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大根役者の迷演技?


 
 先日、甥の役者ぶりを見て、本書を思い出した。親戚同士の会食での事。今年で三歳になる甥は、皿に盛ったブリ大根を頬張るや、自ら「ダイコン ダイコン」と声を発して立ち上がった。そして、自ら発する「ダイコン」の掛け声に合わせて、何度も飛び跳ねたのである。一緒にいた叔母は、呆然としたまま、様子を眺めるばかり。叔母曰く、普段の甥は大人しくて、自ら勇んで動く子ではない。そして大根は好きでも、大根と言葉に出来なかったとの事。何かに憑依されたのかと思わせる甥の役者ぶりは、一体何だったのか。甥と叔母の帰宅した後も、甥の役者ぶり、そして掛け声を、何度も思い起こしては、根も葉もない推論を立て続けた。そして思い出したのである。彼の両親である従姉妹夫婦の結婚式に参加した際、本書の中にある、「大空の下で大根を抜く」という句を、祝辞として書いた事を。筆者自身、甥の役者ぶりに立ち会う迄にも、大根は食べていた。口にもしたし、耳にもしていた。しかし、本書の句どころか、本書の事すら忘れていた。甥の口から出た掛け声によって、思い出したのである。甥は、祝辞の事は知らない筈である。だからこそ、甥の役者ぶりは、筆者に向けられた伝言ではないかと思い至った。


 その一件を機に、本書を読み直した。すると面白い事に気付いた。本書の巻末には、生前の著者による、読書及び映画のメモを記している。以前に読んだ頃は、著者の膨大な読書量と、鋭い見識に驚嘆していた。但し、それらの書籍を読もうと思う事なくやり過ごしていた。しかし、改めて読み直してみると、著者のメモにある書籍の多くを買い集めていたのである。思い返してみると、買い集めた書籍の殆どは、古本屋で手に入れた。本書を初めて読んだ頃は、古本屋に通う前であり、買い集める方法どころか、発想すら知らない頃である。そう思うと、本書に導かれて、古本屋へ赴いたのではないかと考えたくもなる。どうやら本書は、古本屋との縁まで結んでくれたのではないかと思うに至った。


 本書は句集でありながら、苦を味わう事なく、著者の宇宙観を味わえる一冊である。俳句の知識は一切不要である。むしろ映画を観るぐらいのつもりで読んでみると、著者の言葉に共鳴できるのではなかろうか。だからこそ筆者は、祝辞として大根の句を書いたと独り合点している。

*この記事は、5年前に執筆したものです。今年に入って会食したのは、正月だけです。甥は、小学生になりました。

『鯨の目 成田三樹夫追悼句集』 無明舎出版 1991

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