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手放すということ

最近思うこと。
いろんなことを自分に都合いいように、勝手に意味付けしてる。
ほんとはどうかわからないのに。
意味付けが好きなんだなあ、と思う。

その現実は、自分が作ってる。

本当は、「そうである」という事実だけでいいのにな。
全てに意味や理由がないといけない思い込んでる。

昨日もそんなことを考える一日だったなー。
わたしが作る現実を果たすために、娘が重要な役割を演じてた。
娘を見てるとよくわかる。
そして、それを気付かせてくれる人がいる。
感謝しかない。

ここだけ、普段生きてる世界と違う時間が流れてる気がする。
例えば、緑が多いからいい、とかいうことではない。
空間、時間、人、いろんなことが重なり合って作られてる ”気” が、自分に合うかどうか、なんやと思う。

そこに理由は必要なくて、魂が感じるままに。

自分が作った意味付けに、ずっと縛られていたんだな。

意味付けは変えられる。
でも、意味付けが必要ですらないと思える今日この頃。

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