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『キングダム』で有名な始皇帝、最大悪事!?のきっかけ

こんにちは。
ケイジ4世の久しぶり!
『歴史大好き』のターンです。

秦の始皇帝がやらかした
『焚書坑儒』についてお話しします。

キングダムで有名な秦始皇帝

秦の始皇帝などを題材にした『キングダム』が人気ですよね

知っている人、読んでいる人は多いと思いますが、私は一度も読んだことがありません。

『ナナフラ』というゲームはやってた時期があるので、キングダムについてはなんとなく知っていますが。。。

中国の歴史って奥が深くて好きなんですよね。

中でも『春秋時代』『戦国時代』と呼ばれる『周』の時代、以前も書いた『史記』の時代が大好きです。

そもそも中国4000年の歴史って言いますけど、あれは夏王朝から数えています。

それよりも前にあった長江文明や黄河文明なんてのは全然昔のこと。

これも話すと長いよなぁ。。。

おいといて。


今日の本題に入ります。

秦の始皇帝『嬴政(えいせい)』

キングダムで有名なのちの『秦の始皇帝』である『嬴政(えいせい)』。
『嬴(えい)』が苗字で『政(せい)』がファーストネームです。
『始皇帝』の出生については『呂不韋』の記事の際に触れたので割愛します。

▼こちらも合わせて見てみて下さい

それまで紀元前1070年から約800年続いた周王朝を倒し、戦国時代を制して初めて中国統一という偉業をなしたのが始皇帝です。

『始皇帝』名前の由来

『始皇帝』という名前の由来は、皆さんご存知の四大文明の頃、伝説の時代とされている黄河文明まで遡ります。
ちなみに私が子供の頃は四大文明は黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明が挙げられていました。
しかし、今では中国の文明は『黄河文明』だけでなく『長江文明』『遼河文明』といった複数あるとされています。

また、その中でも『長江文明』が、1番古いとも。。

それらを伝説の時代と呼んでいて、『三皇五帝』が治めていたというのです。

嬴政は当時の学者たちを集めて統一を果たした王として相応しい名前を考案させたと言います。

そして、三皇五帝の『皇』と『帝』をとって『皇帝』となし、始めての皇帝ということで『始皇帝』という称号にしたと史記には記されています。


権力の果てに求めるもの

始皇帝となった嬴政は『巡遊(じゅんゆう)』といって中国各地を車に乗って回り始めます。

要するに日本でいうところの大名行列ですね

1度目の巡遊は東側を回ったとされていて、泰山で『封禅の儀』を行ったといわれています。ただ、その内容などは公にされなかったようです。

『封禅の儀』というのは、泰山の山上に土壇をつくって天をまつることと、山の下で地を祓い清めて山川をまつること。 
天下太平を天に報ずる儀式でした。

その儀式の内容は明らかにされていませんが、『不老不死』を願ったともいわれています。

神仙思想

そこから、不老不死を求めて神仙思想に入っていく。

そこに取り入ったのが方士と呼ばれる不老不死の秘術を会得したと自称した者たちでした。

実態は怪しげで調子の良い話によって権力者にこびへつらう者たちであったのはほとんど間違いないでしょう。

その中でも『徐福(じょふく)』(徐市(じょふつ)ともいう)という人物がいました。

彼は「東の海の果てに『蓬莱(ほうらい)』『方丈(ほうじょう)』『瀛州(えいしゅう)』と呼ばれる神山があります。そこには1000歳を超える仙人が住んでおり不老不死の霊薬があります」と上奏し金品財宝をせしめて出港し戻りませんでした。

詐欺です。

一説によると徐福は朝鮮半島の西岸に立ち寄り日本に到着しているとも言われています。

そのように不老不死の情報が有れば飛びつきその都度騙されていたというエピソードも残っています。

つづく

ここまでは悪事というより、偉業をご紹介してきました。

中身の政策などを詳しく説明するとめちゃくちゃ長くなってしまいますので、次回のお話の序章としてここまでお話しました。

次回は本題に突入していきます。


今日はここまでです。
また明日、聞いていただけるとありがたいです。

ではまた。


▼こちらの『商鞅』もあせて見てみてください。
『秦』が強国になっていった要因をお話ししています。よかったらどうぞ。

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