をにおわせる見出しにひかれ、その内容を知ろうとしてその本を読む気になる。 
3. 索引を調べる。
知識を伝える本にはたいていついてる。
4. カバーに書いてあるうたい文句を読む。
5. その本の議論のかなめと思われるいくつかの章をよく見ること。 
6. ところどころ拾い読みしてみる。

特に最後の2、3ページは必ず読む。 点検読書は本を調べながら読むのだから、注意力と集中力を必要とするきわめて積極的な読書である。

また表面を読み、難解な本にはじめて取り組むときは、とにかく読み通すことだけを心がける。 脚注、注解、引用文献もここでは参照しない。とにかく通読すること。

読書の速度として点検読書の2つの段階は早くすませるべきである。

ゆっくりとていねに読んで完全に理解しなくてはならない本はごく少数しかない

理想はただ速く読めるようになるだけでなく、さまざまな速度の読み方ができること、また場合に応じて違った速度で読めること。

積極読書の4つの質問

意欲的な読者になるためには、読んでいるあいだに質問すること。その質問には、さらに読書を続けてるあいだに自分自身で回答するよう努力すること。

1. 全体として何に関する本か。
2. 何がどのように詳しく述べられているか。
3. その本は全体として真実か、あるいはどの部分が真実か。 
4. それにはどんな意義があるのか。


読者側から問いかけをし、これに自分で答えようとする努力がなくてはならない。そして意欲的な読者は問いかけをする。この4つは、本、論説から広告にいたるまで、読むに値するすべてのものにあてはまる。

質問に答えるためのヒント

本を自分のものにするには行間に書く
どうしてか?
.起きてられる。
.積極的読書とは考えることだ。それは言語で表現されるものだ。
.自分の反応を書き留めておくことは思い出すのに立つ。 

書き入れは表表紙の見返しにとても重要。
基本的な所や配列をつかんたできっちりした構成で書く。それが読者の知的所有権を表すものである。

書き込みの方法点検読書をしながら問うべきこと
.それはどんな種類の本か
.全体として何を言おうとしているか
.そのために読者は、どのような構成で概念や知識を展開しているか

これに対する答えを読者は記録できるし、またすべき。この書き込みは本の構成についてであって、内容とは関係ないことに注意する。

少なくともこの段階では詳しく触れる必要はない。そこで、著者の述べていることが正解かとか、真実か、という判断は、その本を読んでしまうまで控えた方がよい。

第二部 分析読書

読書レベル3

第1規則

本を分類する ・分類の重要性
読者は、いま読んでいるのがどんな種類の本かをまず知ること。早いほどよい。できれば読みはじめる前に。これが分析読書の第1規則。

書名から何がわかるか?

多くの人は本の題名くらいわかっていると思っているが、実のところ本当に注意深く表題を読んで、その意味を考えている人は少ない。

 表題をよく読めば、読みはじめる前にその本の基本的な情報を得ることもできる。

理論的な本と実践的な本
実践的な本には、「べきである」「当然である」「よい」「わるい」「目的」「手段」 などの言葉が頻繁にでてくるので、そこから正体を見破ることもできる。「――がなされ るべきである」「-----が-----をする正しいやり方である」などの言い方をするのは実践的な本である。

これとは対照的に、理論的な本は「-----である」とだけ言いつづける。

理論的な本の種類
歴史の本

題名からして紛らわしいものが多い。目次やその他の見出しの部分を見 ると、これは過去に起こったことについての本であるとわかることもある。歴史の真髄は 「語り」である。歴史は過去に存在したというだけでなく、時の移り変わりの中で起きた 一連の変化の底を流れる事件や物事についての知識である。

科学の本

いつでもどこでも起こりうる事物を扱う。 歴史書の題よりも科学書の題の方が正体を突き止めにくい。「科学」とはっきりうたっている場合もあるが、たいていは心理学、地学、物理学など、論じていることがらが記されいるからである。

哲学の本

過去の特定の事件を述べるよりも一般的な真理を求めようとするから、歴史よりも科学に近い。 

哲学本と科学本の見分け方


理論的な本で、日常の経験の範囲外にあることがらに重点をおいているなら、それは科学の本である。そうでなければ哲学の本である。 

分野が違えば教えかたの技術も違うのが当然のように、教えれられる技術にもこれに応じた違いがある。

本と、読者の間柄は、教師と学生の間柄と同じである。それぞれの種類にふさわしいやりかたで読む技術を学ばなければならない。

第2規則

本を透視する
その本全体の統一を、2〜3行か、せいぜい数行の文にあらわしてみること。これが分析読書の第2規則である。

第3規則

その本の主な部分を述べ、それらの部分がどのように順序よく統一性をもって配列されて全体を構成してるか示すこと

 本は一軒家のようなもの。良い本は良い家と同じく、部分が秩序をもって配列されている。それぞれの部分にある程度の独立性がある。

 ここで心に留めてもらいたいことがある。まず、ある本の構想を述べるにあたって、読者が著者の助けをどれくらい借りることができるか

そして統一もいろいろあるので、これだけが正しい、というものはない。 

著者の作った区分や章の見出しは、表題や序文と同様、読者のためのものである。しかしそれに頼り切ってしまわずに、手引きとして積極的に活用すべき。

第4原則

著者の問題としている点は何であるか知る

著者に対する質問をできるだけ正確に作ってみるのが読者の仕事。

主要な質問が複合的でたくさんの部分に分かれていたら、その枝葉にあたる小さな質問まで書いてみる必要がある。

それらの質問を全て正しく把握するだけでなく、それをわかりやすく整理す ることができなくてはならない。

疑問の例「あるものは存在するか。それはどんな種類のものか。それはどんな原因で、 いかなる条件の下に存在するか。あるいはなぜ存在するか。その目的は何か。その結果はどうか。特徴は、どんな行動をとるか。」

これらは全て「理論的な」質問である。

どんな目的を求めるべきか。
その目的のためにどんな手段を選ぶべきか。
ある目的物を手にいれるために、人はどんなことをしなくてはならないか。
どんな順序でするか。
ある条件の下でなすべき最善の、あるいは次善の策は何か。あれよりもこれをする方がよいのはどんな条件の下においてか。

これらはすべて「実践的な」質問である。

著者と折り合いをつける
ここから分析読書の第2段階に入る。

1.読者が著者と折り合いをつけること。
この場合折り合いをつ けるというのは、読者が著者の言葉の使い方を理解することである。この折り合いなしには、知識は伝達されない。

2.著者の使う言葉に注意する 。
特に重要な単語には多くの意味があるのがふつうである。 完全なコミュニケーションを成立させるには、両者が同じ単語を「同じ意味で」使わねばならない。

第5規則

重要な単語を見つけ出し、それを手がかりにして 著者と折り合いをつけること

分析読書の第2段階は本の構造をつかむことではなく内容を解釈するのが目的である。

キー・ワードを見つける

読み手から言えば最も重要な言葉は、「意味のつかみにくい言葉」であり、それはまた、たいてい著者にとって重要なことばである。

専門用語と特殊な語彙
「どの分野にもそれぞれ専門用語がある」なのでそれに対してある程度の予備知識をもつか、あるいは普通の言葉でないから専門用語に違いない、と判断する。

要するに、積極的に見つけるか、消極的に見当をつけるかの違いである。だが、専門用語がきちんと確立していない分野も多い。

重要語を見分ける手がかりは、著者が重要語の使いかたで、他の著者と対立している場合である。

  意欲的でない読者の最大の欠点は、言葉に注意をはらわないことだが、それでは著者と折り合いをつけることはできない。 

単語の意味をつかむ

単語の意味をつかむにはどうするか?
「前後の文脈のわかっている単語を残らず動員して、わからない単語の意味をつかむ」こと。

 事実重要な単語は、いくつかの意味に使われるのが普通である。 一つの単語はいくつもの意味をあらわすことができる。 単語とその意味については2、3やっかいな問題が残っている。

.いくつかの異なった意味を持つ単語は、どれか一つの意味にも、またいくつかの意味の組み合わせとしても使われる。

.同義語の問題。すぐれた書き手は、重要語の場合、意味が同じか、きわめて近い他の言葉を使うのがふつうである。

.句の問題。ある一つの意味は、一つの単語によっても、句によってもあらわされる。句は単語よりもあいまいではない。読み手にはっきり理解してもらいたいとき、一つの 単語の代わりに手のこんだ句を使うのもそのためである。

重要語を見つけ出し、意味の変化を見きわめ、単語をあらわす意味を正確につかむこと。

著者の伝えたいことは何か
読者は事実や知識について、率直に意見を表明していることを前提に読む。

著者個人に対する興味から読む場合はそれでもよいが、本の内容を本当に理解しようとするなら、著者の意見がわかっただけでは十分ではない。

はっきり根拠が示されていない限り、著者の命題は個人的な意見にすぎないからである。

読者は命題を知るだけではなく、その命題をたてるにいたった理由を理解しなくてはならない。

積極的な読者は、単語だけでなく、文やパラグラフにも注意をはらわなくてはならない。著者の名辞、命題、論証を発見する手がかりは、これ以上にないからである。

キー・センテンスを見つける

読者から見て注意すべき重要な文とは、一読しただけでは完全に理解できない、解釈に骨が折れる文である。 

著者にとって重要な文とは、論証全体の基礎となる判断をあらわす文である。

著者が伝達すべきもっとも重要なことは、あることがらについての著者自身の判断(肯定ないし否定)の表明と、その理由である。

 重要な文を見抜くとこは、読者が自分でしなくてはならない仕事である。

まず理解できない箇所がどこかはっきりさせること。

わからないということをまず知ること。

はじめと終わりがあって、1つのまとまりをなしていると思われる一連の文を見つければ、重要な文をつかんだことになろう。

第6規則

命題を見つける
重要な文がわかったら、次は命題を見つけだすことである。ただ、命題を見つける場合には、より広く前後の文脈を利用するのである。

もう一つ大切な点は、複雑な文は自分の言葉で言いかえてみる。文中の命題が理解できたかどうかを判断するには、これが一番良い方法である。

第7規則

重要な論証を述べているパラグラフを見つけること
そのようなパラグラフが見つからないときは、あちこちのパラグラフから文を取り出し、論証を構成する命題が含まれている一連の文を集めて、論証を組み立てること。

解釈の第3規則
. どの論証にもいくつかの叙述が含まれていることに注意しなくてはならない。(帰納法)

.論証は二つの方法があるが、これを区別することである。論証には、事実によって、一般化を証明する方法と、一連の一般的叙述によって一般法則を発見する方法がある。(演繹法)

.著者が「仮定」しなければならないのは何であるか、論証や証拠によって「立証できるもの」は何か、論証を必要としない自明のことがらは何であるか、ということをしっかり見定めること。 

第8規則

著者の解決がなんであるかを検討すること

本を正しく批評する。
最後の判断を下すのは読者なのだ。 事実、良い本であれば、著者は話し手としての役割を申し分なく果たしていると考えてよい。

読者は、どのようにして語り返したらよいのだろうか。自分の役割を果たすには、どうすべきなのか。

著者に語り返すことは、読者に与えられた機会であり、また義務でもある。 良い本は積極的読書に値する。

だが、内容が理解できただけでは、積極的読書として十分とは言えない。

批判の務めを果たして、つまり判断を下してはじめて、積極的読書は完了する。

学ぶことの効用  知的エチケットの一般心得について

どんな良い本にも、必ず欠点がある。

著者は、読者を自分の水準まで引き上げることに努めたのだから、当然、読者にも、対話の相手として、対等に語り返すことを要求できるのである。

修辞の役割
読者を理解からさらに批判へと向かわせる心得として修辞が問題になってくる。修辞と言えば、演説家や宣伝屋を連想する。

だが、修辞はおよそ人間のコミュニケー ションが成り立つあらゆる場面に問題になる。

修辞とは
相手を納得させ、説得するための技術である。説得することがコミュニケーションの最終目的である。

反対に聞き手や読み手の側から言えば、修辞とは、話し手や書き手に反応するための技術である。

判断保留の重要性
著者の言い分に注意深く耳を傾け、完全に理解するまでは、読者は語り返すことを差し 控えること。 

批評の第1規則

まず、<この本がわかった>と、ある程度、確実に言えること。

その上で、<賛成>、<反対>、<判断保留>の態度を明らかにすること。 

良い本の場合、読者は、そうあっさりと「わかった」などと言わないことである。そのまえにやるべきことはいろいろある。

「わからない」と言うことも、もちろん、一つの批評的判断である。精いっぱい理解に努めて「わからない」と言うとき、それは、はじめて本に対する正当な非難として通用する。

読者の務めを完全に果たしても、わからないのなら、それは本が悪いのである。

しかし、良い本を読んでわからないのは、たいてい読み方が悪いのである。だからこそ、読者 は、本の概略と内容をつかむことに、十分に時間をかけてから、批評に入らなくてはならない。

けんか腰はよくない

批判の第2規則


反論は筋道をたててすること、けんか腰はよくない。反論するだけでなく、賛成するにも、それなりの準備が必要だ。

読者が考慮すべきことは、ただ1つ。書かれていることが、事実であり、真実であるかということだけである。

批評の第3規則
反論は解消できるものだと考えること。これが批評の第3規則である。 

同意「する」のではない。相手に同意「できる」、ということに注目してほしい。

他人と意見を異にしても、他人を認めることはできるはずである。

単なる誤解から生じた反論は、解消の余地がある。
無知な者が、理解できない問題について、学者の意見に見当違いの反論をすることがよくある。

この誤りを批判する権利は、知識をもつ側にあるわけだ。この種の反論も、解消 の余地がある。

対話の途中で反論をいだいても、最後は同意に達するという望みを捨ててはならない。 

意見が違うのは、まだ議論の余地があるということだから、理性を失わないという反論の 鉄則は、根気よく守らなくてはならない。

「いかなる判断にも、必ずその根拠を示し、知識と単なる個人的な意見の区別を明らかにすること」批評の第3規則はこのようにも言える。 

著者に賛成するか、反論するか
すぐれた読み手になるには、議論のルールを心得ていなくてはならない。知的議論にも守るべきエチケットがある。

「著者の議論についていくだけでなく、それを受けとめては じめて、賛成、反対が意味をもつ」

本当に賛成、反対するには、言葉の使いかたについて、著者と読者の双方に食い違いがないことが、不可欠の条件。

読者が、著者に賛成するか、反対するか、判断を下すことが できるのも、この出会いがあればこそなのである。

思いこみと判断
 議論をうまく運ぶには、三つの条件が満たされることが理想的である。 

.人間には理性もあるが、人間はまた動物でもあるから、議論に感情をもち こんだり、感情的になることもあるということを、認めなければならない。 

.読者は、自分の立場を明らかにしなければならない。すなわち、自分の先入 観を、はっきり心得ている必要がある。そうでないと、著者もまた、著者の立場をとる権 利があることを忘れがちである。「有益な論争では、議論の前提そのものについての争い があってはならない」

.常派根性にとらわれると、とかく自分のことしか見えなくなるもので ある。議論には常派性がつきものだが、著者も読者も互いに相手の立場に立って、冷静に考えることが必要である。共感をもって本を読むことができなければ、反論はエチケット を無視してけんか腰になってしまう。

 以上の3つの条件は、知的な実りある対話が成立するための必須条件である。 

そして反論には、4つの方法がある。
著者に向かって、「あなたの言うことはわかったが、賛成できない」という場合、読者の言い分には4つある。
.知識が不足している。
.知識に謝りがある。
.論理性に欠 け、論証に説得力がない。
.分析が不完全である。

著者の主張は、果たして妥当か
. 著者の知識が不足しているということは、著者が解決しようとしている問題に必要な関連知識が十分でないということである。著者に欠けている知識とは何か、それ が本当に関連知識と言えるものであり、また結論にどのように影響するものなのか を明らかにしなければならない。

2. 知識に誤りがあるということは、事実に反することを主張しているということであ る。これは、著者の知識不足によるものだろうが、原因はそれだけではない。

原因がなんであれ、著者は、事実に反すること、ありそうにないことを、真実だとか、 大いにあり得ると想定しているのである。

もってもいない知識をもっていると主張 しているのだ。この種の欠点は、著者の結論にかかわる場合に限って指摘すれば、十分である。

.論理性に欠けるということは、推論に謝りがあるということである。ふつう、謝りには2種類ある。

1つ目は「不合理な推論」で、仮定された論拠にまったくもとづい ていない場合である。

2つ目は、「推論における矛盾」で、著者が言おうとする 2つのことがあい容れない場合である。

どちらの場合も、読者は、著者の議論がど の点で説得力を欠いているか、正確に指摘しなくてはならない。この欠点も、主要 な結論に影響をもつ場合に限って指摘すれば、十分である。

論証は、果たして完全と言えるか
以上の3つの反論では、著者の主張が妥当かどうかが問題になる。第4の批判では、著者の意図が完全に果たされたか、つまり、問題が十分に論証しつくされたかどうかが問わ れる。

この最後の批判について論じる前に、1つだけ注意しておくことがある。

ある本が「わかった」という以上、さきの3つの反論が立証できない限り、読者は、著者の主張には賛 成しなくてはならない。

.分析が不十分である、ということは、著者が最初に提示した問題をすべて解決して いないとか、資料をあまさず十分に活用していないとか、あるいは、論証に関連した特徴的な記述がみられない、ということである。

ある本がある不完全である、というだけでは十分とは言えない。どういう点で不完全であるかを、読者自身で、あるいは、他の本の助けを借りて、明確に指摘できなければ意味がない。

不完全さに関する第4の批判は、著者の業績の限界を指摘するにとどまるから、厳密に 言えば、反論の根拠にはならない。 著者が完全に問題を解決していない場合には、読者としては、判断を保留する以外にな い。

 同じ分野の関連書を、この四つの基準に照らして比較検討することができよう。より多くの真実が語られ、謝りが少なければ少ないほど、すぐれた本である。

第4の批判は、分析読書の三つの段階それぞれの、最終ステップと密接に関係がある。 

分析読書まとめ

分析読書の規則すべてを論じた。これらの規則を、順をおって、各段落ごとにあげる。

1分析読書の第一段階 
-----何についての本であるか見分ける-----
(1)種類と主題によって本を見分ける。
(2)その本全体が何に関するものかを、できるだけ簡潔に述べる。
(3)主要な部分を順序よく関連づけてあげ、その概要を述べる。
(4)著者が解決しようとしている問題がなんであるかを明らかにする。

2分析読書の第二段階 
-----内容を解釈する-----
(5)キー・ワードを見つけ、著者と折り合いをつける。
(6)重要な文を見つけ著者の主要な命題を把握する。
(7)一連の文の中に著者の論証を見つける。または、いくつかの文を取り出して、論証を組み立てる。
(8)著者が解決した問題はどれで、解決していない問題はどれか、見きわめる。未解決の問題については、解決に失敗したことを、著者が自覚しているかどうか見定める。

3分析読書の第三段階
-----知識は伝達されたか-----
(A) 知的エチケットの一般的心得

(9)「概略」と「解釈」を終えないうちは、批評にとりかからないこと。 (「わかった」と言えるまでは、賛成、反対、判断保留の態度の表明を差し控えること)
(10)けんか腰はよくない。
(11)批評的な判断を下すには、十分な根拠をあげて、知識と単なる個人的な意見を、はっ きりと区別すること。 
(B) 批判に関して特に注意すべき事項
(12)著者が知識不足である点を、明らかにすること。
(13)著者の知識に謝りがある点を、明らかにすること。 
(14)著者が論理性に欠ける点を、明らかにすること。
(15)著者の分析や説明が不完全である点を、明らかにすること。

<注意>(12)(13)(14)は、反論の心得である。この三つが立証できない限り、著者の主張に、 ある程度賛成しなくてはならない。その上で、(15)の批判に照らして、全体について判断 を保留する場合もある。

読書によって何かを学ぶには、読書の過程で、常に、「それにはどんな意義があるのか」 問いつづけなくてはならない。

理想的な読書に近づくには、たくさんの本を上っ面だけかじるのではなく、一冊でも、 以上述べた規則を守ってよく読むことが大切だ。

熟読するに値する本も数多くあるが、そ れにもまして点検読書にとどめるべきものの方がずっと多い。

読書の補助手段 他の本とはかかわりなく、ある本一冊だけを読むことを「本質的読書」と呼び、関連書の助けを借りながら読むことを「付帯的読書」と呼ぶことにする。

これまで述べてきた読 書の規則はすべて、本質的読書に関するものである。

しかし、これまで外部からの手助けについてふれずにきた主な理由は、それに頼りすぎる読者が、あまりに多すぎるから。知らない単語を辞書でひくのを悪いとは言わないが、 辞書を片手の読者は、そうほめられたものではない。

また注釈書を読んでみても、正しい 示唆を与えられるとは限らない。とにかく、他に助けを求めるまえに、まず自力でできる ことをすべてやってみることが第一である。

 読者に対する外部からの手助けは、4つに分類できる。 

・「経験」の役割
 難解な本を理解するときの手助けとなる経験には、二種類ある。一つはおよそ人間なら
誰にでももつことのできる「普通経験」である。もう一つは「特殊経験」である。これは 積極的に求め、望んで経験する人でなくては得られない。

・他の本から手助けを得る
  多くの名著は、互いに関連をもつだけでなく、ある順序で書かれている。読者は、この順番を見落としてはならない。作品が書かれた順をおって読むということは、付帯的読書 の基本的、常識的な心得である。 時というものが何よりも重要である。時を軽視してはならない。過去から現在へという 方が自然であるが、現在のものから過去のものへと読んでもいっこうにかままわない。

・注釈や抜粋 これらは、あまり利用しすぎないようにと、ここで強調したい。 まず、注釈者の注釈が常に正しいとは限らない。

もし注釈書が正しいのであっても、完璧なものではないかもしれない。そこには、注釈者 にも知らない重大な意味を、読者が見つける可能性も残されている。

だが、さも自信あり げに述べている注釈を読むと、読者は、どうしてもひきずられてしまう。せっかく読者が 自分なりの正しい理解をしていても、そうなりがちだ。

 一般に注釈書を読むときの心得として、「読み終わってしまうまでは」その本に関する 他の人の注釈書を読まないということである。

注釈書を読むときの注意は、抜粋や梗概(あらすじ)であり、次の二つにあてはまる。 まず読者が、かつて読んだことのある本について、記憶をとりもどしたいとき。

理想を言えば、抜粋や梗概のようなものは、「分析読書」の過程で自分で作るものだ。

だが、他人 の作ったものでも、けっこう役に立つ。第2に、これらは、「シントピカル読書」で、ある著作が読者の選んだ主題と深いかかわりがあるかどうか知りたいときに役に立つ。

自分はその本を読みたいか、また読む必要があるかという判断の材料になる。

参考図書の使い方
まず第1に参考図書を使いこなすには、自分が何を知りたいか、はっきりした意図をも たねばならない。

第2に、読者は、自分が知りたいことはどこを見ればわかるか、つまり、自分の質問には、どんな種類の参考図書が答えてくれるのか知っていなければならない。

 第3に、読者は、参考図書というこの特殊な著作の編集に関する知識がなければならな い。

辞書の使い方
辞書というものは、言語の成長、発展の家庭に見られる結晶とも言うべき情報の宝庫なのである。

 最初から辞書ばかりひくようでは、その本全体の調和やまとまりがつかめなくなるのだろう。 言葉は、4つの角度から見ることができる。この内容を理解できれば、辞書のつかい方 がはっきりしてくるだろう。

1.言葉は生きものである。-----書き言葉、話し言葉。
2.単語は品詞である。
3.単語は記号である
4.言葉は習慣的なものである。

良い辞書ならば、上のような4つの事項についての質問に答えてくれるだろう。辞書を 使いこなす技術とは、言葉について辞書に何を質問したら良いか知ることと、その答えの見いだしかたのことである。

百科事典の使い方

百科事典には、同一主題に関するものでありながら、まったくかけ離れたところに記載 されている事項がある。

 注意として、意見の相違から生じた議論を決着に導くために、百科事典を利用してはな らない。 辞書をひくには、言葉に関する知識が必要だが、百科事典を引くには、事実に関する知 識が欠かせない。

1.事実とは意味のある命題である。
2.事実とは意見でなく、真実に関する命題である。
3.事実は現実の反映である。 
4.事実は、ある程度、習慣によって決まるものである。

第三部 文学の読み方

小説、戯曲、詩の読み方 文学の本をいかに読むかは、知識の伝達を目的とする「教養書」をいかに読むかと言うことよりずっと難しい。 

なぜか?

小説なら読めばわかると、自分の能力を過信しているためかもしれない。おもしろかったことははっきりしているのだが、なぜおもしろかったのか、その本のどこに満 足したかは説明できない。

小説のどこが好きかを説明できない人は、おそらく本の字面をなでただけで、その下にあるものを読み取っていないのだ。

文学を読むとき、してはならないこと 文学書と「教養書」との根本的な違いとはまず、目的から違う。「教養書」が伝えよう とするものは知識である。

それは、読者がすでに経験したことや、これから経験できるか もしれないようなことについての知識である。

文学が伝えるのは経験それ自体で、それは 読む作業によってのみ読者が得ることの経験であり、うまく伝えられなければ読者は何らかの喜びを得る。 

フィクションは主として想像力に訴える。そこから一番大切な「べからず」条項が生み出される。

すなわち、「文学の影響力に抵抗してはならない」

作家にとって、隠喩は、作品を築く構成単位である。 作品としてまとまった詩や小説は、一つ一つの言葉以上の何かを伝えるのである。 

この事実から、「べからず」条項が得られる。「文学の中に名辞、命題、論証を 求めてはならない」。

 科学や哲学は、新しい経験をさせてくれない。すでに経験ずみのこと、これから経験できること、について解説してくれる。これに対し文学は、経験を創造し、そこから読者は学ぶのである。

「教養書」は、本来教えることを第1の目的としているが、文学は付随的に教えるにすぎない。

 最後の「べからず」条項は、「知識の伝達の真実性や一貫性を図る尺度によって文学を批判してはならない」である。

文学を読むための一般法則

「教養書」の読み方の規則 
主に三つのグループがある。 

第1は、本の構造を調べ、統一と部分の成り立ちを発見するための諸規則である。 (構造的) 

第2は、本の構成要素である名辞、命題、論証をつきとめ、解釈するための規則である。 (解釈的) 

第3は、著者の主張を批判して賛成するか、態度をはっきり決めることができるようにす るための規則である。(批判的)

まず、第1の構造的規則を文学に応用すると次のようになる。

1.文学作品の種類を知ること 
2.作品全体の統一性をは把握すること。作品のプロットを要約することができれば、それでよいのである。
3.部分が、どのように全体を構成しているかを知ること。 

次に第2の「解釈」の規則を文学に応用した場合を考える。 
1.登場人物、事件、エピソード、登場人物の思想、会話、感情、行動といったもの が作品の要素である。 

2.作品要素は、全体的な場面、あるいは背景によって相互に結びつけられ、浮き彫 りにされている。 

3.「教養書」を読むとき、「論理の運び」つまり証拠や論拠から結論に進む動きを追っていくことが必要だった。

文学作品の場合は、登場人物の動きについていかなければならない。 文学の読み方を「教養書」の読み方から割り出してみたものにすぎない。

作家の創作過程と、その秘密がわかればよい。 最後に「作家が読者に経験させようとしたものを十分に感得できるまでは批判をしては ならない」。

作家の創造した世界に疑問を抱かないのが良い読者である。 「作品の好ききらいを言う前に、読者は、まず作品を誠実に味わうよう努力すること」 小説や詩を読む楽しさの秘密がなんであるかわかってくるにつれ、文学作品にひそむ芸 術的価値がいっそうよく理解できるようになる。

小説の読みかた

小説は一気に読むものである。できるだけ短時間で読むよう努める。速く読まないと、 物語の統一性が見失われやすい。 

小説は、人生のようなものだ。実人生で起こる出来事が、すべて明瞭に理解できるとは、我々は思っていない。

ただ、過去として振り返ったとき、はじめて、事件の関連と行 動の秩序を理解するのである。

 作家は、神のように作中人物を支配して、それぞれの人物にふさわしい報酬や罰を与える。

良い小説は、この点で筋が通っているし、偉大な作家は、正義(詩的正義とでも言お うか)をあやまりなく遂行することによって、読者を納得させ、また、満足させる。 

フィクションを批評するにあたっては、ある個人だけに特有の内面の欲求を満たす本と、ほとんどすべての人の深い欲求を満たすことのできる本とを、はっきり区別するよう、注意しなければならない。

 ここで積極的読書の、例の4つの質問を思い出し、文学にあてはめた場合を考えてみる。

第1問、この本は全体として何に関するものなのか。
その答えは、物語のプロットの統 一性の中に見出される。

 第2問、何がどのように述べられているか。
この問いに関する答えは、作中の人物や事 件を、読者が自分の言葉で説明できることである。 

第3問、この本は全体として、あるいは部分的に、真実か。
この問いに対する答えは、 作品の詩的事実について読者の下す判断が、答えになる。つまり、その作品が、読者の知 性も感情も満足させているか。読者は、作品の美を味わっているか、また、その理由、これが答えである。 

第4問、それにどんな意義があるか。
この問いを小説や詩にあてはめることは、ある意味で、見当違いである。「教養書」の場合、答えは読者の「行為」にあった。実践的な本の場合は、実際に何かすることだが、理論的な本場合は、精神の上の行為が求められた。 

つまり、もし、その本の結論や詩をどんなによく読んでも、行為を求められることはない。確かに文学が読者に種々の行動を起こさせることもある。

政治であれ、経済であれ、 道徳であれ、専門書より小説を読んだ方が、問題の核心に触れることができることも、よくある。

人類の歴史の中で、こういう本は、いつも、発禁や検閲の憂き目にあっている。 「専制君主は雄弁に自由を説くよりも、冗談を飛ばして人心を支配する酔いどれ詩人を恐 れる」(E・B・ホワイト) 文学を本当によく読むためには、ただ、その世界を経験することしかない。

戯曲の読み方

 戯曲には、作中人物をいかす背景の描写が小説ほどたっぷり入っていないから、読者 は、想像力をはるかに活発にはたかせて読む必要がある。

戯曲は本来舞台で演じられては じめて、著者の意図が十分に了解できるものだから、「読む」だけでは不完全である。 戯曲の場合も、できるだけ一気に読むこと。また台詞が韻をふんでいることもが多いか ら、声を出して読むことも理解を助ける。

抒情詩の読み方

 とくに現代詩は読めないと思っている人が多い。難解で、あいまいで複雑で、読者の負担が大きいから、読んでもつまらないと考えている。

しかし2つのことが言いたい。
第1に、正しい読みかたをすれば、それほど読み手の負担にはならない。

第2にかなりの負担になっても、その努力は十分に報われるものである。 

詩の読みかた
第1に、一息に続けて読むものである。 
第2に、繰り返し、また声を出して読むことである。 

詩を理解するためには、まずキー・ワードを見つけなければならない。 本当に詩を理解するには、繰り返し読まねばならない。

第四部 読書の最終目標

シントピカル読書

読書の最終目標 シントピカル読書の過程は大きく2つに分けられる。
1つは準備作業であり、もう1つ は、シントピカル読書そのものである。

シントピカル読書の準備作業

研究分野の調査
1.図書館の目標、他人の助言、書物についている文献一覧表などを利用して、主題に関 する文献表を作成する。 

2.文献表の書物を全部点検して、どれが主題に密接な関連をもつかを調べ、また主題の 観念を明確につかむ。

注意 これら2つの作業は、厳密に言えば、必ずしもこの順番にするわけではない。つ まり、この二つは、相互に影響し合うものだからである。

準備作業で集めた文献

第1段階
準備作業で関連書とした書物を点検し、もっとも関連の深い箇所を発見する。

第2段階
主題について、特定の著者に偏らない用語の使い方を決め、著者に折り合いをつけさせる。

第3段階 
一連の質問をして、どの著者にも偏らない命題をたてる。この質問には、大部分の 著者から答えを期待できるようなものでなければならない。しかし、実際には、著者 が、その質問に表立って答えていないこともある。

第4段落
さまざまな質問に対する著者の答えを整理して、論点を明確にする。相対立する著者 の論点は、必ずしも、はっきりした形で見つかるとは限らない。著者の他の見解から 答えを推測することもある。

第5段階
主題をできるだけ多角的に理解できるように、質問と論点を整理し、論考を分析する。 一般的な論点を扱ってから、特殊な論点に移る。

各論点がどのように関連しているかを 明確に示すこと。

 (注意 弁証法な公平さと客観性とを、全過程を通じて持ちつずけることが望ましい。 そのために、ある論点に関して、ある著者の見解を解釈するとき、必ず、その著者の文章から原文を引用して添えなくてはならい)

最後に

読書には読み方がある。ただ読んで面白かったではもったいない。書き手がどんな思いで書いたのか?この言葉を伝えたかった本当の意味は?読書はまさに旅である。ぜひこれからの読書生活に実りがある事を願って。

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