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『渚のシンドバッド(1995)』を観ました。

某アベマというインターネットTVのなんかを見ていると、ある程度見た目の良い男女を数人集めて交流させて、「誰が誰を好きになった」とか「勇気を出して告白しても振られて号泣」とか「やっと一途の思いが受け入れられた」とかを見せるような番組が並んでいる。そんなの見せられても私としては「知らんがな。勝手にやってくれや」なのである。

今作は大好きな橋口亮輔監督作品(『ハッシュ!』『ぐるりのこと。』は何度も見ている)であるが、青春もののようなので避けていた。誰が誰を好きになったとか興味がないし、そんなのどうだっていいのである。
そんな勝手な思い込みで見はじめたら、これが予想をはるかに越えてよい作品であった。

クラスメイトの吉田に想いを寄せる高校生、伊藤(岡田義徳)の話であるが、男の子が男の子を好きになるお話である。
そうなると、男の友人3人でたわいもない話で首に手を絡ませたりしてるが、伊藤が男の子を好きだということで、途端に緊張感が増す。男子が好きな女子と偶然に身体を近づけたりするとなんだか好きな方は緊張するが、そういう状態が発生する。
それに、『男なのに男が好き』という秘密がもしクラスでバレたら大変だから、これも緊張が発生する。それらの緊張がすべて作品に引きつける力になっている。

登場人物のセリフのやりとりも面白いものがあったりした。
「ドンジャラでもやるか?」とか、
「お前一曲目からさぁ尾崎豊とか歌うなよ」とか、
「(おじさん相手に寝たら)アーとかウーとか言うの?」とかが、なんか変な感じがしてよかった。

あと、歌手としてブレイクする前の浜﨑あゆみが大事な役で出ている。
消費される女でありながら、男どもに屈服することなくしっかり立っている。でも内面は寂しがり屋なところもある。そういう難しい立ち位置の役であった。
「なんでこの人はこの調子で映画に出なかったのか」、なんだか素晴らしすぎてとても残念な気持ちになってしまった。

転校してきてクラスでも完全に浮いた存在の相原(浜﨑あゆみ)は、男の子が好きな伊藤(岡田義徳)と仲良くなる。この二人にはお互い好きとかの感情がないのであるが、そういう感情がないことで、この二人のやりとりが『濁っていない感情での繋がり』に見えるから不思議だ。
他の「あの子が顔がカワイイから好き」とか「クラスの優等生だから付き合っている」みたいなのに比べて、この二人のシーンは雲ひとつない夏の青空みたいにスカッとしていて気持ちがいい。

男の伊藤(岡田義徳)が男の吉田を好きになる。それまでは親友みたいに仲がよかったが、「好き」という感情が出てくると途端に関係がギクシャクしてしまう。
それとは逆に、伊藤は女の相原(浜﨑あゆみ)に対して「好き」というのがない。でもそういう気持ちがないからお互いが打ち解けて何でも話すことができて、むしろこちらの方が相手を思いやったり、やさしい気持ちで接しているようにも見える。

相手を「好き」という気持ちが最初にあって、行動(付き合おうとして告白したり)になったりするが、相手を「好き」があることでお互いを分かり合うことができなかったりもする。むしろ”性”というものが相手を理解する大きな障害として壁のように邪魔しているようにも見えてしまう。

かといってお話ばかりに気がいってしまっていることはなくて、「映画は映像で魅せる」ような姿勢で、多くのシーンでグッとくる映像があった。
走る列車や海や果樹園の緑が美しかった。ロケのほとんどを、監督の故郷である長崎県長崎市とその周辺で行ったそうである。

本当に思春期って恐ろしい。今まで考えもしなかった感情が内側から噴き出してきて、それで思いもしなかった行動をしたりする。そういうぶつかり合いを見せられる作品であった(男が好きというのをクラスでからかわれるシーンの残酷なこと)。
男の子を好きな男の子も、女の子を好きな男の子も、女の子を好きな女の子も、男の子を好きな女の子も、それぞれが作品から受け取るものがあるように思えた。


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