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第93弾「ライムライト」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

93曲目はこれ。ライムライト。毎日予備校生みたいな生活をしている。朝起きて、自習室(カフェ)で作詞をしたり記事を書いて、部屋で曲を作って、寝て、読書して、また自習室(カフェ)に言って、作詞をしたり虚空を眺めたりする。実は、タイに来てからずっと頭が痛くて、目も痛くなり、いよいよ腹も痛くなってきた。満身創痍とはこのことか!とか言いながら、記事を書く元気はある。自分が、元気なのか元気じゃないのか、わからない。

「ライムライト」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

モノクロでできた毎日に あれま 少しずつ色が足されてく
ずっと かけられていた 呪いが とけていく

大きく伸びる車道の影 廻る 星を照らす 綺麗な あかり
懐かしさが こぼれる 道しるべ

泣きながら 歩く 歩くことしかできないから
あふれ出る 思い出も 超えていく
ひとりきり 続く 終わることのないパレード
手に入れた ものなんて あるのかな

奇跡のなかを歩いている いまは 文句のひとつふたつ耐える
辿り着くよりも 踏み出すことに 意味がある

頼れるものも少ないから 夜は 三日月から力をもらう
なんでもない 石ころを 映し 出す

欠けている 月が 満ちようとしていくリズム
やり直す もう一度 最初から
体なら 覚えている ずっと変わらないリズム
流れている 音楽が 鳴り響く

泣きながら 歩く 歩くことしかできないから
あふれ出る 思い出も 超えていく
ひとりきり 続く 終わることのないパレード
足りてない ものなんて あるのかな

欠けている 月が 満ちようとしていくリズム
やり直す もう一度 最初から
体なら 覚えている ずっと変わらないリズム
流れている 音楽が 鳴り響く

モノクロでできた毎日に あれま 少しずつ色が足されてく
ずっと かけられていた 呪いが とけていく

頼れるものは少ないけど いまも 三日月から力をもらう
なんでもない 石ころも ひかり 出す

お風呂上がりだからバスタオルしたままでごめんなさい。タイは暑い。外気33度で湿度は5億パーセントくらいある。部屋にエアコンがないからファンを回しまくる。だけど録音中はうるさいから消す。毎回上手に歌えなくて(歌詞を途中で間違える)テイクファイブくらい撮りました。最初の「よし!」がもったいないから、全部詰め込ました。あたしは顔が濃いから、ターバンを巻くとアラブの王子様みたいになる。これに髭を生やすと不正入国者になって取り締まりが厳しくなるから髭はちゃんと剃るようにしている。

元気なひとって、二種類いると思う。誰かの元気を吸い取って元気になるひとと、一緒にいるひとも元気にさせちゃうようなひと。前者は、一緒にいると疲れる。後者は、一緒にいると癒される。浄化される。前向きな気持ちになる。明るいひとと、明るいっぽいひとは、全然違う。明るいひとは、無理がない。明るいっぽいひとは、キャラで生きてるから無理がある。だから、一緒にいると疲労する。なぜなら「合わせないといけないから」だと思う。

無理がある。それは不協和音を奏でている。そういうことだと思う。人間も楽器で、だから、チューニングが狂うとおかしくなる。元気な振りをして生きているひとは、きっと、苦しいのだと思う。ギターがバイオリンになろうとしているもの。棒でガシガシやったら、ギターの弦は痛む。無理をしているひとには痛々しさをかんじる。もう、そんなことはしないでいいよって言いたくなる。きっと、そのひとも「そうせざるを得ない背景」があったのだと思う。キャラで生きるのは、そうでもしなければ生きてこれなかった環境があったから。でも、その設定は、いまも維持する必要のあるものなのだろうか。そのときは必要なものでも、いま、同じように必要だとは限らない。

なんでも自分ひとりの力でできること。それが一人前。誰かの力を頼るひとは半人前。だから、みんな、一人前になれるように努力しましょう。基本的に、学校の教育ってこんな感じだと思う。周囲を見渡しても、本当のところはわからないけど、みんな「自分達だけの力でどうにかできている」「ちゃんと生きている」「しっかりやっている」風に、見せたがる。弱みを見せることは少なく、みんな、それなりにうまくやっているように周囲には見せる。でも、あたしは思う。人間って、そんなに完璧なものなのだろうか。完璧であるために生きているのだろうか。完璧であるということは、楽しいことなのだろうか。それは、意外と「さみしいこと」なんじゃないだろうか。

普遍的なよろこびのひとつに「よろこびを分かち合う」ことがあると思う。昔からあった、醤油の貸し借りも、そういうことだと思う。自分があるときはそれを貸すし、自分がないときはそれを借りる。相互補助っていうのかしら。自分がないから、誰かの「ある」を必要とすることができる。自分があるから、誰かの「ない」を必要とすることができる。お互いさまの精神。でも、みんなが、個人個人で完璧になろうとするほど、分かち合う機会は減る。分かち合おうとしても「そんなことは自分の力でどうにかしなさい!」ということになる。なんでも甘えてばっかりってのも問題があるけど、頼る力、甘える力を養う機会がないばかりに、最悪の場合は自殺をしちゃうことだってある。弱さを見せる力。それは、一つの強さだと思う。人間は、強さで繋がることができるのと同じくらい、弱さでも繋がれる生き物だと思う。

この曲に「手に入れたものなんてあるのかな / 足りてないものなんてあるのかな」って歌詞がある。生きていると、なにかを失ったと感じることがある。同じように、なにかを手に入れたと感じることがある。でも、それって本当のことかしら。人間に、なにかを失うなんてことができるのかしら。人間に、なにかを手に入れることなんてできるのかしら。それは、最初からそこにあって、最後までそこにあるものなんじゃないだろうか。手に入れることも、失うこともできないもの。そのなかで、ああだのこうだの、やんややんや騒いでいるのが、愚かで愛しい人間という生き物なんじゃないだろうか。とかなんとか言っちゃって、そういう感じの歌を今回はつくりました。

音楽は不思議だ。歌詞をつくることで、自分がどんな言葉を多用するのかがわかる。あたしの場合、なぜだか「涙」とか「歩く」とか「傷」とか、そういう言葉がいっぱい出てくる。なにかを作ることで、自分が大事にしていることがわかる。もう二度と取り戻すことができないもの。あたしは、そういう『切なさ』みたいなものに、美しさを感じる。そして、きっと人間を肯定したいのだろうな、と思う。それは自分の中にある良い部分だけじゃない。ダメな部分。醜い部分。卑怯な部分。ひとりぼっちの部分。弱い部分。そういうものを肯定したくて、歌をつくっているのかもしれないと思いました。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

7月28日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

音楽活動開始宣言をしてから、およそ4ヶ月が経ちました。音楽初心者が、一年でどこまでいけるかを見てみたい。そのためには、本気でやる必要がある。そう思って、1日1曲を目安に音楽を作ったり、できる限り場数を踏むためにライブ活動(人前で演奏すること)も経験したいと願っています。人前で演奏できる機会を設けてくださる方がいたら、ご連絡いただけましたら最高に嬉しいです。交通手段さえどうにかなれば、あたし、どこまでも行きます。会場も規模も問いません。ひとりでもいれば、あたし、行きます!!

6月30日開催「Agape 定期演奏会」の動画です。


バッチ来い人類!うおおおおお〜!