即効性と遅効性は同居するのか
バックパッカーをしていた頃の話。
モロッコにいた。青のまち、シャウエン。
ここに滞在していたときに、日本人の女性と結婚をしてモロッコと日本を行きしてるよっていうモロッコ人にあった。
新たな宿をはじめるっていうことで案内してくれたり、気が合ったので食事に一緒に出かけた。ちなみに奢ることになってたけど。
食事の席で、彼がいっていたことが忘れられない。
「日本の発展はスゴイ。もし日本人が今から全員、全員ずっと眠ったとして、モロッコが日本に追いつくのには800年かかると思う。」
彼は称賛のつもりでいったかもしれないけど、僕にはネガティブに聞こえた。はやさ、という発展の中で失ったモノも大きいと考えていたからだ。
最近に戻るが「神経症的な美しさ ーアウトサイダーから見た日本ー」という本を読んでいる。著者のモリス・バーマンは、西欧(確かイギリス?)で数百年かけた発展を、日本は戦後にしてしまったというような言及があった。
失ったモノはいったいなんだろうか。
きく人によって回答はバラバラだろう。もちろん発展の良いポイントもある。しかし、今の日本社会における軋みみたいなモノは、はやさ、からきてはいないだろうか。
はやさの不可逆的侵攻に対するアンサー
現代社会において、はやさ、は確かに重要だ。ビジネス、S NS、動画、スマホ、パソコン、まわりにあるモノに重要なファクターとして鎮座している。ネットフリックスでの1,5倍速での視聴時間は増え、Youtubeではショートが主戦場になりつつある。(もうそうかな。)エレベーターで社長には1分以内にプレゼンしないといけない、、、とにかく、はやい、ことで忙しい!
しかしながら、もうこの、はやい、には抗えない世界であろう。はやさはもはやデフォルトだから。
でね。はやさの軋みに必要なのは、おそさ、なんじゃないかという当たり前の仮説。はやいのをおそくするんじゃなくて。はやいとおそいが同居すると適切なエネルギーが生まれるんじゃないか。そんなんあるのか、って思うけど、実はめちゃくちゃいいメタファーがある。
それは渦潮。
とある大先輩に徳島の渦潮を案内してもらったときの話。大先輩はティール組織とか、新しいパラダイムのメタファーって、ネットワークとかウェブ的なイメージがあるけど、本当は渦が合ってるっていっていた。
みんな渦って漠然としたイメージがあると思うけど、渦ができる要素って流れのはやい潮とおそい潮がぶつかり合ってできる巨大なエネルギーなんです。
はやいだけじゃダメだし、おそいだけでもダメ。二つがぶつかり合うから、まさに求心力のある渦が出来上がる。そして渦はそのエネルギーがなくなると自然に消え、また違う渦が作られていく。
ね、どう?
このはやさとおそさ、そして渦のメタファーを組織でも、まちづくりでも、プロジェクトでも置き換えてみて。はやすぎたら、おそさが必要だし、おそすぎたらはやさが必要かもしれない。そして、一つの渦が消えたら、次にいく合図。
自分の周りには発酵に関わってる人も多い。
今の社会からみたら、味噌を作るのに半年かかるなんて「おそい」ことだろう。けど、このおそさがはやい社会に適切なエネルギーを生み出してる気がしてならない。
おそさ、が必要だと思う。
そして、一つの渦が消えることに囚われないことなんじゃないかな。
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