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『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話(2018)』を観ました。

まるで画面から飛び出してきそうな、大泉洋さんの存在感が的確だ。
わがままなのに憎めないっていう人間像は、人の根っこのところが素直でないとうまく出ないように思う。それが大泉洋さんによってうまく出ていたので、この作品はしっかりと成り立ったように思う。

進行性筋ジストロフィーの鹿野(大泉洋)を介助するのが、三浦春馬、高畑充希、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平。病院の怖いくらいの医師が原田美枝子、看護師が韓英恵。この出ている演者さんが、私はみんな好きな人で見てて幸せでした。

特に今作での美咲(高畑充希)の役割がとてもよかった。
彼女は障がい者に関わったことがない観客を、お話の中に案内してくれるような役割で、「なんでこんな時間にバナナ食べたいとか言うんだよ!」とか「あんたは私らより偉いのかよ!」とか見ている人の気持ちをそのまま言ってくれる。その役が高畑充希さんの持っている雰囲気とよく合っているように感じた。

それに今作のタイトル(『こんな夜更けにバナナかよ』)は荒唐無稽なワガママさがいい感じに出ているし、どこか可愛さもあってグッドです。

『その障がい者さんの介助に入る』=『その人のクラスでしばらく学ぶ』みたいな感じがしてて、入って何年もそのクラスで学ぶ人がいたり、ほんの数日で去ってしまう人もいたりする。
それは、障がい者さんと介助者さん双方が必要とする期間だけ続いて、どちらかにとっての必要性がなくなったら終わるような気がする。

クラスにも『まともなクラス』もあれば『まともではないクラス』もある。私が『まともではないクラス』って言うのは、自分が好きな人だけ残して、自分が気に入らない人はことごとく排除しているようなクラスだ。不思議とこういう『まともではないクラス』ではトラブルが発生して、大変なことになるようなのをいくつか見たことがある。

障がい者さんと介助者さんはお互いがお互いを必要としている。
でもたまに勘違いする人がいたりして「お金を出して雇ってるから障がい者が偉い」とか、「ひとりでは何も出来ないんだから介助者の方が偉い」とか思ってしまう人がいる。
「労働者と雇用主どっちが偉い」とか「夫と妻どっちが偉い」とか「親と子供どっちが偉い」とかと同じ問答がここにもあって、どっちが偉いってことでなくて、どちらにとっても必要としているってことだと思う。

障がい者さんは自分からは動けなかったりして、すべてを動ける健常者(介助者)にお任せしたりする。
これは物騒な言い方をすれば「もし介助者がコロそうと思ったらコロせる」のであって、完全に無防備に、この世界に身を投げ出しているような状態とも言える。
その姿はまるで、悟りの境地のお坊さんが「生きるも死ぬも私が決めることではなくて、この大自然にお任せします」と、じたばたするのを辞めた姿にも見える。


障がい者に関わるってことで、自分の中の様々なものが表に出てくることがある。
「人の役立ってるってことで、自分をはじめて肯定できた(自己肯定)」とか、「障がい者の分際で健常者の私を好きになるなんて、あり得ない(身分差別)」とか、「あなたは私がいないと何一つできないってことが、私は心地いい(共依存)」などなど。次々に自分の中に隠していた大物が姿を表します。
それはもう、なにが出てくるかわからない宝箱を開けるようなことかもしれません。
最悪だったその先に最高があったり、逃げようとしてもどうしても逃げられなかったり。

今作を見てて「障がい者と健常者が本音でぶつかり合っている姿」をうらやましく感じた。障がい者とか健常者とかを取り払うと、ぼくらは誰でも『ひとつの魂』なんだから、そのままぶつかったらいい。

私がかつて関わった筋ジストロフィーの人はもう亡くなってしまいました。進行性なのでどんどん病気は進んで動けなくなってしまうのです。私はどうしてもこの人に合わせることができませんでした。
まわりに集まってきた健常者が「えらいねえ」「すごいねえ」などと言うので、本人はどんどんおかしな方向にいってしまい「俺はお前ら健常者とは違うんだ」「健常者なんかより俺の方が偉いんだ」と裸の王様みたくなってしまったのです。

今作を見て、今度その人に会ったら「筋ジストロフィーだからって、偉そうにすんなよ」とか「自分だけが悲劇の主人公みたいな顔すんなよ」とか言いたいと思った。そんなスタート地点から彼の気持ちをちゃんと聞いてみたい。
「相手のことを思って、自分の思いを言わない」なんて、相手にぶつかるのを避けただけであった。
きっと今作の筋ジストロフィーの鹿野さんには、私みたいな「言わないで後悔」なんてなかったんではなかろうか。そっちの方がウソがない生き方でいい。


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